「エモい」とかいう、大発明の話。

「エモい」の意味を、あなたは説明できるだろうか。

僕は2年前、バイト先の中国人留学生・張さんに「エモいってどういうことデスカ?」と聞かれて、返答に窮したことがあった。

悩みに悩んだ挙句「幼稚園時代からの友人と、甲子園の決勝で対戦することになった時のアレだよ」「一夜限りの相手と致した後に吸う煙草を、エモいと勘違いしている大学2年生もいるよ」と言葉の限りを尽くして説明したわけだが、そもそも中国には甲子園もヤリサーの黒髪マッシュ大学生も存在しないため何も伝わらなかった。

帰ってWikipediaで調べたところ、「感情が揺さぶられたときや、気持ちをストレートに表現できないとき、『哀愁を帯びた様』『趣がある』『グッとくる』などに用いられる」と書いてあった。

確かに、腑に落ちる。とりわけ、若者の間では「感傷的」「趣がある」という意味で「エモい」が使われることが多い。

ここで、はたと立ち止まって考えた。

きょうび、「感傷的だよね」「趣深いよね」なんて言葉を使う人間はいるのだろうか。

いや、いるのだろうが、僕の周りにはいない。公民館の俳句講座とかに行ったらウヨウヨいると思う。あと、よくわからないスピリチュアル教室とかにもいる。

ちょっと待て。だとしたら「エモい」が登場する前は、今「エモい」と言われているアレコレを、若者たちは何と表現していたのだろうか?

少なくとも、ひと昔前の大学生たちは甲子園での少年漫画みたいな展開や一夜限りの関係を「あれって感傷的だよね」と表現していた記憶はない。

ここで、夏目漱石と「肩凝り」の逸話を思い出した。

「肩凝り」という単語を夏目漱石が最初に使いだし、多くの日本人がそこから肩凝りの症状を訴えるようになったのは有名な話である。

僕の好きな電通のコピーライター・阿部広太郎氏も、「サバンナの毛むくじゃらの魔物を『ライオン』と名付けたことで、アフリカ人たちは襲われないように対策を立てることができた。これは大発明だ」というようなことを言っていた(一言一句までは覚えられていないです、すみません)。

少し哲学チックな話にはなるが、要は「名前を付けられることで、初めて認知される存在がある」ということだ。

では、「エモい」に立ち返って考えてみよう。

「感動的」とも「泣ける」とも「悲しい」とも違う「感傷的」という感情を、果たして「感傷的」という言葉を使わない若者が認知できていただろうか?

もしかしたら「エモい」という言葉が流行り始めて、はじめて「エモい(=感傷的)」という感情を持てた人間は、少なくなかったのではなかろうか?

ともすれば、この「エモい」という言葉は大発明だ。


僕は同時に、「うま味」の話を思い出していた。

「甘味」とも「酸味」とも「塩味」とも「酸味」とも「苦味」ともちがう、6番目の味覚。

これが初めて発見されたのはわずか100年前、1908年のことだった。

日本古来から伝わるかつおだしや昆布のおいしさの理由を、「うま味」という発見が生まれるまでは、誰も説明できなかった。

ずっとそこにあったはずなのに、「うま味」という言葉がなかったため、誰もそれに気づけなかったのだ。

これって、「エモい」と同じなのではないか、と思う。

何度でも言おう。「エモい」という言葉のおかげで、若者たちは「これはエモいのか」と気づくことができた。

日本の多くの若者を「エモい」気持ちにさせてくれるのは、J-POPでも映画でもなく、他でもない「エモい」という言葉の発明者なのだ。

僕は、「エモい」という言葉を作り出したどこかの誰かに、「うま味」という味覚を発見した池田菊苗と同じ栄誉を与えたい。

そう。「薄っぺらい言葉」代表のように語られる「エモい」だが、本当はすごい発明だし、最大のキャッチコピーなのだ。

「泣いた」に簡単に互換される「ぴえん」、「すごい」にとって代わる「ヤバい」とは、一線を画した存在だ。

「エモい」を、僕はこれからも使っていきたいと思う。

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