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親でない人をひきとった話。 第3話

1995年8月、ヒサオさんが入院していたことがわかりました。
当時ヒサオさんは某鉄道会社の社員で瓦礫撤去の作業等に関わっており、熱中症で救急搬送され、一命は取り留めたものの脳に後遺症が残り、目で意思表示はできるものの会話ができなくなり、亡くなるまで25年間寝たきりでした。
タカコさんはヒサオさんを施設に入れたりすることなく、週に何度かナカノさんというヘルパーさんのお力を借りながら在宅でお世話をしていました。
私は母が亡くなる前に、タカコさんとヒサオさんには子供がいないから大事にしてあげてほしい、と何度も言われていたのもあり、私もよく電話したりしていましたが、介護疲れか、タカコさんが救急搬送された先で入院した後は月1〜2ヶ月に一度ぐらい車で2時間半ほどかけて大阪に行き、様子を見に行っていました。
後にヒサオさんがデイサービスの入浴介助時の事故で頬骨を骨折したことが原因で入院したことをきっかけに、ケアマネさんと連絡を取ったりお会いしたりするようになりました。
お二人には身寄りがなかったので緊急の連絡先は私になっていました。
ケアマネさん曰く年齢が年齢だから判断能力や理解力が落ちてきているとのこと。
主治医との面談に呼ばれたこともありました。
でも、親ではないから分からない、答えられないことだらけ。
意味ある?っていつも思っていました。
しかも私の職業は看護師だと伝わっていました。
正しくは医療事務なので看護師ではありませんと訂正しておきました。
が、これが後に厄介なことの原因の一つになるなんて思ってもみませんでした。
2020年1月の正月明けの土曜日、用があって大阪に行った際、いつものように様子を見に行きました。
ヒサオさんは、その日はいつもより顔色が良かったのを覚えています。
1月下旬のある日の早朝、私の携帯にタカコさんから明け方にヒサオさんが亡くなったと連絡がありました。
ちょうど世間がコロナウイルスに怯え始めた頃です。
当時はタカコさんは92歳。
JRの踏切近くの葬儀場で小さなお葬式をしました。
ウチは仏教の臨済宗妙心寺派、ヒサオさんは神道。
全く作法がわからないままお葬式は終わりました。
手続き等が終わり、タカコさんのマンションに戻った時、違和感を覚えたことがありました。
神道のお家なのに、なぜか仏教の位牌と誰かの写真が置いてあります。
タカコさんに聞いてみましたが、タカコさんは知らない、と教えてくれませんでした。
宅急便が届いており、中にはいかにも詐欺っぽいお地蔵さんがと振り込み用紙が入っていました。
買っていないというので、このままお金を払わないように、ナカノさんが来たら着払いで返品したいって相談するように伝えて帰宅しました。
私は午前中仕事して午後から大阪という生活を3日間続けて疲れ切っていたのでした。
お葬式から1ヶ月ぐらい経った頃だったかもしれません。
ケアマネさんから電話がありました。
ヒサオさんの銀行口座を解約しようとしたら凍結されていた、キャッシュカードを一度も作ったことがないらしい、判断力が更に落ちているので、また大阪に来てほしいと。
指定された当日、また違和感が。
私が葬式の時にもって行ったお菓子がまだヒサオさんに供えられていました。
生クリームが使ってあるお菓子です。
家賃が高いので狭いところに引っ越すと言っていましたが、荷造りでもしてるのかと思いきや以前と変わらずゴミの中で生活していました。
元々片付けられる人なら、ここで認知症の事とか心配になるところなんですが、なんせ元々こんな感じの人ってこういう時分からないのが厄介です。
ヒサオさんがいる時、部屋に尿臭がするのは在宅介護をしているからだと思っていましたが、あれ・・・・・・
その日は口座凍結の件でお世話になった司法書士さんとお会いしてお話ししたり、ケアマネさんとは住むところがなかなか決まらない等お話ししました。
高齢者の一人暮らしってなかなか新規でお部屋を貸してもらえないし、施設も空きがない等。
この話に裏があることにも私はまだ気づいていませんでした。

続く

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。
これはあくまでも私の体験談です。
この体験がどなたかのお悩みのヒントにでもなれば幸いです。
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