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親でない人をひきとった話。 第4話

後日ケアマネさんより電話がありました。
どうしてもタカコさんの住まいが決まらないので私の和歌山の自宅で引き取ってもらえないかとの内容でした。
私の自宅は両親が亡くなってから相続した一軒家で、正直私1人には広すぎる物件。
当時職場からはコロナ禍の理由で県外に出てはいけない、県外の人と接触してはいけないとのお達しが出ていました。
もしタカコさんがそのまま大阪に居続けても何かあったら駆けつけるのはかなり難しいです。
母がよく口にしていた、「子供がいないから大事にしてあげてほしい」という言葉を長女の私はいつの間にか「最後は面倒を見てあげてほしい」と当たり前のように変換してしまっていました。
タカコさんと電話で話し合い、ヒサオさんの命日までは大阪で過ごしたいとの意思を尊重し、引っ越しは翌年2月のつもりでいました。
その後も時々タカコさんやケアマネさんと電話で頻繁に連絡を取っていました。
そして年が明けて1月。
ケアマネさんから連絡があり、タカコさんが行くと言ったり行かないと言ったり気持ちが揺らいでいるからこちらから早く期日を決めてしまって引っ越しましょうとの提案がありました。
その口調には焦りを感じました。
引っ越し業者は介護事業所で手配してくださり、私の仕事の都合のつきそうな日を選んで引っ越しをすることになりました。
引っ越し業者さんと事前にお会いすることになり、2月に大阪へ。
タカコさんはずっとゴミの中に埋もれて生活していましたが、死角のゴミの多さに驚愕しっぱなしでした。
戦後を生き抜いてこられた高齢者世代は特に物を捨てられない、とよく言われますが、そんなレベルをとっくに超えていました。
物をどかしたら開かずの扉が出てきて、開けてみるとカビ臭い薄暗い物置のような部屋がありました。
そこにはあまり大きくはないけれど、そこそこ存在感を放っている桐箪笥が置かれてあり、中には着物がぎっしり。
高かったから捨てたくないとの着物たちは高齢者をカモにしている訪問販売業者から売りつけられた物だらけ。
ハンガーラックには高かったであろう毛皮やスーツがびっしり。
奥には故障したり、もう使わない家電製品が山積みにされており、それをどかすとクローゼットの扉が出てきました。
そこに山積みされている段ボールの中はカラフルなカビが生えていて、何が入っていたのかわかりませんでした。
想像を遥かに上回る衛生環境の悪さ。
とにかく臭い。
柔軟剤の匂いと混ざると気持ちが悪いし、こんなの我が家に持ち込まれたら困る。
引っ越し業者の社長さんとお話しして、物を減らさないとトラックに積めないことをタカコさんに伝えました。
わかったとは言うけど多分わかってないし、動く気配がありません。
明らかゴミとわかる物は捨ててしまって結構です、とお伝えして了解を得ました。
引っ越しの1週間前に捨てるものをめぐっていろいろ揉めていると引っ越し業者の社長さんに呼び出しを受けました。
やっぱり聞かないので私が梱包したふりをして捨てていただいたり、ウチに置くのは難しいからこっちに来てから新しいのを買いに行こうと提案してみたり。
タカコさんは人任せで自分では全く動きません。
動けない人ではなく、動かないのです。
モヤモヤを抱えたまま3月中旬、引っ越し前夜を迎えました。

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。
これはあくまでも私の体験談です。
この体験がどなたかのお悩みのヒントにでもなれば幸いです。
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