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おとしどころ

頭の中で散々ネガティブなことを考え尽くすと、もうネタがなくなって、不思議と楽しいことを思い出し始める。
ああ、母がすぐ食いつくだろうと見越して北海道物産展でウニ丼買いたいねえと仕向けて一番高級なやつ(母のお金で)買ってきて二人で食べたとか、母がデイサービスで出来たというお友達の話が悲惨で、そういう人と仲良くなれるだけでも母には存在意義があるなと思ったとか。その人は天涯孤独の女性で、週3透析週3デイサービスの87歳。母と話せる木曜日のデイサービスだけが楽しい一日なのだそうだ。諦観の極みを生きているようなその方には、落ち込むぐらいなら他人をディスってわりとあっけらかんとしている認知症患者である母が、なんとも頼もしく見えるのかもしれない。

昔から母につきまとっている(余計なお世話が多すぎて私にとってはやっかいな)友達が母の生活圏で「偶然会うように」ウロウロしたり家に上がり込んだりしてくれているようだし、週に2回ぐらい会えるお茶屋の店員さんは母がどれだけ長居しても相手をしてくれているし。訪問看護師さんがよく母のペースに合わせてくれて、私の仕事を色々と肩代わりしてくれているのもありがたい。

介護職の方々を見ていると、制度の隙間をかいくぐってでも利用者に必要なケアをしようと頑張ってくださる方がいる。同じ24時間で、同じぐらいの労力を金融関係の仕事に費やしたらとんでもない収入になるだろうに、能力と時間に対して「薄給」としか思えない仕事にその方々が身を投じてくださるおかげで私達当事者はなんとかやっていける。

ありがたい。

ネガティブになれるだけなって、毒を吐くだけ吐くと、待っているのは自責の念だ。
でも、明日がある。母はまだそこにいて、よくもわるくも母との日々はまだまだ続く。母が言うとお前が言うなやと思う「親子だからお互いさま」が、実際そのまま、そこにある。

24時間で明太子を5本、カップ麺ひとつというのは塩分的に深刻に過剰だったみたいで、2日目の朝を迎えても瞼が分厚くつまめるほど腫れて、赤ワインを1本の8割ぐらいひとりで飲んでしまった朝みたいな気持ち悪さから逃れられないのだが、利尿作用のあるお茶とカリウムを含んだ果物がいいと言われて朝から頑張って摂っていたら、だいぶん吐き気が引いて頭もすっきりしてきた。

認知症の親や介護に参加しない家族についてボロクソに書きまくっている掲示板の人たちも、だからといっても誰も介護をやめておらず、感情を爆発させることで自己嫌悪に苦しんでいるようだった。結局は自己嫌悪だ。私にはまだ時間がある。もう少し、母との歴史をのんきに思い出しながら追い詰められるだけの余裕が。

気が向いたら、母に電話してみよう。


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