アンリ・ミュルジェール『ボヘミアン生活の情景』第23章:青春は隙行く駒

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ミミが亡くなって一年、まだ一緒に住んでいたロドルフとマルセルは、華々しく社会に登場することとなった。マルセルはようやくサロンに入選し、2点の絵を出展すると、1枚が以前ミュゼットの愛人だった裕福なイギリス人に買い取られた。その売上と政府からの注文でマルセルは過去の借金をいくらか返済した。まともな部屋に引越し、本物のアトリエを手に入れた。ほぼ時を同じくしてショナールとロドルフも世間に顔見世できるようになり、名声と財産を得た。ショナールの出した楽曲集はどんな演奏会でも歌われ、評判が広まった。ロドルフの出した本は一ヶ月のあいだ批評家たちに持ちきりとなった。バーブムシュは長いこと前にボヘミアンをやめ、相続と上手い結婚相手を得たギュスターヴ・コリーヌは夜ごとに軽食つき音楽会を催していた。

ある晩、ロドルフが自分の肘掛椅子に座って自分の絨毯に足を伸ばしていると、狼狽したマルセルが入ってきた。

「わたしに何があったか、君は知らないな」

詩人は答えた。「知らないね。ただ、ぼくは君の家に行った、間違いなく家にいたはずなのに、君は扉を開けようとしなかった、それだけは知っている」

「そう、その通り。誰と一緒だったか、ちょっと当ててみたまえ」

「ぼくに分かるわけがないだろう」

「ミュゼットさ、昨晩いきなり来てね、仲仕姿をしていたよ〔19世紀半ばの舞踏会で流行した服装。ゆったりとした黒いパンタロンに赤い帯を締め、労働者ふうの格好を真似た〕」

「ミュゼット!ミュゼットを見つけたのか?」ロドルフは忌々しそうに訊いた。

「心配するな、喧嘩を蒸し返しに来たわけじゃない。ボヘミアン最後の夜を過ごしに来たのさ」

「どういうことだ?」

「結婚するんだよ」

ロドルフは叫んだ。「へえ!それは君、誰となんだ?」

「最後の恋人の後見人だったという郵便局長だそうだ、どうしようもない恋人だったんだろう。ミュゼットはそいつに言った。「ねえ、あなたとの結婚をきっぱり受け入れて役所へ行く前に、一週間の自由が欲しいわ。済ませておきたいことがあるの、最後のシャンパンを飲みたいし、最後のカドリーユも踊りたい、それに愛しのマルセルを抱きしめてあげたいの、立派な紳士なのよ、噂によれば」それから一週間、あの娘は探し回った。それで昨晩わたしの家に来たんだ。ちょうどあの娘のことを考えていたときに。ああ!ふたりで過ごした夜は、結局のところ惨めな夜だった、もう全く以前のようではなかった、全くね。名作の下手な模写みたいだろう?この最後の別れを詠った哀歌も作ったんだ、君に泣いてもらおうと思って」そしてマルセルは口ずさんだ。

昨日、春を運んでくる
燕を見ながら、
暇さえあればわたしを愛してくれた
美しい女性を思い出した。
そして一日じゅう
物思いに耽った、
昔の古いカレンダーの前
愛しあっていた日々の前で。

いや、わが青春は死んでいない、
君の思い出も消えていない、
君が扉を叩くなら、
ミュゼットよ、喜んで迎え入れるだろう。
君の名はいつも心を震わせる、
不実な女神よ、
また一緒に食べよう
喜びに聖別されたパンを。

この小部屋の家具、
わが恋の昔馴染は
君が戻ってくると思うだけで
すでにお祭り気分。
おいで、思い出してごらん、
君が去ったために喪に服しているものたちを、
小さなベッド、それから
わたしに乾杯するといって君が飲んでいた大きなグラス。

むかし着ていた
白いドレスをまた着て、
むかしのように日曜に
森を走り回ろう。
夜には東屋の下で、
君の歌が羽ばたく前に
翼を浸すという
ワインの原酒を飲もう。

思い出したミュゼットは、
謝肉祭が終わってから、
ある朝戻ってきた、
移り気な鳥が古巣に来た。
けれども不実の娘を抱いても、
わが心はもはや動かず、
変わってしまったミュゼットは、
わたしが変わったのだと言った。

さらば、行け、愛する人よ、
最後の恋人と添い遂げよ、
われらが青春は埋められた、
古いカレンダーの奥に。
暦の中の美しき日々の
燃えかすを浚ってみても、
思い出がくれるのは
失楽園の鍵だけ。

読み終えたマルセルは言った。「ほら、安心しただろう。もうミュゼットに未練はない」そして歌の草稿を見せながら皮肉っぽく言い足した。「恋はに変わったんだ」

「可哀想に、頭と心が戦っているな、頭が心を殺さないよう気をつけろよ!」ロドルフが言った。

画家は答えた。「済んだことさ。わたしたちは終わったんだよ、君、ふたりは死んで葬られた。青春は一瞬!君は夕食はどうするんだ?」

「一緒に12スーの晩飯としないか、フール通りの懐かしの料理屋だ、皿が田舎陶器のところだよ、食べ終わっても腹を減らしていたっけ」

マルセルが答えた。「嫌だね、昔を振り返るのは結構だが、本物のワインボトル越しに、上等な肘掛椅子に座ってでないと。何とでも言ってくれ、わたしは堕落したよ。もうまともなものしか愛せない!」

(訳:加藤一輝/近藤梓)

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