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竹田青嗣『21世紀を読み解く 竹田教授の哲学講義21講』(2011)みやび出版①「イデア プラトン」

哲学史をざっくりと見通したい。
私の今の立ち位置に,ぴったりの書籍でした。

哲学は,先人の流れや時代背景に則してその思いを汲み取ることで,
より本質にたどり着けるということがよくわかる良書です。

本書は,学生と竹田教授の対話形式で進んでいくため,
初学者にとっても読みやすく感じます。
(哲学的内容は一度読んだだけでは?の語句も多々ありますが…)
もう少し入門書を読み漁ってから原典にあたりたいと思います。

印象的なフレーズを抜粋します。

プラトンでは、一番偉いのが「善のイデア」で、「美のイデア」や「真知のイデア」つまり「認識のイデア」はそこから出てくるんだ。
『国家』の「洞窟の比喩」は、プラトンによると「陶冶」の本質、つまり教育の本質を説明するものだということになっている。
人間は誰も自分の「認識」を正しいものと考えるけれど、それは結局「思惑」(ドクサ)であることを越えられない。つまり自分だけの主観的信念にすぎないのに、それを真知(エピステーメー)だと言い張る。どうやって人は、自分の主観的な知識(ドクサ)を、「真の知識」に育てられるか。p14
われわれが普遍的な知(認識)に届きうるには、方法は一つしかない。自分が前方だけ見るのをやめて後ろを振り返り、自分がいま見ているものが、じつは太陽の光源(=「善のイデア」)によって照らされている仮象に過ぎないことを自覚したとき、はじめて人は自分の主観的信念(ドクサ)を、真の知識(普遍的な知識=エピステーメー)へと育ててゆくことができる、というんです。
それが陶冶=教育ということの本質であると。「真のイデア」、正しい認識は、「善のイデア」によって可能になる、それがプラトンの主張です。p15
プラトンのエロス論の核にあるのは、まず、人間がエロス的欲望を向けるものは、総じて「美的なもの」(つまり、カッコよいもの、ステキなもの、心に快いと思えるもの)である、という考えだね。つまり、人間のエロス的欲望の対象は「美」である、です。
そう考えると、エロティシズムの欲望と魂の美質への愛を対立させる必要はぜんぜんない。人間のエロス的欲望は、誰でもたいてい「美しい肉体」へのエロス(恋)から出発する。いきなり、人間の美しさや優れた営みの美しさに恋する人はいない。美への欲望は、はじめは感覚的な美への欲望から出発する。
でも、この「美しいもの」への欲望は、人が生活の経験をつみ人間関係を深める中で、徐々に人間の性格や魂の「美しさ」への恋(エロス)へ、さらに人間の営みの「美しさ」への愛へと育っていく可能性を、必ずもっている。それが人間の「エロス」の本質である。いいかえれば、人間の欲望と「美」という価値との本質的な関係である。これがプラトン説です。それを「恋(エロース)の正しい道」、という変ないい方でいっているわけです。pp19-20
人間の感受性は、いわば美的感覚の網の目であって、そのエロスをうまく育てることができれば、それは少しずつ編み変えられてより深い美意識へと進む本性を持っている。これがプラトンの「エロースの正しい道」という考えの核心にあるものです。そして、もう一つ重要なのは、この人間の審美性を深めてゆくその原理こそ、「善のイデア」だ、という考えです。p21
正しい知識、つまり「普遍的な認識」を保障するのは、認識の「正しさ」ではない。なにが普遍的に「善い」ことかという判断、これだけが「正しい認識」を支え保証する。ちなみに、ギリシャ語の「善」(アガトス)とは、「卓越性」であり「普遍的な善い」を意味している。p24

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