『幼児期ー子どもは世界をどうつかむかー』岡本夏木(2005)岩波書店

「人は意味を生きます。知識によって生きるのではありません。意味を求めて,また意味を拠りどころとして生きます。」(p210)

私が本を読むとき,その本を読んでよかったと意味を見出すのは,3パターンあります。

1つ目は,自分にとって新しい知見が得られ,これまでと違った枠組みで世界を捉えることができそうなときです。
2つ目は,自分を新しい世界に導き,これからの生活を豊かにしてくれるときです。
3つ目は,読んだ内容がこれまでに出会ってきた人や広げてきた世界との接点があるときです。

1つ目の多くは,専門書,教養書です。2つ目の多くは,物語・小説です。
本書は3パターン目です。結論から述べますと,私の今の実践課題でもある「子ども中心主義」の考え方との再会です。


「『真の幼児期』は,社会を常に人間的に批判し,自己を人間的存在たらしめてゆく視座として,私たちの中に働き続けてくれるはずです。」(p224)

本書では,幼児期を特徴づける四つの相を「しつけー遊びー表現ーことば」として,それぞれの視点から幼児期を再建することを提案しています。

その際の視点として,

①教育や保育的(制度を含めて)を,それを受ける「子供の側から」常に見直してみること
②それぞれの子どもを一人の全体としてとらえること
③子どもを大人の「操作(働きかけ)の対象」としてだけ見るのでなく,われわれと共に生活を実現している「生の共同者」として見ること
④現在の文化的・社会的環境のもつ性質を,それが何を子どもに及ぼすのかという視点からとらえること
⑤学校教育での問題を小学校期や中学校期の中に閉じこめたかたちで論議するのでなく,その問題をより長いライフスパンの中で考えること
(p6)

の5点を前提とした上でそれぞれの相を論じています。
以下,各章で共感したフレーズを引用します。

Ⅰ章 なぜ「しつけ」か
「時間をかけること,待つこと,惑うことの蔑視は,『努力すること』の否定につながりかねません。子どもが『待つ』のを親や先生がどう『待ってやる』か。現在の教育や保育,そしてしつけの場面は,そうした角度から見直さなくてはなりません」(p48)
Ⅱ章 なぜ「遊び」か
「『世界内存在』としての人間は,まずその身体性を生きることから出発します。人間のもつすべての機能や側面はその身体性に根ざし,成長発達後も,それぞれの行為のもっとも基盤となるところで通底して働き続けます。他の諸側面とくらべても,特に遊びは身体性と密着して展開されてゆきます。」(p78)
Ⅲ章 なぜ「表現」か
「しかし,ここで強調しておきたいのですが,表現が主体に対してもつ意味は,結果的産物の中よりも,その過程の中においてこそ,まず論じられねばなりません。ことに子どもが小さければ小さいほどそう言えます。その行為としての体験,それを行っている時の感情や身体の感覚,努力や『達成感』,それらは表現を試みる中で出会う自分,表現の中に見出す行為主体としての新しい自分を感知することのはじまりでもあります。」(p126)
Ⅳ章 なぜ「ことば」か
「子どもが自己の内的世界を作ってゆくのは,誠実な対話の相手のことばがまず自分のことばとして取り入れられ,さらにそれを通して相手の人そのものが自分に取り入れられることによります。」(p206)


どれだけ豊かな幼児期を送ることができるか。子どもの側に立って考えられる人が増えるといいなと思っています。

現在の社会情勢を予見したようなことばを最後に引用しておきます。

「言葉の誠実性を見きわめる力こそが,今日ほど求められる時はありません。」(p202)



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