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指輪物語 私のフロドは も少し おじさん

気分転換がしたくて、久しぶりにロードオブザリングを観た。絶対に外れないから。

この映画が公開されたとき、私の友人たちは、あ、これ、ねこまるのじゃん、と思ったらしい。
原作の指輪物語を、私は高校時代、うるさいくらい語っていたのだ。いまから40数年前の話。

図書館の、外国文学の書架にあった、まだ誰も借りていない本。パラフィン紙がかかっていた。旅の仲間。
私はテスト前になると、本が読みたくなる習性があったから、図書館にはよく行った。
いつもの文庫本コーナーではなくて、なんとなく足を止めた外国文学のコーナー。

夢中で読んで、早く続きが読みたくて、司書の先生に何度も頼んだ。卒業までに6巻そろった。
情報も何もない時代、田舎の高校生が、偶然出会った、指輪物語。

大人になると、感想が変わる本がある。
例えばナルニア国物語。
中学時代に出会って、夢中になって、この話とこの話がこう繋がるのか、と引き込まれていった。
でもある時、キリスト教の宗教観が色濃く見えてきて、物語に入り込めなくなってしまった。

指輪物語はずっと好きだった。
大学時代から少しずつ買いそろえて、子供たちも読んだ。

映像化されたロードオブザリングも素晴らしかった。
でも、私のイメージと大きく違ったのが、フロドとサム。

映画のフロドも魅力的だ。整った顔立ち、大きな青い目。
見開いた眼だけで、いろんな感情を表現できる。
でも若くて、弱い。指輪に翻弄され、苦悩する青年だ。
そこが物足りない。

映画のフロドは、サムにひたすら守られている。
サムは、まるで美しい姫を守るナイトのようだ。
サムは原作よりずっとかっこいい。
主従関係の庇護と献身、ではなくて信頼と友情のほうが、映画としてはいいのだろう。納得はしている。

でも私のフロドの方が魅力的だ。
もともと食べて飲んで、パイプを吸って、人生を楽しむホビット族だ。
家柄が良くて、知性と教養もあって、寛容で、温厚。
指輪に支配されない純粋な魂とたくましさがある。
やや中年の域に差し掛かっているのも良い。

映像化はできませんが。




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