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なぜ社会では暴行罪となる体罰が教育現場では容認されるのか?

近年教育界においてよく聞かれるようになった『体罰』という言葉なのですが、皆さんのなかにも過去に学校の教師や部活動の顧問、先輩などから体罰をされたという方もいるのではないかと思うのですね。

まぁ私の場合は現時点で20代前半であり教育も緩くなってきていたことから直接的な体罰をされたことは一度もないのですが、それでも我々の年代でも時には「体罰のようなこと」をされることはあり殴られたり蹴られたりはしていないものの、胸ぐらを掴まれる程度のことはありました。

まぁ私の場合はそれほど酷いことをされたことはないため『体罰』とは言ってもそれほどピンとくるものはないのですが、それでも皆さんのなかには過去に体罰をされた、もしくは現時点でそのような環境にあるという方もいるかもしれません。

そしてそのような状況に置かれていた、もしくは現時点で置かれているという方からしてみれば体罰とは腹立たしいものであり、体罰をするような教師や顧問などは許せないという方も少なくないのではないかと思うのですが、このようなテーマに関して話していると必ず上がるのが「社会的に見れば暴行罪(傷害罪)となる体罰がなぜ教育現場では容認されるのか?」ということなのではないかと思うのですね。

確かに一般社会で誰かが誰かに対して暴力を振るえばそれは『暴行罪』となり(相手がケガをすれば傷害罪)、罪になるにもかかわらずなぜ教育現場の体罰は罪として考えられることが少なく、なかには「体罰も必要である」という声すら上がってしまうのでしょうか?

今回の記事ではなぜ教育現場では体罰が容認されるのかということについて見ていきたいと思います^^

『暴行』の定義と『暴行罪』と『傷害罪』の違い

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それでは早速『体罰』が教育現場では容認されるのかということについて見ていきたいと思うのですが、その前にこの『暴行罪』というものについて軽く見ていきたいと思います^^

まぁ私は別に弁護士というわけではないためそれほど詳しいことは分からないのですが、まず『暴行』という言葉の定義なのですが、その定義は「他人の身体に向けた有形力の行使」と解釈されているというのですね。

そのような経緯から考えるに正確な意味での『暴行』とは我々がイメージするような「殴る、蹴る、叩く、突く」などというものばかりではなく、直接的に相手の身体に触れなくとも有形力を行使していればそれは暴行罪に当たることになるとされているというのです。

そのため例えばこれまでには「お清めと称して食塩をふりかける」「(当てるつもりはなく脅すつもりで)室内で日本刀を振り回す」などという行為も暴行として成立しているというのですね。

我々一般人の感覚からすると一般的に『暴行』というのは相手を殴ったり蹴ったりする行為のようなもののように思うのですが、実際には食塩を振りかけるという行為や当たってはいないものの室内で日本刀を振り回す行為なども暴行罪として成立するということなのです。

そのため実際に相手の身体に触れていなくとも暴行罪は成立するということなのですが、実際には「着衣を強く引っ張った」「胸ぐらをつかんだ」などという行為も暴行罪として成立するというのですね。

私は高校生の頃は硬式野球部に所属していたこともあり当時の監督からは胸ぐらを掴まれ引っ張り回されたのですが、これも立派な暴行罪になるということのようです(笑)

我々はどうしてもいちいちこのような刑法などの内容を精密に確認しないため個人的な感覚で「これは暴行罪に当たるだろう」「こんなことで暴行罪にはならないだろう」というように推測しているのですが、実際には我々の予想以上に暴行罪が適用される範囲は広いということなのですね^^;

ちなみに皆さんのなかには『暴行罪』と『傷害罪』の違いが気になるという方もいるかもしれないのですが、実は両者の違いは『暴行をした相手の怪我の有無』となっているというのです。

暴行を働いた際にその相手が怪我を負えばそれは『傷害罪』となり、暴行を働いたものの相手が怪我をしなければそれは『暴行罪』になるということなのですね。

我々一般人はどうしてもこの辺りに関してはうやむやになってしまっていることから正確な違いは知らなかったという方が多いのではないかと思うのですが、実際にはここまで細かく定義されているということなのです。

そしてここまでの話をまとめると刑法第208条によって定められている暴行罪は他者の身体に対し不法に有形力を行使することによって成立する犯罪となっているのですが、そのような経緯から考えるに教育現場で行われているような体罰は間違いなく暴行罪に当たるものとなるのではないかと思うのですね。

場合によっては傷害罪に当たるケースもあることだと思うのですが、選手が怪我をしようともしなくともいずれにしても学校の教師や部活動の顧問が生徒や選手のことを殴ったり、蹴ったり、胸ぐらを掴んだり、引っ叩いたりすればそれは十分『暴行』になるということなのです。

しかし一般的には暴行に当たるという行為がなぜか教育現場では容認されており、時には「必要」という声すら上がってくるのですがそれは一体なぜなのでしょうか?

次章では暴行が教育現場ではある程度容認されてしまっている理由について見ていきたいと思います^^

なぜ社会では暴行罪となる体罰が教育現場では容認されるのか?

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それではここからはなぜ一般的には禁止されている暴行が教育現場では時によって容認されてしまうのかということについて見ていきたいのですが、そもそも皆さんのなかにはこのような『体罰=一般的に考えれば暴行罪ないしは傷害罪』という認識がなかったという方もいるのではないかと思うのですね。

もしかすると『体罰』は基本的に大人と子供の関係となることから、一般的な暴行罪とはまた違うものであるというふうに考えていたという方もいるかもしれないのですが、実際に社会のルールに照らし合わせて考えるとやはり立派な暴行罪になるのではないかと思うのです。

==以下引用==

6月30日、広島東洋カープの緒方孝市監督が、チームの外野手野間峻祥の怠慢プレーに怒って暴力をふるった一件である。仮に野間が被害届を出していれば、緒方監督は罪に問われかねない。そうせよと言っているわけではないが、どのような理由があるにせよ、暴行は加害者に非があるし否定されるべき行為のはずだ。

引用元:「暴力」が学校では「容認」されるおぞましい実態

これはスポーツライターである広尾晃さんが書かれた記事となっているのですが、引用記事によると広島東洋カープの監督である緒方孝市監督が、同チームの外野手である野間峻祥選手の怠慢なプレーに対して怒って暴力を振るったというのです。

まぁ一般的には体罰とはやはり教師と学生、部活動の顧問と選手の間などで起きやすいものであることからなかなかこのような大人同士の間で生じる問題ではないことのように思うのですが、それでも実際にはこのような大人同士でも立場が違うことから暴力が正当化されてしまっているようなケースもあるということなのですね。

そして引用記事のなかで広尾さんは緒方監督の振る舞いに関して「罪に問われかねない」というふうに書かれているのですが、これはもっともなことであり例えプロ野球の球団であろうとも学校であろうとも部活動であろうとも誰かが誰かに対して暴力を振るえばそれは『暴行』となるのが当たり前のこととなっているのです。

そのような経緯から考えるに近年問題となっている体罰はまさに『暴行罪』もしくは『傷害罪』に問われてもおかしくない行為となっているということなのですが、それでもこのような行為はどこか当たり前のことであるというふうに見られており、どこか正当化されているように感じる方もいるのではないかと思うのですね。

例えば広尾さんも引用記事に書かれているように一般の社会で特定の人間が誰かに暴力を振るえばとんでもないという話となり、暴行罪となってしまうことだと思うのですが、それに比べて学校や部活動など教育現場においてはその暴行に対する見方が少し緩いのではないかと思うのです。

広尾さんも引用記事のなかで緒方監督の振る舞いに疑問を呈していたのですが、このように感じている方は少なくなく教師や部活動の顧問などの暴力行為について「少し世間全体が甘いのではないか?」というふうに思われている方もそれなりにいるのではないかと思うのですね。

そして私が思うにもやはり一般的には暴行罪、傷害罪に問われてしまうような行為が学校や部活動などの教育現場ではある程度容認されているというふうに感じており、これらの行為に対する見方が少し甘いのではないかと思うのですが、それでは一体なぜ一般的には暴行罪や傷害罪となってしまうような行為が教育現場ではある種当たり前のように繰り広げられてしまうことがあるのでしょうか?

私が思うにその理由は教育現場での暴行においては『正当な理由がある』というふうに考えられるケースが多いからなのではないかと思うのですね。

ひとえに暴力とは言ってもそこには様々な種類のものがあり、例えばむやみに人を傷つけるための暴行、逆に人の暴力行為から我が身を守るための正当防衛としての暴行、人から酷いことをされたため怒って行う暴行など様々な種類のものがあるのではないかと思うのですが、教育現場での暴行は『生徒を指導するうえで重要となってくるもの』という見方となっているのではないかと思うのです。

例えば皆さんの多くも「教師が生徒の頬を平手打ちした!」というふうに聞けば「まだそんな教師がいるのか!」「最低な教師だな!」などというふうに思われるかもしれないのですが、しかしそこで「その平手打ちをされた生徒は他の生徒をいじめて遊んでいたらしい。だからその教師はブチ切れてその生徒を平手打ちしたそうだ!」というふうに聞けば「それだったら仕方ないんじゃない」というふうに思われる方もいるのではないかと思うのですね(まぁそれでも暴行はダメだと思われる方もいるかもしれないのですが‥‥)。

要はひとえに暴行とは言ってもそこには様々な種類があることから誰からも絶対に容認されない非難しかされない暴行もあれば、ある程度理解される暴行もあるのではないかと思うのです。

そして一般的には学校の教師や部活動の指導者は学校の生徒や部活動に所属する選手よりも大人であることから良識があり、さらに生徒や選手を育てる立場の人間であることから例え体罰をしたとしても「その暴行は正しいものなのではないか?」というふうに考えられがちであるということなのですね。

もちろんこれは私個人の考え方となっているのですが、それでも一般的に教師や部活動の顧問の暴行について社会の目が少し甘くなる理由は「その暴行は正当なものであるのではないか?」というふうに見られる傾向があるからなのではないかと思うのです。

もちろんなかには「どんな理由があったとしても暴行はすべてダメだ!」というふうに考えられている方もいることだと思うのですが、その一方で「正しい理由があればある程度の暴力は問題がない。むしろ自分たちが若いことから先生から殴られたからこそみんないい子になったんだ!」というふうに考えられるような方もいるのではないかと思うのですね。

そして一般的にやはり学校の教師や部活動の顧問というのは学校の生徒や部活動の選手などよりも賢く良識もある存在であることから、教師や顧問が暴力を振るったとしても一定数の方は「その暴力は正しいものなのではないか?」という見方をされるのではないかと思うのです。

社会の一般常識から考えるに暴行罪や傷害罪がある以上はどんな理由があれ相手に対して暴行をしてはいけない、怪我を負わせてはいけないということになっていることだと思うのですが、それでもなかには「教育をするうえでは暴力が必要になることもある」というふうに考えられている方もそれなりにいるのではないかと思うのですね。

そして学校や部活動での暴力は『生徒を指導するうえでは必要な場合もある』という色眼鏡を通して考えられることから、一般社会での暴行よりも多少世間からは甘く見られてしまうことになるのではないかと思うのです。

例えば「俺が若い頃は部活でミスをしたり怠慢なプレーをしたりすると監督やコーチから殴られたもんだ。しかしそういう指導があったからこそ俺たちは上手くなったんだ」というふうに考えられている方もいるでしょうし、「学校の生徒や部活動の選手たちが生意気な口を利いたら引っ叩くくらいしたほうがいいんじゃないか?」というふうに考えられているという方もいるのではないかと思うのですね。

要は私が主張したいことは学校や部活動での暴力は一般社会のそれよりも「正当な理由があるのではないか?」というふうに見られがちだからこそ、一般社会での暴行よりも世間から甘く見られてしまう傾向があるのではないかということなのです。

とは言え皆さんの多くも社会出れば大抵の方はどれだけ腹が立ったとしてもどれだけ相手をぶん殴りたくなったとしても、絶対に暴力は振るわないというふうに心に決めているという方もいるのではないかと思うのですね。

確かに学校の生徒や部活動の選手たちに対して罰を与えるという意味での暴力に関しては「正当なものである」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、それでも個人的には社会人の方の多くがそうしているように「暴力は絶対に振るわない!」というボーダーラインがあってもいいのではないかと思うのです。

もちろん生徒を教育したり選手を指導したりするうえでは暴力も必要なんだ!という方の意見も分からないではないのですが、それでも一般的には暴行罪として暴行は認められていないことから、本当のプロであれば「いかに暴力を使わずに教育や指導をしていくのか」というふうに考えることも重要なのではないかと思うのですね。

教師や部活動の指導者はまだまだ未熟な子供たちを指導する立場であることから、暴力が他の職業よりも「正しい」というふうに見られがちなのではないかと思うのですが、それでもやはり暴力を使わないという手段を考えてみてもいいのではないかと思うのです。

もちろん何の脈絡もない暴力と教育や指導上での何らかの理由があっての暴力は同じ暴力でもまったく違うものであることから、教師や顧問の立場にある方としても「何でもかんでも体罰と決めつけられて非難されるのはたまったもんじゃない!」というふうに思われる方もいるかもしれないのですが、それでもこれからはやはり暴力というのはどんどん嫌われることになるのではないかと思うのですね。

そのような経緯から考えるに現時点で教師という立場にある方も指導者という立場にある方もいかに暴力や暴言を使用せずに上手く教育や指導をしていくのかということを考えたほうがいいのではないかと思うのです(-_-;)

今回のまとめ

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今回の記事ではなぜ社会では暴行罪(もしくは傷害罪)となる暴行(体罰)が教育現場では容認されるのかということについて見ていったのですが、私が思うにその理由は教育現場での暴行は一般社会のそれよりも「正当な理由があるのではないか?」というふうに考えられるからなのではないかと思うのですね。

皆さんとしても一般社会で誰かが特定の人間に対して暴行を働いたというふうに聞けば、一瞬で「法を犯している」というふうに思われるのではないかと思うのですが、その一方で教育現場での暴行は「生徒や選手を指導するために必要なものだったのではないか?」「暴力があるからこそ部活動も強くなるのではないか?」などというふうに思われる傾向があることからある程度容認されてしまうことになるのではないかと思うのです。

実際に体罰に絶対反対の方からしてみれば『体罰=か弱い子供たちを教師や部活動の顧問が理不尽に痛めつけている』というふうに思われているかもしれないのですが、それでも実際には「生徒が教師に対して暴言を吐いたから暴力を振るった」「部活動の選手たちがあまりにも顧問を舐めた態度をとっていたから顧問がブチ切れて手をあげた」などという場合もあるのではないかと思うのですね。

そして実際に体罰に反対されてるという方のなかにも「生徒が教師に対して暴言を吐いたから暴力を振るった」などという場合であれば一概に教師の側を悪いとは思わずに「暴力を振られた生徒側も悪いんじゃないの?」というふうに思われる方もいるのではないかと思うのです。

例えば前章では広島東洋カープの監督である緒方監督が怠慢なプレーをしていた野間選手に対して暴力を振るったということについて見ていったのですが、このように指導する立場と指導される立場の関係にあり、さらにその指導される立場の人間が怠慢な態度をとっていたとなれば「暴力も必要」というふうに考える方もいるのではないかと思うのですね。

このように教育現場、ないしは部活動の現場は基本的に『未熟な子供たち』と『良識のある大人』という構図が作られることから、例えそこに暴力があったとしても「それは正当な理由があってのものではないか?」「指導をするうえで必要なものなのではないか?」などというふうに見られやすい傾向があるのではないかということなのです。

皆さんのなかにも暴力や体罰は絶対に反対であるという方はたくさんいることだと思うのですが、それでもそのなかには「理不尽な暴力は反対」「正当な理由のない体罰は絶対にダメである」というふうに考えており、逆に学校の生徒や部活動の選手があまりにも人を舐めた態度をとったり他の子供たちをいじめたりなどしていれば教育や指導をするうえで暴力を振るってもいいというふうに考える方もいるのではないかと思うのですね。

皆さんが「理不尽な暴力には反対」という立場なのか、それとも「どれだけ正当な理由があったとしても暴力には反対」という立場なのかは分からないのですが、それでも体罰に反対されてるという方のなかには「反対なのは理不尽な暴力だけであり、ときには暴力も必要だと思う」という方も少なからずいるのではないかと思うのです。

そして教育現場の暴力はやはり一般社会での暴力よりも「正当な理由があってのものである」という印象が強いからこそ、ある程度容認されるような傾向があるのではないかと思うのですね。

まぁ個人的には教育現場からはあらゆる暴力をなくす、すなわちどれだけ正当な理由があったとしても暴力は振るわないようにしようという方針にするのが最も良いのではないかと考えているのですが、それでもそのようには思わないという方も一定数いるのではないかと思うのです(-_-;)

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