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恋する小田倉麗奈/櫻坂46

『夏の近道』彼女だけのストーリー

冒頭の教室のシーンのあと、Bメロにさしかかったタイミングで学生服たちの流れに逆らって一人振り返る彼女。うつむいていた視線を上げたその先には、シルエットの二人(村井・山下)が立っている。

『夏の近道』主人公感があるシチュエーション

このまま流れに身をまかせていけば楽な人生かもしれない。でも彼女たちは自分の道を見つけ出す。そして1サビに入るところで最初に駆け出すのが小田倉麗奈なのだ(たまたまだけどライブで最初に花道に駆け出すのも彼女だ)。この教室のシーンから駆け出すところまでの一連の流れが一番はっきりと描かれているのが小田倉の物語である。

『夏の近道』上記カットとの対照になっている

間奏後の大サビで衣装が変わり体育館のシーンへ。的野、遠藤、中嶋とリップシーンが続き、最後に映るのは「あれ、こんな娘いたっけ?」と思うほど印象が変わる小田倉である。そして、ラスト直前で村井・山下のダンスを引き継いでターンのカットが挿入され、視線の先にいた二人と自分が同一化していることが示される。このように曲調が切り替わるポイントに意図的に配置され、彼女の表現によってひとつのストーリーが見えてくるように編集されていると思う。
演技なのかナチュラルなものなのか、初めてのMVでまだまだ一等星ではないかもしれないが、はっきりと存在感を残している。

『静寂の暴力』何度目かの孤独

2作目のMVでは小田倉麗奈の表情をほとんど見ることができない。この楽曲は「新参者」「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE 」で観ることができるが、MVのときから、11人の解釈が変わってきていて、静寂の暴力にさらされている者とそれに立ち向かう者に大きく分かれる。前者は山下や向井、村山、後者は小田倉や中嶋、遠藤……といった感じ。

『静寂の暴力』3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE:向井との対比
『静寂の暴力』新参者:小田倉は視線を落とさない

小田倉の強い視線から感じるのは、暴力は何度も訪れてくるものであり打ち克つ対象であるということだ。『夏の近道』ではまだ曖昧だった表現への意思が徐々に形になってきた。

『マモリビト』眼差しの最大値

観る対象への想いの強さが、彼女の眼差しの強さになる。それがメンバーのとき最大値になるんだろう。『マモリビト』での石森とのカットは、多くを物語っている。

『マモリビト』眼で語りかける

「恋する」眼差し、といえばいいのか。
気がつくと小田倉麗奈に恋する自分を発見するのだ。

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