危機的なのは日向坂のほうかもしれない——日向坂46 小坂の帰還と渡邉の離脱

渡邉美穂の卒業が発表された。

ひな誕祭は映像で観る限りだったけど「あれ、彼女たちはこんなに没個性だったっけ…?」と自分を疑った。W-KEYAKI FESのときとメンバーは変わってないはずなのに。丹生の『ドレミソラシド』、金村の『青春の馬』など、センターが変わったときに楽曲の色も変化する印象があったのに、そういう楽曲ごとの凸凹感というかメリハリ感が失われているような気がした。(追記:舞台演出やカメラワークのせいもあったろう。照明がちょっとかわいそうな感じだった)
アイドルとしての完成度が上がるほど、一人ひとりの個性が失われていくのだろうか。2021年に入った頃からメディア露出が格段に増えた日向坂は消費される側に入ってしまったの確かだ。コンテンツとして消費されていくのはアイドルの宿命である。
(追記:日向坂は物語・ドラマのフォーマットが多く、本人たちもそれに沿っている感がある。3年目のデビューとか、2年越しの東京ドームとか、センターの離脱・復帰とか。これらは消費されやすいコンテンツとして生成される)

7thシングルのセンターは復帰したばかりの小坂に。復帰お祝いの意味合いもあるだろうけど、彼女以外でセンターをまかせられるメンバーがいない……というのが露呈してしまったのではないか。かつて欅坂がセンターとバックダンサーと揶揄されたような状態が日向坂でできつつある。実際の人気やミーグリとかメディアの露出度とかを抜きにした、楽曲パフォーマンスだけで考えると、センターに小坂を置いたら、あとフロントメンバーすら誰を選んでもいいような感じになってしまう。(追記:今のフロントがダメというわけでなく)

(追記:先のライブでは)渡邉は一人で戦ってた(ように見えた)。そして、彼女は主戦場を変える。
危機的なのは日向坂のほうかもしれない。

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