結構これは大切で、まわりに迷惑をかけてはいけない呪縛で自分ひとりで悶々と悩んで時間が経過してより一層焦ってヘマをしてしまう人いると思うんですよね。本人は人一番悩んだり、考えているけど評価されないパターンでとても不幸だと思います。
ただこれは人に何か他の事をしたら失礼だと思われないかというのも結局自分の見られ方で、迷惑をかけないってのも結局自分ができるように見られたいというある意識もどこかにあった
昔から人間関係を良好に保つのが苦手でした。
「Aがうざいから省こうぜ」とか「おまえうざいんだよ」と言われて暴力を振るわれたりと、人間関係が悪くなるとよくとられる行動ですね。私はそのように周りからそのような態度をとられてきたため、つくづく人と接することが嫌いでした。無論、少人数でしたが、理解してくれていまも仲良く付き合ってる友達もいます。そんなことはさておき、人間関係なんてとても面倒だと感じています
上の記事は、今朝の朝日新聞の『貴戸理恵さんの十人十色』。
「どうか、無理して人並み以上に働こうとはしないで」。雇用と収入はを保障されて仕事することは、本来であれば特に「恵まれたこと」ではなく、単に「普通のこと」なのだから。
「しんどい人に寄り添う人」が、スーパーマンではなく「普通の人」であることに、社会の希望はあると、もう一度認識し直したい。
(引用終了)
ぼくが、拠り所にしている言葉があ
「なんで、そんなことを言うんだろう?」
なんて思ったことも、数知れず。自分が予期していた動きと、相手の実際の動きが全然違うことに気づいては、どうしようもなく、腹が立つ。
「そんな気持ちの高ぶりを、何回繰り返したんだろう?」
そうやって高ぶった気持ちを押さえつけるために、また少し、時間を失ってく。
そうやった。そういえば、また忘れてた。相手の気持ちも、発する言葉の一つすらも、自分にはコントロ
日常生活の中で「あ!これだ!」とか「いいかもしれない!」とか「この人だ!」とひらめくことってあるじゃないですか。
こんなふうにインスピレーションが降りてきたり、何かと繋がった瞬間は誰もが経験あると思うのですが、自分ができることや体験していることは、極めて普通のことであって大したことではないとか、たまたま起こったことだとして片付けてしまいがちなんです。
でもね、これは明らかに「お知らせ」だと思うの
いじめやクレーム夫婦の口喧嘩まで、
世の中の大小ある様々な問題は
気持ちが満たされていないことが原因で、
起きていることが多いと思う。
解決したと思っていても
当事者の子供が愚痴をこぼしていたり
学校に行けない状態であったり
適切なサービスを受けられると思っていたが
駄々草にされたと感じたり
言葉の不足で自分は十分に対処したつもりでも
伝わっていなくて、激昂されたり。
人の気持ちに寄り添う