破壊的言論

なにかを否定することは、非常に容易に言論をセンセーショナルにできる。人々が時間をかけて積み上げたスタイルや手法を否定することで、認知されている巨大な物の上にマウントを取ることができるからである。発言者を、既存の概念を超越した者のように見せることができる。また往々にして、壊すことは作るより簡単である。ジェンガをイメージしてもらいたい。

それと同時に、優れた批判は最も知的な活動のひとつである。無意識の通念を疑い新しい何かを模索することは、慣例に従って積み上げることよりも気力や体力を要することが多い。

破壊的言論を、レトリックではなく創造として発することができるかどうかは、結局それを機能させれるか(人や手を動かせるか)によるのだろうね〜

たとえば「アイデアを否定するのであれば代案を出せ」ってよく言うけど、正確には「アイデアを否定するのであればその否定を機能させろ」だと思います。

おわり!

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