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田舎暮らしの福音としてのインターネット

ボクは都会っ子で、田舎に住んだことがない。友達を作るのが苦手で、話すことが全くない日はざらだった。それでも生きていけたのは、都会だったからだと思う。物理的になんでもある場所。東京。紀伊国屋書店、タワーレコード、パイドパイパーハウス、レントゲン藝術研究所、ル・シネマ、岩波ホール、ロフトとかいっぱいの古着屋。

インターネットが普及しはじめた頃、だいたい1995年から2000年にかけて。ひょっとしたら都会じゃなくても生きていけるんじゃないかと思ったりもした。アマゾン。ボクは音楽がなければ生きていけないから、アマゾンでCDが買えるならそれでいいじゃないか。どうせ人付き合いは苦手だ。ブログやはてなブックマークが盛んだったこの時期でも、ボクはそれほど積極的にコミュニケーションをしなかった。

いまは、もっと便利になった。音楽はスポティファイ、映画はネットフリックスでほぼ事足りる。アマゾンで売ってないような個性的な服もいろんなネットショップで買える。それでも、やっぱり田舎では生きていけない気がする。

好きなアーティストのライブをよくやる下北沢の『風知空知』は東京にしかない。いまは音源よりもライブ。おいしい食事処や呑み屋も東京は数が多い。カレー屋なんて、ボクは東京か大阪じゃなければできなかったと思う。材料はほぼアマゾンで揃うし、YouTubeやクックパッドで作り方はわかる。でも、たくさん食べ歩かないと、自分の味にたどり着けない。

都会はやっぱり人が多いから、話が合う人に出会える。相当マニアックな会話でも成立する。人が多いというのは、それだけですごいことなんだ。カウンターでひとり呑みしてて、『行け!行け!川口浩』を口ずさんで、カウンター越しの店長が続きを歌って拾ってくれるとか。普通の会話は相変わらず苦手だけど、趣味の会話は楽しい。趣味の会話のライブ感はチャットやツイッターにはない。「わたしをミテミテ」と「スキスキスキ」というマシンガンをインターネットという無限の空間に撃ち込むだけ。インスタグラムにしても、いまのツイッターにしても、リアルの拡声装置であり、ラウドスピーカーですからね。リアルが前提にある。ボルダリングの壁すらインスタグラムで探す時代。

インターネットは田舎に住む人たちの福音だろうと想像はできるけど、ボクはやっぱり田舎では生きていけない気がする。

今風に言えば、インターネットのエクスペリエンスとライブのエクスペリエンスは違う。得意分野が違う。

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