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わからないまま大人になる

中野区本町に住んでいたのは、ほんの40年前のこととです。(ほんのね)

マンションの9階。
ベランダからは遠くに新宿のビル群が広がっていました。夜景が星よりも輝いていました。上空と地上の狭間の光は私を何時間も飽きさせることなく、遅くまで帰ってこない親の代わりに私の心を埋めてくれました。

その景色も忘れられませんが

明るい時間の空も私の目を釘付けにしていました。


友達と遊べない日

一人で開け放した窓の外を眺めています。

ぷかぷかと楕円形の物体が横切ります。

ふーふわーふー

じーーー

・・・   ・・・

それは巨大で

お、おお~

となりました。

口をぽかんと開けっぱなしで、おそる恐る見送ります。

まだ小学校にも上がっていない私の頭では、
それは何か?を考えるのも、その姿を受け入れるのも違う。

ただ呆然と、その悠々と空中を浮かぶ物体を見送るのです。


親が帰ってくると報告します。

「なんかおおきいのがとおった!」

「うちのまえをとおった!」

「ういていたんだよ!」


それが音もなく突如、目前に表れる度に
私は恐怖心を押さえて興味のままにじーっと通り過ぎるのを眺めます。
時には手が届きそうなほど近くをかすめて行く姿に硬直し、
過ぎ去った後に小躍りをして興奮を収めます。

夜になり、

「きょうもとおった!」

と報告する私に親は驚きもせずに笑っています。

親にはそれが何かわかっていて、取るに足らない風景だったのでしょうか。

「ゆーふぉーかも!」

「ゆふぉーよりおっきい!」

UFOの大きさ
知りませんけれど😂そんなことを言ったと思います。


ついに親は


「気球かしらね?」


みたいなことを言ったと思います。

それ以上の説明はありませんでした。

それが尚更不思議で、大人が受け入れない虚像のように思っていました。

今だから

そう表現できます。

そして今だから

それはちゃんとした現実だったとわかります。


アナログで育った私には、何でも検索するのがちょっと怖い。

なぜか幼少の景色を思い返すと不思議な気分になる。

だけど昨日


気球。

検索・・・

出てきた気球の画像に混じって、私の見ていたものがありました。



飛行船。


これか。



これが幼い私の目の前を通っていたのか・・

・・・巨大だ😮

あの頃を想い出して画面を直視できない(; ;)


夢でも空想でもなく

飛行船が空を浮いていたのですね。


幼い日に見ていたものは全てが不思議で仕方がありませんでした。
だけど、大人と子どもには距離があって、親は私が何を見てどう感じているかとか、知りたいことは何なのかとか、そういうことには無関心でした。

放牧されていた

子ども。

その時に

蓄えられた

想像力。

何ヶ月も何年も、不思議を抱える楽しさって言うのかな。

調べればどんなことでもすぐにわかる世の中になったけど、

わからないまま大人になるのも悪くない。


今思えば

あの時間が

素敵だったから。


すぐに調べなくても

良い事って

たくさんある気がする。