見出し画像

しかがみさま 第一章 第七夜

第七夜 お預け

「ちょっくら行ってくるわ」
じいちゃんはそう言って愛車の軽トラと共に姿を消してしまった。夕飯に食べろと言わんばかりにパラパラのチャーハンを置いて。
これではしかがみさまの話が聞けないではないか。美緒も何故かは知らないが怒り心頭の様で、話しかけても生返事しかしない。顔色もどこかくすんでいて、こちらが心配になるくらいだった。
「…チャーハン食べる?」
沈黙に耐えかねてそう声を絞り出す。先程まで生返事ばかりだった美緒は、不意に正気を取り戻したように1拍息を詰まらせた後、
「あ、うん。食べよっかな」
と曖昧に答えた。
「手ぇ洗ってくる!」
美緒はまるで何かから逃げる様にして洗面台の方へ向かってしまった。俺も手を洗いたかったけど、何故か今美緒を追いかけたらいけない気がした。結局、俺は美緒が帰ってきてラップのかけられたチャーハンの1つの前に座った後、洗面台に向かった。
昔の家に多い気がするが、蛇口の取っ手を押し上げるとシャワーの様に放射状に勢い良く水が飛出てきた。その水が差し出した腕に弾かれてシンク中に散らばる。水の勢いが強すぎて、痛みすら感じる始末だ。美緒はこんな水で手を洗ったのだろうか。
居間に戻ると、美緒はチャーハンを食べずに、それをジッと見つめていた。
「は?まだ食べてなかったん?食べてて良かったのに」
そう言うと、美緒はボーッとしていたのかハッとしたように
「え、あ、いや、健太が来てから一緒に食べようかなって」
困った様に眉尻を下げて笑うものだから、それ以上何か言う事は出来なかった。
俺はすっかり熱気を奪われたチャーハンを哀れんで、レンジへチャーハンを放り込む。
「チャーハン冷たくない?美緒あっためんでいいの?」
美緒は聞こえているのかいないのか、唸る様に生返事を繰り返し、冷えているであろうチャーハンにスプーンを入れ、女子には似合わない大口を開けて、これまたスプーン1杯と思えないような量のチャーハンを頬張った。
あっためたチャーハンに、冷蔵庫からかっさらってきたチーズをパラリとかけて居間のローテーブルへ戻る。湯気がもうもうと立ち上るチャーハンは美味しそうでは言い表せない位濃厚な香りが鼻腔をくすぐって、腹の虫が空腹を訴えて唸りを上げた。
チーズの香りが漂っている事に気づいたのか、美緒が信じられないものを見る様な目でこちらを見てきた。
「え、チーズかけたん?」
あまりにも当たり前の質問に、俺は軽く受け流す様に答える。
「おう。あったり前じゃん」
うげぇ、と言うように舌をべーっと押し出して、美緒は抗議するように言う。
「やばぁ。邪道じゃん。邪道」
美緒の顔の前にチーズの香りが漂うチャーハンを差し出すと、やめろと言わんばかりに手で押し返される。
「うえー、不味そう。匂い無理だわ。吐きそう」
酷い言いようである。何はともあれ俺もいい加減腹が減ったので、台所から持ってきた大きなスプーンでチャーハンを掬う。びよーんとチーズが伸びてまるで橋の様になった所をかぶりつくと、チーズの濃厚でまろやかな味と、チャーハンのガツンとした旨みが綯い交ぜになって喉を通る。
「うま!」
思わず天を仰ぐ様にして美味しさに感激してしまう。
美緒は美緒で、冷えたチャーハンをはふはふ頬張っていた。
じいちゃん特製のチャーハンの美味しさは布団に入っても忘れられなかった。明日の俺に洗い物を託し、風呂と歯磨きを済ませてもじいちゃんは戻って来ず、その中で唯一チャーハンは変わらない美味しさを輝かせていた。
美緒は布団を別の部屋に持っていき、俺だけが1人広い居間で寝る事になった。
チク、タク、カチ、カチ。掛け時計の秒針が振れる度、謎の焦りを感じるのは何故だろう。そうした中で俺は夢へと吸い込まれて行った。


━━━━━━━━━━━

目を覚ました時、それはどこかで見た様な清々しいまでの青空だった。
少し小高い所で寝転んでいたようで、起き上がると視界の隅まで水平線がなだらかに映り込んだ。
「メェ」
と小さな声が後方で聞こえて、思わずそちらを勢い良く振り返る。すると背を暑苦しいほどの日光で金色に照らす子ヤギが目に入った。
それを見た瞬間、あぁ、良かったヤギを見つけた。と言う安堵が胸に広がって、身体中の力が抜けた。子ヤギはニコニコ笑う様に楽しそうで、随分とご機嫌らしい。
遠くから、「おぉーい」と呼びかける声が聞こえ、答えるように俺も「おぉーい」と叫んだ。
すると、声のした方からアキラがひょっこり現れた。
「ケンタ!探したぞ。子ヤギは見つかったんか?」
俺はニカッと笑う。
「おうよ。見ろよこれ」
俺は子ヤギを持ち上げて見せつけた。
「よっしゃ!怒られずに済む!」
なんてアキラが抜かすものだから、俺はムッとして言う。
「俺が見つけてやったんだけど?」
「そうだよな。ありがとーございます神様仏様ケンタ様」
アキラは取って付けたような感謝を述べた。
「…なぁ、変な質問していい?」
俺はふと頭によぎる疑問を告げる。
「聖なる子鹿ってさ…何だっけ。何でコイツはそんなのに擬態させてんの?」

アキラは真顔になった。目がかっぴらいていて、こっちを向いているのに焦点が微妙に合ってない。地雷だったか、と前言撤回しようとしたら、アキラは口をもそもそ動かした。
「《聖なる子鹿》は、しかがみさまになれるんだ」
「しかがみさまになれる唯一の存在だ」
「だからしかがみさまは《聖なる子鹿》を守る。自身の生命いのちにかえてでも」
「だから村の子ヤギには《聖なる子鹿》の印を付けるんだ。脱走してもしかがみさまが守ってくれる様に」

そこまで一息で言うと、アキラは悲しげに笑った。
「こんなの、お前の設定次第なんだけどな」
と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?