バブルの頃#76:子会社設立

1990年5月
ドイツ本社100%出資の日本法人を設立した。将来的に年商250億のジャパンに移行することをねらったもので、まずサブブランドを扱う子会社として、本社のアニュアルレポートに社名が掲載されることになった。

本社がすでに買収したブランドは5個あった。いずれも日本に販売代理店があり、まず日本の代理店と本社の間に入って、本社代行機関として自己主張していく。ブランドイメージ向上のためのマーケティング費用は代理店が持つ。ブランド使用料が会社の収入となる。売り上げが約束した額にいかなければ、代理店契約の延長をしないというカードがあるので、これをチラつかせる。

子会社といっても、日本法人設立準備室のダミーみたいなもので、役員とスタッフは準備室のメンバーが兼任している。人件費をはじめ主要なコストは準備室が負担しているので、この子会社が売り上げると粗利がほとんど利益となってしまう。利益は日本でプールすることになっているので、キャッシュがたまる構造となる。準備室が本社直属の子会社を設立したことで、既存のディストリビュータとの覇権争いが本格的に始まった。

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