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noteに何を書いたらいいのかわからない-脳内の交通渋滞-

 もうずいぶんとnoteの更新が滞ってしまっていた。私は現在、大学院に提出する論文の執筆に追われている。そちらがあまりにも切羽詰まっているのでなかなかnoteのことを考えられない日々が続いている。そして、論文と日々格闘する中で、書きたいことはたくさんあるのに頭の中で交通渋滞を起こしていて、ぐちゃぐちゃになってしまっているんだなということだけはなんとかわかっている。その渋滞をどう解消したらいいのかわからず、noteにも何を書いたらいいのかいいのかわからず、こんなタイトルのこんな文章になってしまった。交通警備の人が私の頭の中にいないみたいだ。次々と車が玉突き事故を起こしかけている。

岸政彦は、「研究とは書くことです」というようなことをたしか調査法の本の中で言っていた。それを読んだとき、当たり前のその言葉を、私は改めて啓示を受けるような気持ちで受け取った。私の中で研究とは、頭の中の玉突き事故を起こさないように交通警備をすることに似ているかもしれない。ぐちゃぐちゃの頭の中を整理すること。

卒論執筆中から「研究」みたいなことをやってきているが、自分の中ではやってきているらしい、という感覚があるだけだ。「読んで、調べて、書くということが研究というらしいよ」みたいな人ごとのような言葉を他の研究者の人も言っていた。「気づいたらやっていた」というニュアンスがそこには漂っていた。私もたぶん、気づいたらやっていた、に近いかもしれない。自分の中で「研究」というと、どうもビーカーと試験管を手にもって白衣を着ている人たちが神妙な顔でやっているというステレオタイプがある。「研究」という言葉にまとわりつく私の中のイメージはそれだ。だから自分がいったい何をしているのかよくわからない。ひたすら頭の中で交通渋滞しているのを眺めている感じに近いのである。

何が言いたいのかわからないけど、とりあえずこの交通渋滞を少しでも緩和できたらいいな、ということを思う。(というか切に願う。)

渋滞にはまっているとき、焦っても前の車が動くとは限らない。いかに今の状況の中で情報を探りだし、焦らずにできることをやるか、それのみだと思う。窓を開けて、空気の悪い車内を少しでもよくしてみたり、車で待つことに飽きたら、車を降りて歩いてみたりしてもいい。焦らず、頼りない一言でもいいから、アウトプットし続けていきたい。さて、部屋での缶詰にも飽きたので、私は外の空気を吸いに行くとしよう。

みなさんも秋晴れの素敵な午後を。

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