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はじめまして!

私が20歳でデンマークへ行く事になるきっかけとして、幼い頃の経験や両親の考え方による影響力は切っても切り離せない事なので、まずはそこから綴っていこうと思います。

1980年代、私は家族5人でノルウェーの小さな街に1年間滞在した経験があります。当時の家族構成は父、母、兄、姉、私。帰国後に妹が生まれますが、当時は3人兄妹で末の私は2歳でした。まだまだ小さな私たちを連れて、言葉も文化も異なる慣れない海外で1年間暮らすという事がどれだけ大変な事か…今、自分が母親になってみて初めて分かった気がします。

そもそも何故ノルウェーへ❓

父の仕事の関係で…と言っても父は自営業の陶芸家。会社の海外赴任という訳でもなく、その流れになったのには理由がありました。

1970年、大阪で万国博覧会があった時に京都でクラフトフェアという展示会がありました。そこに父の作った陶器を出展していたところ、ノルウェーから来ていたデザインセンターの所長が父の陶器にとても興味を持ってくれたそうです。そして父の方も以前から北欧に興味を持っていたので、その方に「自分は北欧に興味がある」ということを事を伝えました。その事が縁で、父はノルウェーの北海沿岸に位置する港湾都市、スタヴァンガーという街へ後に滞在する事になったのです。これが最初の北欧との接点となりました。

当時、日本から持ち出せるお金は1000ドル(当時で約36万円)までという決まりがあったため、父の滞在費はわずかでした。経済的には厳しかった様ですが、そこでホームステイをしながら結果的には2年半暮らす事になるのです。

自らの手でアトリエを建てる

一度帰国した父ですが、日本で少しずつ陶芸家として活動しながらもノルウェーで再び暮らしたいという想いが募っていきました。しかし、祖母(父の実母)の勧めにより縁あって広島の山あいに自分のアトリエを建てることになりました。

大阪のビジネス街で生まれ育った父ですが、帰国後の拠点に選んだのは広島市街から車で1時間程度の山間部。最初は大工さんに手伝ってもらいながら自分のアトリエを建て始めます。ある程度基礎を学んだ後は自分で少しずつ増設していきます。陶器と家を創りながら愛犬と暮らす日々。地元の人々が「変わり者が来たな。自分で家を建てる?そんな事ができる訳ないだろう。」と思っている中で、真冬の雪が舞う季節に、その変わり者の父に興味を持った一人の女性が訪ねて来ました。

母との出会い

その女性とは、後に父と結婚し4人の子供を育てる私の母なのです。父と初対面の時、母が手土産に持っていった高級なお菓子を愛犬に食べさせる姿にビックリしたとか。そう、父にとっては家族同然なのでしょうが…(笑)。父と母はこの出会いから3ヶ月後に結婚しました。父32歳、母26歳の時でした。二人が共に生活し子育てをしていく中で、母は父の考え方になかなか理解できない部分がありました。 

母は美術大学出身なので、芸術に関しては理解もありお互いにとって良きパートナーです。それは今も昔も変わらないと思います。

ノルウェーからの来客

ある時、父がノルウェーでお世話になっていた方が来日し広島の我が家を訪ねて来たそうです。その時に「またノルウェーへ来たらどうだい?」と言われたのを聞いた母はすっかりその気になりました。何年も経った後から、「もしかしてあれはお愛想だったのかな?」と言っておりましたが、すぐその気になるあたりがとっても母らしいです。

その後、幼い子供3人を育てながら渡欧の準備を始め、1年後の春にはノルウェーへ渡ります。

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