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私の最悪な誕生日

 私の誕生日は4月半ばである。なんでも両親は早生まれ狙いだったらしいのだが(うちは両親ともに早生まれである)、私はどうも母のおなかの中の居心地がすんご~く良かったみたいで、母は「3月中に出てきてくれたらいいな~」と考えていたらしいのだがあっという間に予定日を大幅にぶっちぎって4月も半ば、とりあえず入院となり主治医に「明日出てこなかったら帝王切開ね~」と言われたが最後よーいドン、そこからは何時間もかからずに出てきたらしい(80年代の話なので今だったらどうするかは知らない)。中の人(私)としては当時から基本的な性格は変わっていないんだなと思う次第である。
 さて、元ネタは知らないのだがうちの母は一年中で一番運気が下がるのは誕生日だとしばしば口にする。私が浮かれまくってケガをするのを防ぐためではないかと思えなくもない。しかし母がそう言うのもあって、私は誕生日近辺はできるだけ気をつけて過ごすようにしているが、気をつけていても防げなかった誕生日をふたつ紹介したい。

1. 高校2年生のときの誕生日

 6時間目が体育だった。そして私は運動神経が悪いというか多分無い。スキップはできるがボールを前方に投げることはできない。ドッジボールは基本逃げ役だ。当たるけど。
 その日の体育はハードルだった。あんなんいつ跳んでいいかわかるわけがない。それでも直前まで行けば跳ぼうと思えば跳べる、いや跨げる?のだが、授業終了間際に跳んだのがまずかった。へたに跳んだものなので右足が明らかに不自然な形で着地した。そしてあり得ないほうを向いて転んだ。とりあえずその後はもう歩けなかった。
 放課後に担当の先生が研修だか何だかでとりあえず先生は「大丈夫か?大丈夫か?」と繰り返しながらすぐにいなくなった。人生初めての松葉杖を持ってきてくれて、あろうことか高校の後ろの整形外科まで付き添ってくれたのは1年生の時に同じクラスだった女神ゆうこさんである。ゆうこさん元気かな。(※私の高校は女子が少なく体育は3クラス合同だった。そのため2年は違うクラスになった女神様ゆうこさんも一緒に授業を受けていた)
 その日からしばらくは強烈な匂いを放つ湿布をし、かかとを高くして(そうすると楽に歩けた)学校に行っていた。席の近かったクラスメートはさぞや香害、もとい臭害で迷惑したことと思う。本当に申し訳なかった。足自体は1か月強通院して治った。というかもう途中で面倒になってしまって行くのをやめた。
 この年の誕生日の経験によって母が言っていた「一年で一番運気が下がるのは~」が頭に入った。それまでは二つ返事レベルだった。

2. モスクワ留学1年目の誕生日

 個人的に最悪の誕生日はこちら。モスクワ留学一年目というと以前書いたのりちゃんの話の年であるが、この記事でふれたカントゥのコンクールへの出発前に事件は起きた。
 コンクールに行くためにモスクワからミラノまでの航空券を買わなければならず、必要経費をユーロで持っていた私は市街地にある自動両替機でルーブルに両替しようとしていた。当時ユーロは160円くらいだったと記憶している(2007年)。両替所は市内にたくさんあり、係の人と透明の壁一枚隔て、両替したい通貨とパスポートを引き出しのような入れ物を互いに行き来させることで交換する(イメージできるだろうか…)。両替後の計算書をよく確認するのも大事で、ちゃんとその通りの額があるか、実は私たちの死角にいくらか別に置いてたりしないかなど確認しなければならない(急いでいて確認しないと、その死角に置かれた分等を取らないで終わることがある。残された-忘れられた死角分はどうなるかというと、まあ恐らく係の方がくすねるのだろう)。そんな気苦労をすることがないということでモスクワにきてすぐ先輩が教えてくれた自動両替機は確かに気楽だったし、何度か利用してもいた。
 その日私がどのくらいの額をその自動両替機に入れたのかははっきりとは覚えてないのだが、多分少なくとも350、もしかしたら600ユーロくらい入れていたかもしれない。ATMのようながーっという音のあと、お、ルーブル出てくるかなと思ったらなんと出てきたのは

НЕ РАБОТАЕТ

 …という画面。働いてないつまり両替停止とかなんかそういうことだよ!やってませんってことだよ!ロシア来て一年足らずの私もそこはわかったよ!この機械私の何百ユーロか飲み込んだまんま止まったよ!
 その場には警備員がいた。つたないロシア語で「これどうすんの、止まったんだけど」と言ったら「知らん」としか返ってこない。確かに知らんと思う。しかししつこくしつこくきいていたら奥にその両替機を置いた銀行の人がいることがわかり、「機械に金入れたらそのまま止まったから金返せ」みたいな請願書を書けという話になる。私ロシア語1年未満、書くのニガテ。でも書いた。へとへとになって帰宅後電話がきて、いついつの何時に銀行の本店に来いと言われる…その日、私24歳の誕生日だわ。さすがに母の言葉を思い出さずにはいられなかった…。

 そして誕生日当日。行った本店はまさに要塞、セキュリティに次ぐセキュリティ。本当に私がこんなところに入っていっていいのかと思うレベル。指示されたところで待っていたら、信じられないくらいきれいな女の人が私を迎えてくれた。そして飾り気が一切なく、ほとんど迷路のような本店の建物の中をやれあっちにサインだ、ここじゃなくてあっちの窓口だ、ここじゃないあっちだ、あとこれにサイン、これいらないからこっちにサイン、いやあっちの窓口だとたらい回しにされ(案内の女性はおそらく社員だったろうに、それでもこんなことになった)、また違う窓口に案内されそうになったその時、その女性が窓口スタッフに言った。
「この子!言葉もあんまりわかんないところで、しかも誕生日にこんなことしてんのよ!早く出してあげなさいよ!」

 拍子抜けするほどあっさりお金が返ってきた。
 寮に帰って、夜はマーシャたちとパーティーした。おしまい

今年も、もうすぐ私の誕生日

 20歳(大学2年)の誕生日、他大4年生の彼氏に私の誕生日よりサークルの新歓を優先された時は強い酒を煽って泣いて寝た。しょうがないとはいえあれは忘れられない。ここ数年では、2016年だか17年だかに誕生日に湯沢に連れて行ってもらうことになり本当に楽しみにしていたら(知ってる人は知っている、私は中3までスキーをやっていたんです!受験終わって行った春スキーでリフト降りられなくて転んで頭打って以来行ってないけど!湯沢はほんとよく行きました、またスキーやりたいな)、聞いたこともないビジュアル系バンドのファンイベント(お泊まりイベントらしい)と一緒になってしまってチェックインから大浴場への行き帰り、食事、翌朝チェックアウトに至るまでえらい目に遭った。この時はさすがにクレーム入れた。
 今年は多分、おうちで夫とごはんだろう。何作ろう、何食べよう。お酒も飲みたい。子供はなぜかケーキが嫌いだ。。もう祝うような歳ではないけれど、それでも誕生日が一年に一度の特別な日であるのは間違い無い。

 モスクワに5年近く住んで、ロシア語の誕生日の歌の定番が何なのかはよくわからないのだが、チェブラーシカのワニのゲーナの誕生日の歌のYoutubeがあったので貼っておく。毎日誰かの誕生日、毎日がみんなにとって良い日でありますように。


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ピアニスト、たまにロシア語通訳(現在育休中)。日中はミスター・不屈の魂の2歳児と格闘しており、恐らくピアノにあまり使わないであろう部位ばかり鍛えられています。一年中野球ばっかり見てる燕党。https://www.marienne.net/
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