#忘れられない先生 ①

 ピアノの話である。今まで習ったどの先生のことも忘れたことはない。良いことも悪いこともあったが忘れたことはない。その後の私と私の音楽語法を決定づけた故エレーナ・アシュケナージ先生との強く鮮烈な日々はもちろん、モスクワで師事したエレーナ・リヒテル先生との日々も語り尽くせない。
 実はもうおひとり「この人の話をせずして今の私はない」と言える先生がいる。21歳前後でほんの一年だけ個人的に師事した藤原亜美先生である。先生のスタジオに通ったのは本当に一年足らずだと思うが、残念ながらその年で藤原先生のレッスンを受けるまで、音楽を学びピアノを弾くことの何たるかをまるでわかっていなかったというのが正直なところだ。
 小中高と私がピアノを師事した先生のご専門は作曲だった、クラシックの勉強とは縁遠い環境であった我が家が私のために都会に引っ越し、なんのつてもない母が一生懸命タウンページで探してくれた先生だ、信じてついていき、そのことについて何か言いたいことはない。しかし私はある別の(作曲の)師から言われた「自分の専門以外に手を出してはいけません」は本当に真実だと思うし、ピアノを志す子には例外なくピアニストに師事しろと勧めるし、私自身最終的にモスクワでピアノ専攻で学んだことは何ら今の自分を作る上で間違いでなかったと断言できる。

 ともあれ藤原先生のレッスンを受けるまでの私はただのピアノを弾く人、ピアノの鍵盤をある程度のスピードで押せる人であった。発音から姿勢、考え方まで子供のように教えていただいたと言って良い。私は当時力を抜こう力を抜こうとしても力んでおり、音数が多くなりボリュームも出てくると肘から先が張って痛んでくるのが常だったが、なんと突然脱力した。このとき21歳、それが遅すぎるのか、そんなことどうでもいいのかはわからない。ただ、そうして現在「ほんとに全然力入ってないんだね…」と触られまくる腕を得るに至った。今も大人子供問わず姿勢、発音、力の抜き方などを教えることはとても多いが、9割方藤原先生のところでの経験がもとになっており、私の元生徒たち(特に大人になってから来てくれた方)を見てもそれはとても効果的な気がする。自画自賛。

 さて、藤原先生との出会いはもともとソルフェージュの生徒(と、先生)としてだった。ト音記号とへ音記号は読み慣れてまーす、その他はやればできるけど遅いよ?みたいな状態で大学inしちゃったもんで完全にソルフェは落ちこぼれ一直線だった私、かたや藤原先生は学生時代人並みはずれてソルフェができたらしい方である。芸大在学中にパリ音楽院に留学され、帰国後は現代音楽の分野でもそれはそれは目覚ましい活躍をされている才気あふれるピアニスト。あと美人。クールビューティ系。お若くして留学されたご苦労も幾度となく聞いた。当時の演奏を思い出すだに「端正」の二文字がふさわしく思える。フランスの作品はもちろんだが、記憶に強いのはエネスクやリパッティ、あとなぜかパステルナークのソナタを弾かれたこと。パステルナークって、あのパステルナークよ。

 私自身は当時から一応ロシアに行きたい気はあり、並行して様々なマスタークラスを受講していた。留学が決まった時もさっぱりとした性格そのままに喜んでくださった。実は私は留学から帰って以来お会いできていない。同郷だという先生から近況を小耳に挟んだりはしたけれど。
 藤原先生は師でもあるが、またライブでリサイタルを聴きたい演奏家の一人でもある。才気あふれる演奏をまた聴きたい。現代音楽もいい。早くまた演奏会ができる日々が戻ることを願う。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
ありがとうございます!
2
ピアニスト、ロシア語通訳に加え2021年2月から「ピアノの先生」という肩書が追加!さいたま市の北浦和・与野エリア「マリエンバード音楽教室」主宰。 日々ミスター・不屈の魂の3歳児と格闘中。年中野球ばっかり見てる燕党。教室web→ https://allstars.jp/