五時半のダリ

 ツイッターで知り合った女の子と初めて実際に会うことにしたぼくは、人が多すぎて結局待ち合わせには不向きなんじゃないのか、などと思いながらハチ公を横目に立っている。お待たせ、という声に振り向くと、そこにはケンタウロスが立っていた。
 風貌を伝えるのは嫌だ、恥ずかしい、と約束の段階で彼女は言っていた。だからぼくの格好だけを伝えておいて、見つけてもらうことにしたのだった。それにしたって、恥ずかしいと言うのであれば、着られる部分には服を着てくればよかったのに、とぼくは思った。筋肉質な胸部には、不釣り合いに柔らかそうな乳房が揺れている。馬部分はきれいな栗毛だった。わん、と一声ハチ公が鳴く。忍耐強い犬だと思う。
 じゃあ乗って、と彼女は言う。えくぼが特徴的な可愛らしい顔をしている。でも、とぼくはためらう。まず馬は歩道を走ってもよかったものだろうかと思ったのだ。確か軽車両扱いになるのではなかったか。ぼくは人一倍ルールに縛られて生きていて、だから警察のご厄介になるような面倒は極力避けたいのだった。ただでさえ人の多い渋谷だ。いかに下半身が走力に折り紙付きの馬だと言えど、駆け抜けてゆくのもむつかしい。急かすようにぼくに背を向けた彼女の肩にはゆるりと弓が携えられている。
 矢筒にはたっぷりと矢が備わっている。そんなにあからさまに危なそうな物を携帯するのはけしからんとぼくは思う。これでは誰かに注意されたとしてどうにもごまかしがきかない。裸なのだから服の下に隠すようなこともできない。しかし、とぼくは思う。法律がケンタウロスに適用されたものかどうか、ぼくは知らないのだ。
 彼女が怪訝そうにするものだから、仕方なくぼくは彼女の馬部分の背中に乗り、人部分の背中から手を前に回す。乳房に触れてしまい、彼女が短く声をあげた。決まりの悪いひとときが流れたが、お互いに悪い気分はしなかった。女性の胸に触れるのは初めてだった。きっとぼくの顔は、耳の端まで真っ赤になっていたことだと思う。背中に乗っていて良かったと思った。彼女にぼくの顔は見えない。しっかりつかまっててね、という彼女の声にぼくは頷き、支える腕の力を強める。胸に触れたいのか触れたくないのか、自分でもよくわからなかったけれど、強めの衝撃が加わればうっかり触ってしまいそうなところに手を置くことにした。
 彼女のもとへ何かを叫びながら警官が駆け寄ってきたのはその時で、ぼくの目の前で揺れていた、彼女の背に負われた弓は、ぼくを掠めることすらなく滑らかに彼女に携えられ、狙いを定めるための時間すら必要としないかのように、矢は、警官の眉間を射抜いていた。警官の周りに広がる血だまりには、どこから現れたものだか、蝶が集まってくる。きっと塩分が足りていないのだろう。どこかの絵で見たような、きれいな風景だった。空の色とのコントラストが素敵だ。照れくさそうな笑いをたたえながら、約束の場所に行こう、と彼女は言った。えくぼが映える顔をしている。
 いざ駆け出そうと彼女が一声嘶いたその瞬間、街はぐねぐねと形を失い、人々は黒々とした影と溶けた。蝶は空中で静止しているようで、地面には影が貼りついている。それは果たして影なのか、それとも溶けた蝶なのかはわからない。ひとまず影の人たちも楽しいに違いない。ふと気づけば対面にはいつからいたものだかケンタウロスの軍勢が現れていて、ぼくらの周りにも鼻息荒く軍隊が結成されている。すっかり景色が変わってしまいながら、しかしここは間違いなく渋谷なのだった。スクランブル交差点はスクランブルしていて、ケンタウロスたちは信号が青になるのを今や遅しと待ちわびている。行儀のいいケンタウロスたちに、ぼくは好感を覚える。もちろん、その筆頭は彼女であり、ぼくはどんどんと彼女に惹かれている。
 信号が変わり、そうして戦いの火ぶたは切って落とされたのだった。どこからか重たそうな電車の走る音が、警笛が、ぼくの耳に届く。これが終わったら彼女と結ばれるのだ、とぼくは決意する。情事に及ぶ時の距離感だけが心配だ。彼女の陰部はいったいどこにあるのだろう。馬部分にあるならば、少し具合が悪い。踏み台がないと届かない。いずれにせよ今、彼女の洞窟は公に開け放たれているはずだ。全裸なのだから。恥ずかしがっていた彼女の恥部。
 武器のスタンバイを不随意に始めてしまったぼくを置いて、いつの間にか遠くで戦っている彼女の掲げた旗に何が描かれているのか、ぼくにはよく見えなかった。

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