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東のエデンとエデンの東:新帝都カルイザワの章

さて、新帝都の森に潜む危険といえば何だろう?まず第一に思い浮かぶのがオオカミの氏族だ。彼らは強く、賢く、そして気高い。自らの縄張りに足を踏み入れる人間には容赦なく襲い掛かるであろう。第二に、サルの一族。どこから調達したものか、剣や槍、弓までも使いこなす恐るべき狩人であり、厄介な略奪者でもある。オオカミの縄張りに足を踏み入れ、小競り合いを起こすなどは日常茶飯事だ。そして最後に第三の脅威。それが我ら人類を完膚なきまでに打ちのめし、この星の新たなる支配者となった耳長族だ。まさに今、おれの腕を引いて茂みに連れ込もうとしている女が、そうである。

「見よ、二等市民。あのような果物、私は見たこともない。あれが食べたい。味を、匂いを知りたい。あの種子を私のものにしたい……」

五大陸を樹海に沈めた大地の覇者たる三千世界樹の尖兵、木の股より生まれし耳長族だが、いくら何でも出会ったばかりのおれを自分の家来のように使役するような横暴な種族ではない。おれが二等市民の地位との引き換えに、耳の長い彼女の家人となる契約を結んだのは半年前のことだった。彼女は「運命の女」だった。反抗的な三等市民が❝風刃❞でグラム単位にカットされるのを目の当たりにした直後のおれは、一も二も無く跪いて彼女が差し出した手の甲に口づけた。……そんな我が女主人が指し示す先にあるのブルーベリーに酷似した果実だった。林檎のように大きく育ったブルーベリーだ。

「何を躊躇している?肩車で私を担う栄誉を、お前に授けようというのに」

耳長族の女性は総じて、我ら旧人類の、特にオスに肩車をさせることを好むらしい。彼女が言うには『我々の祖先が馬を駆って草原で狩りをしていた時代の名残なのかもしれない』とのこと。ならば故郷では同胞である耳長族の男性に肩車をさせていたのだろうか?

「まさか。いくら何でも、そんな可哀想なことはさせられないだろう?」

……気が付いた時には、おれの首は弾力のある冷たい大腿部に、こめかみは桃の香りのする手によって抑えつけられていた。現実を直視しよう。人はそれを肩車と言うのだ。『心せよ、耳長族と対峙する者よ。お前の心が一瞬でも挫ければ、その時は……』預言者の言葉が脳裏に甦る。その時は……。

「……よしよし、収穫したぞよ。大儀であった、二等市民!」

狂った果実の収穫は既に終わっていた。おれは戦う前から負けていたのだ。意気消沈して、お嬢さんを降ろすべく屈みこむ。すると頸部にかかる圧力が瞬間的に強まった。率直に言って苦しい。ついでに変な声も出た。

「何をしている?……よもや、こんな茂みの中で私を降ろそうというのか?私の肌が傷ついたら如何にして責任をとるつもりなのだ?」

初めて会った時から疑問だった。元来、耳長族は森の住人だという。それにしては肌の露出(特に下肢)が多すぎはしないだろうか?薬や魔法で虫や草木から肌を守る手段があるのではないかと踏んでいたのだが、問い質そうとしたら明後日の方角を向いて口笛を吹きながら有耶無耶にされてしまった。

「ゴホゴホ!……んん、お前も男ならば責任を持って最後まで自分の仕事を成し遂げるのだ。具体的は、ほれ。私を担いだまま元の遊歩道まで戻るのだ。世界にただ一つ残された最後の陶磁器を運ぶような配慮と慎重さで……おい、言ったそばから揺らすな。揺らすなと言うに!待て!待って……」

第二ラウンド開始だ。千載一遇、お高くとまった新世界の支配者どもの鼻を明かしてやれる最初で最後のチャンスかもしれなかった。心が決まれば落ち着いてなどいられない。その場で跳んだり、屈んだり、風に揺れる柳のように上半身を左右に揺らしたり、くるくる回ったり、小刻みに振動したり、更に振動したり、極限まで仰向けに倒れるフリをしたり、力を使い果たして遊歩道までの最後の一歩で本当にうつ伏せに倒れるなどした。疲れた。

「ひッ……!お、おい。大丈夫かや、二等市民!?」

倒れたままで何か返事をしようとするや否や、突風で体を持ち上げられて竜巻で体勢をひっくり返される。一瞬の自由落下を経て、おれの頭はお嬢さんの膝枕に吸い込まれるようにして安置されていた。有無を言わさず例の果実を口にねじ込まれると、濃厚な甘味の暴力が口腔を蹂躙、次に鼻孔を突き刺し、脳天まで到達。それは宗教体験だった。……おれは意識を取り戻した。

「すまなかった、二等市民よ。私が愚かだった……」

鉄の女めいた耳長族のお嬢さんが啜り泣いている。二等市民が体勢を崩して転んだぐらいで大袈裟だとは思ったが、おれもやり過ぎを反省しなければなるまい。たとえ耳長族と我ら旧人類が対等な関係でなかったとしても、彼女がおれの身を真剣に案じていたのは紛れもない事実であったろうから。

「やはり短生種は、その短い生涯に於いて何ら学ぶことの無い獣……」

風向きが変わった。咄嗟に危険を感じて飛び上がって逃げ出そうとするも、それは果たせず首から下の感覚が一瞬にて喪失した。地面に横たわっている実感さえ消え失せる。視界の隅で何かが明滅していた。それは鎖だった。青白く光輝く魔法文字が鎖めいて連結して、おれの全身に巻き付いている。

「私はお前を甘やかし過ぎていた。私が愚かだったというのは、そういうことだ。お前のような無法者を躾もせずに野放しにしていたとあっては、この地に住まう同胞に合わせる顔が無い」

感覚の消え失せたおれの肉体が、おれの意志に反して起き上がる。そして跪いて鉄の女に項垂れた。まるで、あの日の焼き直しだった。

「お前の心意気を買う。今から第三ラウンドを始めるぞ。お前が絶対に勝利することのない第三ラウンドがな。私を肩車しろ。家路に就くのだ」

その夜、手を変え品を変え、おれの体を使った耳長族のゲームは第八ラウンドにまでもつれ込んだ。おれが挫けるよりも早く彼女の魔力が底を突いて、おれに勝利の無いゲームとやらは終了した。

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