見出し画像

コミュ障で社会に適応していない私が今までの人生を振り返る壮大な自分史(22)

前回、前々回と数学愛好会の先輩について紹介しました。
今回は数学科の面白い先生たちについて紹介します。

1. N先生

まずは数学愛好会の顧問の先生であるN先生を紹介します。
N先生は純粋に数学が好きといった50代中盤くらいの男性で、数学講師室の机にはたくさんの数学にまつわる書物が積んでありました。
あまりお金には興味がないようで、純粋に数学という学問が好きな先生です。

また、学校行事にもあまり興味がないようで、文化祭の準備にはほとんど参加しないどころか、当日もずっと講師室でのんびりしていました。
学校行事に関する姿勢は私と同じような考えを持っていたのです。

N先生にお金や投資の話をすると、全く興味がないと返ってきました。お金を目当てに数学を学ぶべきはないともおっしゃってました。まさにその通りです。
私も中学時代はお金とか関係なく純粋に数学が好きでした。ですが、高2くらいになると次第に数学への興味が薄れ、お金を稼ぎたいという思いが強くなりました。

今思えば、担任を持たずのびのびと数学に取り組んでいるN先生の生き方は気楽で楽しいのかなと少しだけ憧れるところもあります。

2. Y先生

Y先生も60歳くらいの男性です。
生徒たちからなぜか「ゲェゲェ」と呼ばれており、生徒からとても慕われている先生でした。
私はY先生と競馬という共通の趣味を持っており、その話題でよく盛り上がりました。
金曜日には競馬の話をするためにわざわざ数学科の講師室に行ったりしていました。
同じ数学科で競馬好きなO先生も交えて、週末に行われるレースの予想をしたこともあります。
やはり数学にかかわる人間の中には競馬好きが多いのかもしれません。

弁解するわけではありませんが、競馬や競輪を趣味にすることで場合の数や確率といった分野がかなり得意になりました。馬連や馬単、3連複の買い目が何点になるかを考えることで、数学をより身近な存在として感じることができるのです。まさに実学とでもいうのでしょうか。冗談はともかく、学んだことを普段使っていればそれだけ深く定着するのです。

高校生の時に何回か中山競馬場に足を運んだことがあります。未成年だったのでもちろん馬券は買っていません。颯爽と駆け抜けるサラブレッドたちの雄姿を間近で見ているのが楽しかったのです。競馬場に足を運んだ人なら分かると思いますが、現地で見るスピード感はテレビで見るそれとはまったく違います。

競馬場で観戦しているときにY先生と鉢合わせになったことが幾度かありました。その度に、帰って勉強しろとよく言われたものです。
Y先生は競馬場が良く似合うおじさんだったので、何も知らない人が競馬場でY先生を見かけたとしてもまさか高校の教師だとは想像もつかないでしょう。

3. K先生

K先生は1・2年時の数学の担当です。40代前半位の男性で、陽気で話が面白かったため生徒から人気がありました。
毎回授業の初めに、K先生の身近にあった話や芸能ネタ等面白い話をくれました。しかも、かなりの割合でトピックにまつわる写真を用意しており、今考えると毎回の授業に相当な労力をかけていたのだなと思います。

K先生の下の名前は競馬の冠名にも使われているため、それが使われている馬を見つけるとたまに単複で買ったりします。この冠名をもった人気薄の馬が桜花賞を勝利した時に買えなかったのが心残りです。

友人は講師室にいる

数学科の先生は個性的な人が多く、放課後に数学科の講師室に行くのが楽しかったです。暇さえあれば、講師室で競馬の話をしたり、日本の理数教育等について議論したりしました。
今思えば、クラス内よりも数学の講師室に友人がたくさんいたのです。

タテの繋がりを持とう

今回皆様に伝えたいのが、ヨコの繋がりだけでなくタテの繋がりを作ろうということです。
ヨコの繋がりは同学年の繋がり、タテの繋がりは先輩後輩や先生との関係性です。

友達が多いという若者の大半は、同学年の交友関係が広いだけでしょう。つまり、ヨコの繋がりは広くてもタテの繋がりはほとんどなかったりするものです。タテの繋がりが多少あったとしても先輩後輩といった狭い範囲内で、実質はヨコの繋がりの延長線に過ぎなかったりします。

社会に出たらタテの繋がりに晒される場面が格段に増えます。
上司部下の関係はもちろん、お客さんや取引先との関係を挙げれば親子以上の差が離れていることなんてざらにあります。

私は幸運なことに、高校時代にヨコの繋がりに偏ることなく、タテの繋がりも広げることができました。
タテヨコそれぞれの人間関係の重要性については、またの機会に書こうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?