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「広島の風」 #11

<ナイトクラブ>
 街の銀杏並木が寂しげな音を立てて風に散るころ、私は汽車に揺られて東京へやってきていた。
 終戦から四年の東京は日本の首都らしく、全国に先駆けて復興を遂げようとしているところであった。ビルディングの建設や道路工事に従事する男たちをいたるところで見ることができ、行き交う車の数は他都市の比ではなく、若い女性が身に纏う服地は明るい色彩を帯びたものが増えている。
 上京した私の目的は、朋輩のレジー川田に会うことであった。彼は此度のサンフランシスコ・アスレチック・クラブ来日の発案者であった。
 そのレジー川田と会う前に、急遽、松原昇太郎と会うことになった。松原はこの少し前に「SERVICE CENTER TOKYO」という組織を設立、日本の財界人や代議士のパージ解除に奔走する傍ら、日本野球連盟に理事格として入り込み、プロ野球の改革に乗り出そうとしているところであった。広島生まれ、アメリカ育ちという、私とは真逆のバックボーンを持ち、そして野球狂である彼とは相通ずるものを大いに感じた。以降、彼とは都度、酒を酌み交わし、親交を深めた。もちろん、互いの人脈に与りたいという思惑がそれぞれにあったことは言うまでもない。
 彼がGHQから睨まれ、その活動を制限されていたように、来日してからさまざまな記事を書いていた私も、アメリカ人ながらGHQに疎まれる存在になっていた。ジャーナリズムの世界では戦勝国に靡くものが大勢を占める中、私に書けるもの、私にしか書けないものとはなんなのか、自らの帰属心や矜持をどこに置いた上で、その国民的責務を果たすべきか、ということを、東の果てのこの国で探っていた。
「まさかあなたと日本で再会することになろうとは」
 イタリア戦線でともにしたレジー川田は、あれから本国へ帰還して、本国の司令部附将校や陸軍士官学校の教官としてすごしたあと、終戦につきGHQへ転属となり、ダグラス・マッカーサー直隷の部署であるSCAP(総司令部)に配属されて来日、日本統治の任務に就いていた。
「あなたの書く記事は、我々にとって耳が痛い記事ばかりです」
 私は彼らについて、自分たちを十字軍のように驕り高ぶり、そのボスであるマッカーサーに至っては自らをイギリスの獅子心王、リチャード一世とでも思い違いをしているのではないか、と書いたことがある。
 彼らの中で、白人はともかく、彼のような日系人GIまでもが「日本は悪」という歪曲したイデオロギーの元、日本の統治に当たっていることに、私は失望していた。
 日本プロ野球の復活を後押ししようとする彼と、街でジープに乗ったGIが日本人女性をさらうところを目撃してもなにごともなかったかのように平然とふるまう彼は、同じ人物なのだろうか。彼の正義はどこにあるのか。
 私はレジー川田と会えば会うほど、自分との違いを肌身で感じた。
 彼らが重ねてきた日系人としての苦悩は想像を絶しよう。彼らの帰属心、矜持がどこに置かれているのかは私にはわかりようもない。だが、徹底して割り切る彼の振る舞いを私は受け止めてやることができず、ついに口論の域を飛び出す。
「ジョン。私たちはサムライではない。精神論を振りかざしていても仕方がないんだ。善悪二元論ではない。やるか、やられるか。それが戦争というものだ」
「精神論でなにがいけないのだ。物で溢れる消費社会での唯物論こそ、最も怠惰で愚かなものではないのか」
 菅丞相を祀る神社の境内で大喧嘩をする外国人に、なにかサーカスの猛獣でも見るような近隣住民の視線が集まる。
「あなたがジャーナリストになり、そしてそれを続けている理由はなにか。あなたのジャーナリストとしての矜持はどこにあるのか」
我々は見世物である。気の済むまで殴り合い、そして果て、気がつけば二人、冷たい境内の土の上で仰向けになり、空を眺めていた。
 私もレジー川田も顔に青痣をつくったが、翌日、平然とすごした。レジー川田は、直属の上官であるマッカーサーからその顔について触れられたが「ちょっとしたファイトをした」とだけ伝え、「君も若いな」と、上官の失笑を買ったという。
 顔にできた青痣の痛々しさとは裏腹に、私の心が少しだけ晴れたような気がしたことは自分でも意外だった。


 東京湾を望む羽田飛行場に、日米親善の使者が舞い降りた。タラップからは背広姿の日系人の男たちが降りてきて、集まった報道記者たちに手を振り、スピグラのストロボを浴びる。若き彼らは、かつて澤村榮治がベーブ・ルースらメジャーリーガーを揃えた全米チーム相手に好投した昭和九年の日米野球から十五年の空白を埋めるべく来日した、サンフランシスコ・アスレチック・クラブの選手である。
 タラップを一番に降りるジェームズ・イトウ監督が、月丘夢路、伏見信子などの日本を代表する女優陣に出迎えられる。艶やかな着物を身に纏う女たちが、ジェームズ・イトウや選手に花束を渡す。歓待される彼らは、正力、松原、鈴木ら日本プロ野球関係者や巨人のスタープレイヤーと握手を交わし、報道記者たちが目も眩むほどのストロボをそれに浴びせる。その光景はまるで、戦前は政府や軍部に、戦後はGHQに支配される日本人の鬱屈とした精神が一気に解放されたかのようであり、この報道を読んだ人々の昂りは頂点に達する。
「日米野球とは懐かしい」
「ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグらが来日した昭和九年以来だ」
「此度来日した彼らは日系人らしいから、我々にとっては親近感が沸くのだろうな」
「日系人とはいえ、ようやくアメリカのチームと野球ができるようになったとは、感慨深い」
「ああ、日本野球もついに独立を果たすのか」
「それは甘い考えだな。これを手引きしているのは占領軍だぜ。ほら、昨日の新聞に載った写真記事を見てみろよ。マーカット少将ら占領軍将校の姿が見える。日本の野球は、いまだアメリカ様にキンタマを掴まれている状態なんだよ」
「そんな事情は百も承知。逆境に瀕しながらもアメリカへの敵意をひた隠しにして、その屈辱を鉄の弾ではなく白い球で晴らすのさ。表面上は笑顔で『日米親善』を標榜し、野球を楽しむふりをして、戦争で自分たちを負かせた相手を倒すことだってできるんだ。これを野球の醍醐味と言わずしてなんと言う。お前はまだ若えから、野球というものをわかっちゃいねえんだ」
「そうだ。お前はわかっちゃいねえ。俺なんて、アメリカと野球ができると聞いただけで気持ちが昂ってくるぜ」
「おい、そういうお前は、ヒロポンのやりすぎじゃねえか」
 新聞報道を比較的真っすぐに読む「大衆」である彼らでさえ、政府や軍の主催ではない、スポーツ、興行など民間行事においてもGHQの影を感じらずにはいられないことは事実であったが、みなその事実を自分なりに解釈し、受け入れた上で、いま楽しめるものを素直に楽しんだ。
 サンフランシスコ・アスレチック・クラブ来日に協力したウィリアム・マーカットやレジー川田ら、GHQ関係者の先導により、同日、彼らは宿である帝国ホテルに入った。
 その夜、帝国ホテル内のナイトクラブ「インペリアル・バー」には、GHQの将校、日本の政財界の要人、日米の若き野球選手らの姿があった。
 鉄黒のレンガ壁に囲まれた収容人員五十人ほどの空間に黒筋目乾漆のテーブルとレザーのソファが並び、軍服姿のGI、背広姿のアメリカ人や日本人がウイスキーやスコッチを酌み交わし、酒と議論に耽溺している。
 それぞれの人物に目を凝らすと、サンフランシスコ・アスレチック・クラブの選手たち、白石敏男や川上哲治ら巨人の選手のほか、マーカット、レジー川田、正力、松原、鈴木、それに中日の赤嶺昌志、名古屋金鯱軍の元代表で広島出身の山口勲、元貿易庁長官の白洲次郎、日本製鐵常務の永野重雄、大蔵大臣の池田勇人ら、日本の野球界、政財界の実力者が顔を連ねている。そして、羽田飛行場でサンフランシスコ・アスレチック・クラブの選手を出迎えた月丘夢路、伏見信子ら日本の女優たちが、これをもてなす。店内の一番奥の席には、いまやこの国の支配者となったマッカーサーの姿も見える。
 あれからときを経て、戦死したかつてのチームメイト、田部武雄と恋仲にあった伏見信子と奇遇な再会を果たすことになった白石だが、海の向こうからの来賓を歓待するという使命を帯びたこの場において、彼女との再会の感慨に浸る余地があろうはずもなく、田部の親から譲り受けた形見のキャップを伏見に渡すことで、白石はこれへの供養とした。
 マッカーサー主催のこのパーティーに招待された私は、眼前の光景に閉口した。
 ここにはかつての日本の姿はない。敗戦後の日本人は、戦争に負けたということの沸々とした屈辱感をひた隠しにしながら、すべてにおいてアメリカの顔色を伺い、阿るようになった。もちろん、敗戦国民たる屈折した感情が彼らに浸潤することは致し方のないことであろう。だが、二千六百余年の独立を誇る国の沽券は失われ、その武士道精神までもが退廃、もはや見る影もない。刀ひとつで大国アメリカに立ち向かった侍の気概はいったいどこへいったのか。
 戦後日本の風潮に苛立ちを覚える私の心境とは関係なく、この「前夜祭」は盛況のうちに更けていった。

 朝には人々が白い息を吐いていた翌日の東京は、午後には季節外れの温かさに覆われ、後楽園球場も各地から集まった人々の熱気で満ちていた。収容人員が三万人ほどのこの球場は、人々の笑顔で満員であった。
 内野席前列には昨晩同様、正力、松原、鈴木、中日の赤嶺、大陽の田村ら日本のプロ野球関係者、白洲、永野、池田など政財界の男、マーカット、レジー川田ら軍服のGHQ関係者といった、二日酔いの顔が並ぶ。
 レジー川田に招待された私は、彼らとともにこの熱狂の渦の中心にいた。
 グラウンド上では空港で彼らを出迎えた月丘夢路、伏見信子らの女優と選手たちによるセレモニーが行われ、カメラのストロボを浴びている。
「もう一丁、戦争をやってやろう。鬼畜米英、アメ公を打ちのめせ」
「ああ、二度目は負けねえ。神風が吹くぜ」
 観衆の野次が耳に入っているのかいないのか、支配者たる飄々とした態度を貫徹するマーカット少将により始球式が行われたあと、試合がはじまる。
「占領軍に始球式をやられてしまうなど、なんと無様なことよ。いまに見ておれ。アメリカの畜生を、こてんぱんに叩きのめしてやる」
「そうさ、戦争で負けた恨みを野球で晴らしてやろう。我が全日本軍がアメリカを倒す光景を想像するだけで覚醒してくるぜ」
「おい、お前はまた、ヒロポンをやっているのか」
 大衆の敵愾心を煽るセンセーショナルな見出しが連日の新聞紙面に躍り、彼らは押し並べて、敗戦国の雪辱を果たすが如く昂ぶっている。
 この日米野球は興行的には大成功をおさめたものの、日本全国で組まれた試合のいずれにおいても巨人など、日本チームの惨敗に終わった。彼らの善戦らしい善戦も見られないまま、日米の野球のレベルの差をまざまざと見せつけられる結果となった。
 これを見た正力、松原だけでなく、日本の野球関係者すべてが、いまだ実力の向上せぬ日本野球に危機感を抱いたことは言うまでもない。ベーブ・ルースやルー・ゲーリッグも来日したかつての日米野球後に夜明けを迎えたはずの日本のプロ野球は、あのときからまるで進歩していないということが白日の元に曝されたのである。
 この事実を受け入れた上で、日本野球連盟の鈴木龍二や、阪急、南海、大映などの門戸開放反対派は、現状の体制まま地道にファンを開拓し、その力を強化してゆくべきで、この不安定な社会情勢下に勢力を広げる行為は、先の大戦において軍部が取った「大東亜共栄圏」の如くの野放図の再来となり、せっかく培った日本プロ野球そのものを破たんさせかねないと、強く自分たちの正当性を主張した。一方の松原は、戦後の民主化の波に乗り、大衆の手本たる日本プロ野球界がほかに先んじてこれの手本を見せる、すなわち門戸を開放、新規参入を認め、チーム数を増やすべきという主張を曲げず、さらにはメジャーリーグ式の二リーグ制を導入することで増える加盟申請にも対応でき、それが新しい競争を生み、日本野球の底上げにつながるとした。両者はまっこうから対立したが、世論の支持は後者が圧倒的であった。

 どの国の、どの時代においても、世論を味方につけた者は勝者となる。
 レジー川田やマーカットと親しかった正力、松原の門戸開放賛成派は、「民主化」の旗手としてGHQの威を借り、読売新聞に「プロ野球チーム増 二リーグへ」とリークして世論を焚きつけ、これを味方にした。
 日米野球の終了後に再開された日本野球連盟総会では、「門戸開放容認の是非」についての議論が交わされたものの、これは形式上のものにとどまり、反対派と賛成派の関係修復はもはや困難であった。結局、大阪、毎日、近鉄、西鉄、南海、阪急、大映、大陽の八チームは、予定調和とばかりに日本野球連盟と袂を分かつことになった。
 新組織で好きにやると吐き捨てていった彼らは、すぐさま別リーグ「太平洋野球連盟」を旗揚げしてしまった。日本のプロ野球は図らずして「二リーグ」に分裂し、再出発をすることになる。
 この事態を受けた正力は、飛び出ていった彼らの穴を埋めるべく、加入申請のある企業の承認を急ごうと考えた。巨人と中日が残されたところへ、加盟申請をしてきている二十余のチームのうち八チームだけ承認する魂胆でいたが、関西以西のチームは福岡を除き、地理的要素、都市の経済規模を鑑みてこの加盟申請を却下するつもりでいた。しかし関係者以外はそのような事情を知るはずもなく、その手は全国から上がり、中四国地方からもいくつかの企業、団体から加盟申請があった。そのうちのひとつが、広島電鉄、中国新聞など広島の企業群や、広島市、広島県などの行政で出資する合同体「広島」であった。
 この「広島」構想の原点であり、原動力となったのが、郷里にプロ野球チームを創設するという松原の野望であった。松原は、広島の財界人にこの壮大な構想を打ち明け、それに共鳴した者たちと、一気呵成に「広島」の加盟申請へと猛進したのである。そしてその中心人物たる松原が、同時に日本野球連盟の内側に入り込んでいるという、いままさに絶好の機会を得て、この「広島」の日本野球連盟入りを強く正力に働きかけることになる。
 一方の、反対派の旗手で、なにかにつけて松原と対立してきた鈴木は、この松原の野望をいちはやく察知し、「広島」の日本野球連盟入りを阻止すべく策動していた。もっとも、鈴木の考えは、プロ野球チームを増やすこと自体には反対ではないものの、これを時期尚早とし、いまはまだ東京、大阪、名古屋、福岡などの都市圏、もしくは大企業のチームに限定し、安定を見込める興行の元で運営してゆくべきという、日本プロ野球界の顔役として、この国における野球の興行という、ある種の博打のようなものを扱ってきた彼ならではの、しかしながら頗るまっとうと言えるものであった。その鈴木からすれば、広島という地方都市にプロ野球チームをつくるという行為は自殺行為にほかならず、賛同できようはずもなかった。広島の経済規模と市民精神の復興の度合いからその余力はないとして、これを潰そうとしていた。
「太平洋野球連盟」として袂を分かった門戸開放反対派の彼らがなぜ、正力が毎日と近鉄を加盟させることに異論を唱えなかったのか、もっと言えば、ほかにも多くある大企業の中でなぜ毎日と近鉄だけを迎え入れたのか、その正確な理由は定かでなかった。元々、正力とそりが合わなかった彼らは、有力企業である毎日と近鉄を抱き込んだ上で、正力の日本野球連盟とは別のリーグでやる構想を以前から隠し持っており、この一連の「内紛」劇は、反対派の彼らが打った壮大な芝居であるという噂もあるが、真相は闇の中であった。しかも、自分たちの「旗手」であるはずの鈴木を、彼らはなぜか連れていかなかった。
 いずれにせよ、この「内紛」後の正力たちからすれば、すでに加盟申請を寄こしている有力企業の大洋、西日本新聞、西日本汽船らを加入させることは、要は瓦解しかける体制を保つには手っ取り早いという明白な理由があった。松原は持ち前の嗅覚でその風を読み、これを好機とばかりに郷里「広島」の加盟を正力に焚きつけていたのだ。
 

 大きなベニヤ製のスコアボードが設置された名古屋市内のグラウンドでは、地元の青年とGIのチームが対戦している。
 スコアボードには「新村建設」「NAGOYA U.S. Air Force」とチーム名が書かれ、試合は拮抗している。
 GIの攻撃時にマウンドに上がるのは、ひときわ華奢な青年、長谷川良平であった。
 新村建設は、東京の日本橋に本社を構える建設会社で、チームの監督でもある新村耕作が戦後の焦土から裸一貫、GHQの下請け事業から興した企業である。新村は五十そこそこの奔放な男で、家庭を顧みず、ひたすら仕事と酒に浸る毎日を送りながら、野球と相撲を愛する男でもあった。その縁で、戦後に知り合った力士、力道山の後援会を組織したことで、彼と新村は兄弟分のような間柄にあった。
「ハセ、アメ公をきりきり舞いで頼むぞ」
 そう新村から言葉を投げかけられた長谷川は、きわめて平凡なピッチャーであり、このチームでは第三、第四のピッチャーであった。先発ピッチャーが降板し緊急登板となった長谷川であったが、いいところなく、相手打者に逆転ホームランを打たれ、マウンドに沈んだ。
「気にすんな、ハセ。次があるさ」
 長谷川を労うこの男は大柄で筋骨隆々、おまけに髷を結い、まわりの男たちとは一線を画し、異彩を放っている。彼は百田光浩といい、新村が後援する現役力士、力道山である。百田はこうして、相撲の場所と場所の間はタニマチである新村の野球チームに混じって試合に耽り、ときには遠征試合にまで同行し、休暇を楽しむことがあった。
「代打、力道山」
 その名前が告げられると、相手チームのGIたちがどよめく。戦前からの日本文化に詳しいGIがいたらしく、たったいま打席に立つこの大男が現役の力士であると聞かされた彼らは、ベンチでは口ぐちに「スモウレスラー」とこれを指し、その怪力に期待している。彼らのような一般的なアメリカ人は相撲というスポーツをよく知らず、いままで触れたことのない東洋の異文化に目を丸くし、まるで珍獣を見るが如くの心境で丁髷姿の彼を見ているのだろう。
 相手ピッチャーが放ったインハイの速球を真っ芯で捉え、力任せに粗放なスイングでバットを振り抜くと、白球がはるか上空を舞い、レフト場外にある民家の屋根瓦を叩き割り、近くに佇んでいた烏が驚いた啼き声を上げ、そこから飛び去った。ボールの行方を見守っていた打者の百田は、ゆっくりとダイヤモンドを一周し「今日はうまい酒がのめそうだ」と叫びながら、天を仰ぐような仕草をしてホームベースを踏んだ。
 

 東京、永田町の国会議事堂からほど近く、紀尾井町にある鈴木龍二の別邸には横浜の別邸同様、大きな庭がある。淀んだ池には数匹の錦鯉が回遊し、その向こうでは老齢の庭師が黒松に菰を巻いている。庭に面した応接室には背広姿の男たちが詰めている。
 スペインの異端審問を描いた油彩画や裸婦像、中国で買いつけたという沈香壺が飾られたこの応接室の中央には、ひときわ大きな無垢材のテーブルが置かれ、それを囲んで腰掛ける男たちが煙草の煙に紛れて濛々とする中、日本プロ野球の明日を論じている。
「プロ野球 二リーグ分裂」と書かれた新聞記事を読む鈴木だけが庭の方向を向いて憮然とし、正力、松原と、かつて中日ドラゴンズの前身である名古屋軍の理事を務め、この前年まで急映フライヤーズの共同オーナーであった赤嶺昌志が向き合い、煙草を燻らせている。テーブルの真ん中には電話器が置かれ、正力が口角泡を飛ばす勢いで電話の相手を説き伏せている。
「そうか、こっちへきてくれるのか」
 電話の相手は大阪タイガースのオーナー、富樫興一であった。祈るようにそれを聞いていた松原と赤嶺は大きく手を叩いて「よし」と声を張り上げ、固く拳を握る。
 その方針に迷いが出て、新規参入のチームだけでは心許ないと思ったのか、袂を別つことになった大阪、毎日、近鉄、西鉄、南海、阪急、大映、大陽の「太平洋野球連盟」を切り崩しにかかった正力は、大阪タイガースの富樫興一に根回ししてこれを籠絡することに成功した。結局、太平洋野球連盟の八チームのうち大阪と、田村駒治郎の大陽が日本野球連盟側に翻ることになった。大阪については、戦前から大きな収益を生んでいる「巨人・阪神戦」のカードは手放したくないという正力の事情があり、大阪の思いもそれと同じで、熱心に説得をし、自分たちのほうへ強引に戻した。田村駒治郎がオーナーの大陽ロビンスには、同じ関西を本拠地にするチームが太平洋野球連盟に多いという商売上で不利となる要素を田村に焚きつけ、引き戻した。
「これでこちらは巨人、中日、大阪、大陽の四チームとなった。あちらの牙城を崩すのはここまでが限界だろう」
 赤嶺がそう言うと、正力がみなを労う。
「ああ、よくやってくれた。そしてここが分水嶺。手を上げてくれている国鉄と大洋漁業の加入は決定的である。わしは彼らと会い、正式にこれを認めるつもりだ。加えて、福岡の西日本新聞と西日本汽船を抱き込むことができれば、東京から九州までを網羅できる上にチーム数も偶数の八チームとなるし、魅力的な興行が可能になる」
 正力の言葉のあと、これを追い風とばかりに松原が斬り込む。
「それならば、諸兄にはかねてより申し上げているとおり、私の郷里である『広島』にチームを持たせてもらえないでしょうか。このチームは広島市、広島県、その周辺の市町に加え、広島電鉄、中国新聞など広島の政財界による共同出資のチームを予定しています。これはいわば『市民』のチームです。もっとも、龍さんの意見ではプロ野球は大都市、大企業に限定したいようだが、私はこの考え方に賛同はできない。プロ野球チームは都市や企業規模の大小を問わず、人々がこれを渇望する街に満遍なく配置すべきだと私は考えます。なにより原爆で傷ついた広島市民は、切に夢と希望を必要としているのです」
 松原に対する鈴木の態度は一貫している。
「君もしつこい男だね。そりゃあ、広島市民が原爆で味わった悲劇は我々の想像を超える。だがね、ほかの都市だって、長崎にも原爆は落とされているし、全国の都市も焼夷弾や機銃照射による空襲を受けている。もちろん東京も、承知のとおり大空襲に遭っているだろう。君は戦時中、帝都防空の担当者として東京の空を守ることができなかったと号泣していたそうじゃないか。傷ついたのはなにも広島市民だけではないんだ。夢と希望を欲するのは、どの街とて同じさ。それを君の郷里だからといって広島だけを特別扱いするわけにはいかんのだよ」
「それはわかっている。西日本新聞と西日本汽船の本拠地である福岡だって、戦時中、激しい空襲に見舞われた。福岡の人々が野球を求めていることは想像に易い。だが、同じ街に野球チームは二つもいらないだろう。それにひきかえ、広島には野球チームがひとつもないんだ。二つ欲しいとは言っていない。ひとつだけ、たったひとつだけでいいんだ」
 二人の議論は平行線のまま時間だけがすぎ、男たちの顔がみるみる強張り、脂ぎってゆく。
「だいたいだね、社会情勢も不安定なこの時世に、広島のような地方都市にプロ野球チームをつくったところで、その興行が成り立つと本気で思っているのかね」
 挑発的とも言える鈴木の態度に触発されたのか、松原の温度も高くなる。松原の頭の中にたくさんの言葉と感情が浮かんだが、それらを理性でことごとく押し殺し、絞るように出た言葉は「やれる。やれるといったらやれる。このチームが潰れるようなことあらば、そのときはこの松原昇太郎、腹を切って果てる覚悟だ」とケレン味の利いた調子で鈴木に荒らげ、啖呵を切った。
 

 その日系アメリカ人としてのルーツを押し殺すように「日本は悪である」と割り切って日本統治にあたるGHQのレジー川田は、課員として働いていた日本人女性と結婚していた。
 彼はアメリカ人としてのプライドを持ちながら、まるでそのルーツを辿るかのように日本へやってきて、日本統治の任にあたり、そして日本人女性と出会い、恋仲になった。いずれはこの女性と二人、日本で暮らしてゆくのだという。
 彼と酒を酌み交わした際に受けた「あなたがジャーナリストになり、そしてそれを続けている理由はなにか。あなたのジャーナリストとしての矜持はどこにあるのか」との問いに、私はいまだ明確な答えを出せないでいた。
 広島の街では変わらず、少年たちが泥だらけになって白球を追いかけている。
 GIのチームに少年のチームが勝利して、彼らは煙草や缶詰などを手に入れて喜んでいる。
「よし、これを闇市で売って銭に変えるぞ」
「銭に変えたら、いよいよ来たる『タイガース対ホークス』の入場券を買うんじゃ」
 広島の街にプロ野球チームが存在しないことは誰の目にも不自然なこととして映っていた。戦前から、指導者、選手問わず、野球界に多数の人材を輩出しているという事実がありながら、彼らの郷里である広島の街が、その恩恵を受けていないのである。広島という野球狂が多い地盤においてプロ野球チームが生まれるということは、早かれ遅かれ必然的なことであったのかもしれない。なにより、当の広島市民がそれを渇望していた。
 広島発東京ゆきの汽車には松原と、合同体「広島」の中核をなし、出資者でもある、広島電鉄の伊藤信之、安芸製鋼の久我富士男、中国瓦斯の奥村秀史郎が乗り合わせている。伊藤が読み込む新聞紙上にはプロ野球の話題が踊っている。
「プロ野球はGHQの後援を得て盛況だな」
「やはり、広島にもプロ野球チームは存在すべきなんだ」
「そもそも広島には野球きちがいが多く、プロ野球選手や監督にも広島出身者が多い。日本のプロ野球界に石を投げればだいたいが広島の野球きちがいに当たるというのに、その野球きちがい発祥の街、広島にプロ野球チームが存在しないなど、どう考えたっておかしい」
「そうだ。やはり我々の針路は間違ってはいない。広島におけるプロ野球チームは、商売としてもじゅうぶんにやっていけるはずだ」
 英字の読める松原は「TIME」誌に掲載されている、私が投稿した記事を読み込んでいた。彼は、GHQによる浜井市長をはじめとした広島市民への圧政が存在する事実を私の記事から知り、彼らに夢と希望を与えるためには、やはりプロ野球チームをつくることが一番であると確信していた。

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