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人間の醜いところ_辻村深月「傲慢と善良」感想文

どうも、とりです。辻村深月さんの「傲慢と善良」を読みました。ズキズキと、しんみりと、突かれたくない人間の非常に醜いところ、嫌なところが描かれていて、ひとつひとつの言葉がグサリグサリと刺さるようだった。あらすじを書かない読書感想文です。感じたことをツラツララッタッターと。よし。

誰も気にしていない自意識

他人からどう思われているかを気にしたり、または勝手に自分の中で「あの子より優れてる」とマウントを取ったり。自分と他人を比べずに生きられるほど、世界は優しくないから、自分より上だと感じる相手に対しては卑屈になるし、自分より下だと感じる相手に対しては強気になる。人間の点数は、学歴じゃないし、結婚でも仕事でも測れるものじゃない。得意不得意は人それぞれで生き方は様々なのに、自分だけの基準で勝手にランクづけをしては高笑いをして落ち込む。誰も気にしていないのにね。

これは小さな世界に閉じこもるほど沸き起こる感情だと思う。特に現代は、もう会うこともないような元同級生の現在もSNSを通してなんとなく知れてしまう。いいところしか載せていないはずのSNSだと分かっていながら、なんであの子は私より幸せそうなのだろうかと劣等感を抱く。全くもって無駄な劣等感だ。優越感も然り。

程度の差はあれ誰しもに思い当たる節があるんじゃないだろうか。ただ不思議なことに、私は上京してから変な自意識が一気に薄れた気がする。凄く過ごしやすくなった。地元愛も良いが、別世界に飛び込み色んな人や環境を知ることで、いい意味で気にしなくなることもあるのだろうか。井の中の蛙大海を知らずということかしら。誰も気にしていないのに、勝手にマウントを取ったり、落ち込んだりするのはもったいないよね。誰も気にしてないんだから。

無自覚の高望み

皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛の方はとても強いんです

上記は物語に登場する、結婚相談所の小野里さんの言葉。結婚相手を選ぶにあたり、イケメンだとか高収入、高身長だとかハイスペックを求めているわけではない。イケメンは私が付き合っても不安になるだけだ。自分を好きでいてくれる人であれば、それでいい。とみんな謙虚に見える発言をするのだけど、実際に自分を好いてくれる相手が来たとしても、何かと理由をつけて拒んでしまう。いい人なんだけど、と。自分自身が100点満点だとして、その相手は70点にも満たないのだろう。だから拒んでしまうのだけど、それは謙虚とは言えない。傲慢だ。些細な幸せを望んでいるようで、105点、110点の相手を望んでいる。120点とは言わないけど、せめて110点と。それは自己愛。自分が可愛いくて、自分は価値があると強く思いたくて、自分自身に甘く点数をつけてしまっている。そして自分には釣り合わないと、心の中でマウントを取っている。自分なんて、と思う一方で、相手には辛辣な点数をつけてしまっているのだ。

傲慢と善良

結局まとめると、本のタイトルになってしまう。それほど物語の大きなキーワードなのだが、傲慢さと善良さが同じ人の中で共存する感覚を理解するのに少し時間がかかり、また言葉にするのが難しいと感じた。物語を通して、主人公・真実の性格や生い立ちを通して、やっと理解できるような気がする。
善良な人ほど、親の言いつけを守り、親が決めた進路を歩み、親の意見に左右される。そのせいで、自分がないと言われる。自分で物事をうまく決められないけれど、自分のことは大切だから、傲慢になる。これが、傲慢さと善良の共存。

言ってしまえば、自分は争いもしないくせに、人のせいにしたり、周囲への文句を垂れるような状況ではないだろうか。親の文句、先生の文句、先輩の文句、バイト先の店長への文句などなど、中には致し方ないこともあるかもしれないが、自分で何か行動を起こすわけでもなく、ただ文句を垂れる。文句を垂れているとき、人は自分自身が傲慢であることに気づけないのだ。

傲慢と善良が共存することで、突かれたくない醜さが生まれる。自分は関係ないと思っている人ほど、傲慢さに気づけていないのかもしれない。この物語は、婚活から結婚を描いた物語でありながら、誰しもが思い当たるような感情が溢れに溢れている気がする。

傲慢さも善良さも、悪だと言うわけではないけれど、要らぬプライドや、勝手な他人との比較によって、心身を擦り減らしてしまうことを知るだけでも、人生は豊かになる気がする。辻村さんの本は、非常に心を抉ってくるので、読んでいてゾワっとする。。

婚活中の人はもちろん、そうでない人にもおすすめでございます。グッサグッサ抉られるのが、苦しくも快感です。どえむ、、、??


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