プロの定義
「プロってね,例え,子どもが死にそうになっても,舞台に立つ人のことよ」
朝ドラ「エール」を珍しくオンタイムで見ていた時,こんなセリフがあった。
朝ドラを見ていない人も多いと思うので,補足すると,作曲家古関裕而と妻の声楽家の音(オト)の物語が「エール」だ。今,物語は,音が芸大在学中に妊娠し,「椿姫」の主役の座をつかんだがつわりがひどくて,演練習に出られないという事態。
そこに,オペラ歌手三浦環がモデルの二浦先生が,声がでなくて苦悩する音に,「一つ聞いていいかしら」と切り出したのが冒頭のセリフだった。
何も言えずにいた音は,その後,主役を降板し,音大を退学した話になっていた。
昭和初期という時代背景もあって,そのころの女性は結婚したら,家庭に入る,学業を辞めるなど,結婚と離職はセットだったようだ。
そうだよね,結婚と離職はセットではなくて,結婚しても妊娠しても,仕事はやめないことが普通にだけども,昭和の初めなんて,古い「家」制度がまだ残っていたから,どちらかをあきらめなくてはいけなかった。
男女雇用機会均等法という法律ができた1985年の昭和後期はまだ,寿退職はあったし,M字型就労といって,女性の就業率は20代と40代の山の間に,結婚と出産で退職する30代が多く,それが谷となっていることが指摘されていた。
令和の世になって,結婚退職することが珍しくなっているけれど,以前として,妊娠を機に退職する率は全体の半数くらい(内閣府 平成28年資料参照)。
2010~2014年の統計資料だから古いのだけど,第一子を妊娠した時の退職率は46.9%で,就労継続は53.1%で,その差は7ポイントで継続が上回る。
今はもっと継続率はあがっているかもしれないけれど,全体の半部くらいなのだ。
ドラマでも音の夫や周りが,妊婦であるから学業はあきらめろという方向に先導しようとするので,子どもも夢もあきらめたくない音はもがく。
結局は,子育てを優先して,今はその夢を夫に託すことになったという展開。
うーん。解せない。
でも,昭和初期だからしょうがない。とはいえ,夢も子どもも二者をとることは強欲だと,音のライバルにピシャリと言われていたが,強欲で何が悪いのだ!
日本は,新生児死亡率が世界の中でもダントツに低い国なのだけど,でも,女性の体にとっては,妊娠と出産は命がけのもの。妊娠中は,胎児に栄養はとられるし,身体機能も胎児と半分こ。
初期はつわりはあるし,中期以降は,頻脈と尿意で1メートル先の移動でさえ大変だった。
妊婦って,傍から見るとのんきそうに見えるみたいで,「あら,いいわね~。楽しみねぇ」と,おばさんたちに声をかけられるのだけど,実際はキツイ。おばさんは,妊婦時代のキツさなんて,とうの昔に忘れ去っているのだろう。
妊娠するたびに,動機息切れ,尿意とむくみでからだはきつかったし,産後は体がぐらぐらの中で,子育てをしなきゃいけないから,正直,キツイ。
おまけに,妊娠八か月までは,産休が取れないから,妊娠後期で大きなおなかを抱えて,通勤電車に乗らなきゃいけなかったから,これまた,シンドイ。
日本一込み合うという東京のある線なんて,妊婦でも優先座席は座れず,たまに見かねたおじさんが親切に席を譲ってくれたことが珍しくて,泣けた。
フリーランスで複数職場を掛け持ち,といえば,聞こえはいいが,心理職は単年度雇用の身分保障のない仕事ゆえ,産休が認められた職場もあれば,妊娠を告げたとたん,「代わりの先生が見つかったから,来年度はないです」と,出産明けの復帰はないところもあった。
同じ行政のそれこそ子育て支援の仕事なのだけど,市町村によって違うのだ。
復帰しても,そのころは,東日本大震災直後だったから,いつも余震があったし,非常事態の中での乳飲み子育てで,ほんとうにしんどかった。
保育園というサポートと実家の母に助けてもらって,わたしたち親子の生活は成り立っていた。
でも,ふと,考えてしまう。なんで,お母さんばかりがこういうどこにもぶつけられないやるせなさを抱えるのだろうと。
「先生,よその子どもをみているんじゃなくて,自分の子どもをみてなきゃ。赤ちゃんをあずけて不安でしょ。でもね,わかる。わたしもそうだったから。仕事選んじゃうのよね」と,職場の年配保健師さんに笑って言われた。
お母さんには2種類のヒトがいる。母親業に疑問を挟まずに母親役だけをこなせる人と,母親役だけに満足しないで自分らしさを優先する人。
わたしは,間違いなく後者で,強欲だ。
「女性の人生は江戸時代は50年で終わりでした。子どもが成人してすぐに亡くなっていました。でも,今は違います。子育ての後の時間がとても長いのです。あなたたちは子育ての後,どうしますか?仕事は続けてください。あなたたちが学んだことを社会に還元しなさい」
18歳の時,心理学概論の中で,女性の生涯発達に触れた授業での女性教授の言葉が忘れられない。
その授業は,フェミニズムの視点から,心理学を論じたとても面白いもので,わたしの大学院での研究テーマに繋がっていった,わたしにとって大事な学問への問いの萌芽だった。
学者の世界は,どの専門分野でも,結婚をしていても,女性研究者は子どもを産まない人が多い。学業優先でないと,生き残れない世界だからだ。
だから,大学院進学の時,指導教授に結婚相手を見つけて在学中に結婚しておくことは大事だ,と言われたり,別の教授には,結婚はいいけれど,子育てしながらの論文は無理だと,言われた。
そのたびに,わたしは内心反発し,その抗う力を原動力にして,突き進んだ。
心理系大学院に進むことは,男女問わず,安定した職に就くことを捨てることだし,女性ならば文系大学院卒であることは大きなハンデとなる。
時々,なんで,こんなハンデを追ってまで,心理職についたのだろうと思うこともある。なんで,研究を続けているのだろうと,誰に強制されたものでもなく,自分の選択なのに。
けれども,わたしは,臨床の現場と研究と教える仕事以外に,食指はわかないし,仕事能力もない。わたしに心理の仕事以外のものは,できない。
ということで,仕事を捨てることはわたしには,考えられない。
途中,出産をしたけれど,細く長くでもいいから,踏ん張って,仕事をし続けることを選んだ。そうしたら,20年近く,心理の仕事をしていた。
職業人という立場しかない男性は,定年退職後に地域にも,家庭にも居場所がなくて,奥さんにぺったりとくっついてまわる「ぬれ落ち葉」になる人も多い,と,件の教授が教えてくれた。
女性は,職業人,娘,母,妻,姉,PTAなど,何重にもいろんな役割を抱えて,生きる。それだけに,葛藤もまた多い。だけど,また,たくさんの役を生きられる楽しさもある。
選択肢が多いだけに,迷うけれど,結局は,選ぶのは自分次第なのだ。自分が選んだ道は,どんな道であっても,それはその時の自分にとって正解だ。そう意味づけられたら,強い。それでいいのだ。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。