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満月と長い1週間

愛媛から地元に戻って数日がたった。


相変わらず実家は過ごしづらい。

家から一歩出ると息が深く吸える。



お土産にいただいたみかんを地元の方に渡す。

その度にいろんな方が

「よかったね!」

と言ってくれる。






最近これまで感じていた違和感がどんどん腑に落ちる。

家の違和感も、親がどんな気持ちなのかも。




いろんなうらやましさが人にはあって、

僕のことを遠くに行ってしまったように見る人もいる。

実際、そういう言葉をかけてくる人もいる。

すごーく前を走っていたはずの人にそれを言われたので、僕も驚いた。


でも親も同じ気持ちなんだと思う。

息子が子供から大人になることを受け入れられないんだと思う。


これまで僕はその気持ちに引っ張られていた。

それは物理的にも心理的にも。




愛媛で暮らすにあたって最近家計簿をつけだした。

お金というものを見つめ直すチャンスだと思ったから。


僕はよく浪費をしてしまう。

だから細かくたくさん使っている。

数字とグラフでそれが視覚的に見えるというのはとても大きな効果があった。

やはり僕は具体化・視覚化に助けられて生きている。



こうやって変化の中で生きれることはとても嬉しくて、

今回もワクワクの中で、不安と付き合いながら毎日を過ごしてる。



それでいいんだと思う。

いろんな雑念も湧くし、

不安もある。

でも少しずつ僕はみんなに、

「助けて欲しい」と言えるようになっているから。




地元の飲み屋で出会った先輩も、

愛媛のみんなも、

友人も、



静かに「よかったね」と言ってくれる。



この流れを作ったのは僕なのかもしれない。

まだ自覚はないけれど。

僕がまいた小さな小さな種に、

みんなで水をあげて、

小さく小さく積み重ねて、

その芽を大切に育ててきた。



そして今回少しだけ、

小さな花が咲いた。

人におびえ、

人に苦しんだ僕が、


人に助けられ、

人に支えられて、

一歩前に進む。

その場所はとても温かいところだ。








そんなことを思いながら、今日の満月に何を手放そうかと考えていた。


その時先日、友人からもらった言葉が思い浮かんだ。

「豊かなのと良いのは違うから」


そのとおりだ。



僕は今までいい暮らしをしてきたと思う。

実家でおいしいものを食べて、

自分の好きにお金を使って生きてきた。

それは良い暮らしかも知れない。


でも今度は豊かに暮らしたいと思うようになった。

それはとても難しい。

でもシンプルなこと。


ただ豊かさの定義を考える。

僕にとって豊かとは何か。



「自分で選ぶこと」





僕はそう思った。



選ぶ自由をもう一度手に入れる。


1月に手からすり抜けていったものをもう一度。




僕は自分を選んでいきたい。




だから僕は今日の満月で、地元での良い暮らしを手放そうと思う。

物質的に満たされた生活。


何があるかじゃない。

どうありたいか。



そして、そんな自分と周りのみんなで楽しく暮らしたい。





春が近い。




今年の春はどんな春になるのかな。


春が苦手だった僕。



今年は春が楽しみです。




読んでいただきありがとうございます。もし気に入っていただけたらサポートをおねがいします。今後の感性を磨くための読書費や学びへの費用とさせていただきます。