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noteはじめます〜ライターとして27歳で月収100万円を超えて「このままじゃヤバイ」と思った話〜

はじめまして、カルロス矢吹と申します。

noteには初投稿なので、割と丁寧めに自己紹介を。

本業はライターです、文章を書いて生計を立てています。これまでに著書を10冊出版してきました、最新刊は「世界のスノードーム図鑑」という本で、趣味で集めているスノードーム300個を紹介しています。

ライター業から派生した食い扶持では、よくラジオで喋らせてもらっています。特にTBSラジオ「たまむすび」にはよく出してもらっているので、番組経由で僕の存在を知ってくれた方も多いと思います。本当にありがたいことです。(ただし、文化放送に出た時に「カルロス矢吹さんてTBSラジオ以外も出るんですね」というメールが来た時はリアクション困りました)

他には、イベントのプロデュースもやっています。美術展やコンサートなども企画・制作しますし、コンピレーションの編集などもしたこともあります。トークライブハウスLOFTグループのブッキングも担当していますので、人手がなければ構成作家や、自ら登壇・司会をすることもあります。

それと、2012年から日本ボクシングコミッション試合役員に就任し、プロボクシング興行の試合運営にも携わっています。交通費程度のギャラですが、完全無給ではないのでこれも食い扶持といえば食い扶持ですね。

てなわけで色々やっていますが、あくまでも僕の本業はライター、文章を書くことで稼いだお金が収入の大半です。ラジオだのイベントだのは、あくまでも二次的なものだと自分の中では位置付けています。

これらの活動は自分のHPにまとめてあります。参考までにそちらもご覧いただけますと幸いです。(コチラ→) https://foodcoma.jp

自分もキャリアを重ねてきて、「なんでその仕事をしようと思ったの?」「あなたの経験を話して欲しい」と言われることが増えてきました。毎年数回大学で講義をさせてもらうこともあります。ありがたいことなのですが、どうしてもそれらは限られた人向けへの話になりますし、個人的に僕は自分のノウハウや経験を隠すつもりもないし聞かれたら答えるスタイルでこれまでやってきました。

というわけで、noteでは同業者やこれからライターになりたい方へ向けて自分が経験したこと、その上で考えたことを書き記して、なんらかの参考にしてもらえたらと思っています。もちろんメモ代わりに未来の自分への戒めという意味も込めて。同業の諸先輩方から見たら「何言ってんだ?」と思われる箇所も多々あるかと思いますが、その辺も含めてとりあえずnoteを動かしてみたいなと思っています。

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で、今日の本題です。

そのまんまですが、ライターとして活動していた27歳の時に、月収100万円を越えました。この経験は本当に自分の中で大きな出来事で、これがあったから決めた仕事の方向性に今も乗っかっている感じです。

一言で言うと、「ヤバイな」と思ったんです。「このままだと俺は物書きとして終わる」な、と。なんでか?って話を自己紹介がわりに書いていきます。

(大前提として、自分のケースの話しかしていないのでコレが絶対だとは思わないでください。自分の話は参考資料の一つにしていただければ幸いです)

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まず、具体的な金額の話を。もちろん今もやっているのですが、当時は今以上に一般誌の仕事をしていました。ここで言う「一般誌」は「コンビニや書店で売っている雑誌」だと思ってください。世間一般でどう思われているかはわかりませんが、実はこの仕事が(僕が請け負っている中では)割としては一番いいです。1ページ=5万円(税別)だと思ってください、もちろん誤差はありますが、概ねどこもこんな感じかと思います。(ちなみに写真もほぼ自分で撮るので写真代も込みだと思ってください&WEB記事だとこの半額にも達さないと思ってもらって構いませんが、その二つの話はまた改めて)

つまり、毎月20ページ一般誌に書いていれば、毎月100万円稼げることになります。仮に100万円×12ヶ月=年収1200万円を稼ぐとします。まずライターとして自立した際に目指したのはここでした。というか、これが実現出来たら相当に上々だと思います。いわゆる一般のフリーライターと呼ばれる人達の目標設定は、実際今もこんな感じではないでしょうか。

で、表題の通り、僕は27歳のある月に収入100万円を越えたのですが、実際に目標に手が届いた時、僕は「ここが天井だとしたらキツいな」と思ってしまったんです。紙媒体が無くなるかもしれない、とか業界的・金銭的な理由もあるんですが、もっとシンプルに「このままやってても物書きとしての未来はないな」という結論をその時に出しました。

これはもし自分に仕事を出してくれている編集者が読んだら、気分を害するかもしれません(特に当時自分に仕事を出してくれていた方々は)が、書けば書くほど「雑誌っていうのは編集者のもの、もっと言えば編集長のものだよなあ」と思う様になったんです。

雑誌というものは、それぞれ独特の言い回し、文法、デザインによる微調整などがあり、割と「直し」がしっかり入ります。(機会があれば後述しますが「連載」は別です、それもまた改めて)そこで戦うライターさんもいるかもしれませんが、僕は割とその辺は気にしない方です。当時からライターは「野菜を作る人」、編集者は「調理をする人」という感覚で仕事をしていた気がします。料理人の味付けにまで口を出す農家は「美味しんぼ」の中にしかいないでしょう。

こういう考えに至ったのは理由があります。当時は「世界から見た日本の●●」という企画が全メディアで大流行していました。学生時代から海外をほっつき歩いて、やたらと友人が世界に点在していた自分にとっては企画を出しやすいタイミングでした。だってリサーチもネタ集めも、友人達にメールすればわんさか出てくるんです。企画を出して、それが通る打率はかなり高かったと思います。僕はキャリアの初期から「ライターって言われたことを書く人じゃなくネタ(企画)を持ってる人」だと思っていました。編集者からオーダーされたものを淡々と文章にして仕上げる職人の様な人もいると思います、自分はそのスタイルではなかったというだけの話です。

ただ逆に言うと、ネタが枯渇したら終わり。そして月収100万円に達した時に、(さっきの「野菜を作る人」の喩えをなぞれば)自分の畑を見たらもう「野菜」は収穫され尽くしていました。もちろん収穫したのは自分自身。そしてその月の作業量は、30歳に手がかかっていた自分にとって体力的にもかなりキツいものでした。

ネタも尽きてきた、体力だっていつまでも若い時と同じではない。そして自分の物書きとしての「これから」を再考することにしました。文章を書く仕事は楽しい、出来れば続けたい。ならば10年後、20年後もライターを続ける方法は普通に考えればたった一つ、「ギャラの単価を上げる」コレしかないんです。

で、経緯は思いっきり端折るのですが、たまたま同じ時期に初の単行本「のんびりイビサ」を出版する機会をもらいました。「企画〜取材〜執筆〜発売」までは半年以上かかっていて、単純に割だけを考えたら週刊誌に記事を書いている方が遥かに効率がいい。でも単行本作業中に、ぼんやりと「これだったら続けていけるんじゃないかな?」という手応えがありました。

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前述した様に、雑誌はあくまでも「編集者のもの」だと思っていた自分にとって、「もっと矢吹君の色を出していいんだよ」という編集者からのオーダーに基づく単行本作りは本当に新鮮な体験でした。そして単行本の著作権は(基本的には)著者のもの、つまり「当たればデカい」んです。もちろんミリオンセラーなんてそうそう出るものではないのでそんな甘いもんじゃないんですが、本を出したことがキッカケで頼まれる雑誌原稿や取材の依頼、そして告知としてラジオに出してもらえる様になったのも大きかったですね。

自分の筆力も上がる、当たればデカい、しかも「次の仕事」を取ってきてくれる。こうやってちゃんと自分の名前で作品を出すことが如何に大事なのか、処女作「のんびりイビサ」は多くのことを教えてくれました。そうしてなんとなく辿り着いたのが、「出版の仕事を軸に、顔と名前を出して喋る仕事もする」っていう今の仕事形態でした。

めちゃくちゃ雑に言うと、「有名になればギャラも上がるだろう」という身も蓋もない結論ではあるんですが。

この選択が正しかったのか間違ってたのか、正直まだわかりません。でもあれから約10年経ってもまだ似たような仕事を楽しく続けていられるので、酷く不正解ではなかったのかな、と。

処女作「のんびりイビサ」はその後韓国でも翻訳され、個人的に本当に思い入れが深い一冊なのですが、昨年残念ながら版元のスペースシャワーブックスが営業を終了し、自動的に絶版となってしまいました。可愛い子供たちが裁断処分の憂き目に遭うのは忍びない、そこでカルロス矢吹自ら在庫を全て買取り、手売りすることを決意しました。まだまだ在庫はたっぷりあります。

noteがちょっとでも面白いと思ったら、お布施は結構ですので、通販にて拙著「のんびりイビサ」をご購入ください!詳細はカルロス矢吹まで一報くださいませ。メルアドは下記の通りです。

info@foodcoma.jp

以上、ガッツリ宣伝をしてはじめてのnote投稿終了とします。次回はまた気が向いたら大学の講義で喋ってることを書こうと思いまーす。


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