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もめごとを調整する能力のある人の話

▼おはようございます。本日は、もめごとを丸くおさめてしまう能力のある人が総人口の数%程度いる❗ というお話をさせていただきます。しばしお付き合いくださいませ🍀🍀🍀

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▼たとえば、学生Aさんと学生Bさんがいて、両者はすこぶる仲が悪いとします。学生Aさんは、学生Bさんに対する不平不満があって、その悪口を教員Cにぶちまけます。そして、学生Bさんもまた、学生Aさんに対する不平不満があって、その悪口を教員Cにぶちまけます。教員Cとは、つまり私のことです。

▼学生Aさんと学生Bさんが不仲な場合、それが当事者同士のもめごとで済めばよいのですが、まわりの学生さんが巻き込まれて不登校になったり、いじめにつながったりする可能性を考えますと、放置しておくわけにはいきません。かといって、下手に介入して調整に失敗すると、もっとシリアスな責任問題に発展しかねません。酒場にありがちな、酔っ払い同士の喧嘩を仲裁するように「まあまあ、お二人とも落ち着いて」などとテキトーなことを言えないのです💦💦

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▼まことに遺憾ながら、私はこのような人間関係の調整というものがあまり得意ではありません☔☔☔ 「向き・不向き」という言葉は大嫌いですが、「人と環境の交互作用」の作用面に介入すべしというソーシャルワーク実践の基本からすれば、私はソーシャルワーカーには不向きですし、教員としても不向きなのかも知れません。逆に、このような人間関係をうまく調整する能力がおありの方は、迷うことなくソーシャルワーカーや教員を目指されるべきと考えます👍👍

▼教育実践の現場では、その場が集団である以上、学生さん同士のもめごとは避けられません。学生さん同士のもめごとでは、両者に「言い分」のようなものがありまして、その中身はたいてい主観的で感情的なものですから、両者の間でその内容がズレるのは当然です。

▼学生さん同士のもめごとは、大岡裁きのように両者の言い分を聴いたうえで、まあるくおさめることは、頭で考えるほど簡単ではありません。たいていは、どちらかの学生さんがその後もなんらかの禍根を引きずってしまうことが多いようです。

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▼教員がしばしば振り回されるのは、学生さんと親御さんが対立されている場合です。これは、親子喧嘩などというショボいものではなく、むしろ福祉問題に近いといえますので、慎重に対応しなければなりません。やっぱり、学生さんの言い分と親御さんの言い分との間には大きなズレがありまして、学生さんの言い分を親御さんにお話しさせていただくと、客観的事実とはまったく異なることが何度もありました🌀🌀

▼このような事例では、学生さんと親御さんとのコミュニケーションが普段からうまくいっていないことが多くて、ほとんど没交渉の状態のこともあります。だいたい、親子関係なるものは、長年かけてつちかわれているわけです。教員が一時的に間に入ったからといって「お前に何がわかるんだ❗」と怒鳴られるのがオチです(事実そう言われたことがあります)。親子関係は、そんな簡単に修復できるようなものではありません。

▼結局、私は両者の板挟みとなって、課題は解決しないわ、こちらは両者から役立たずだと思われるわで、年長の教員や上司に介入してもらうことになるのです(教訓:決して一人で対応するべからず❗)😭😭

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▼ところが、世の中には人間関係の調整が非常にうまい人が総人口の数%ほどいるのです(数値に根拠はもちろんありません😎😎)。

▼このような、AさんとBさんのもめごとをうまく懐柔してみせるだけでなく、その後AさんとBさんの双方から慕(した)われるという、たぐいまれな能力を持っている人間が私の友人(🚹)にいます。

▼この記事をお読みいただいている方であれば、セルフヘルプグループや患者会、家族会といった当事者団体があることをご存じかと思います。これらの当事者団体には、さまざまな形態や運営方法がありまして、だからこそ柔軟な活動ができるのですが、一般に集団規模が大きくなると、政党みたいに派閥ができて内輪もめが起こりやすくなります。その友人も、ある当事者団体の活動に関与していまして、それでいて、ひとくせもふたくせもある複数の「派閥」に対して、なぜかうまくかかわることができてしまうのです。

▼良い意味でも悪い意味でも、もめごとをたくみにかわす能力に秀(ひい)でているのが公務員です。しかし、これはもめごとに巻き込まれないようにしたり、波風を立てないようにしたりするなど、どちらかといえば消極的な技倆です(公務員の方々すみません🙏🙏 周りに公務員めちゃ多いんです)。対して、その友人はもめごとに対して主体的に飛び込んでいって両者を懐柔することができます。

▼その友人の「技術」は、黙らせてまるめ込むというものではありません。喧嘩の当事者が「彼が言うのだから仕方がない、怒りをおさめよう」という感じで、当事者やその場の雰囲気に対して鎮静効果があるという、不思議な力なのです。そして、その友人は自分自身にそのような特殊技能があることを自覚していません。

▼私は、学生時代にその友人と一緒に新しいサークルを立ち上げ、その友人はサークル長になりました。一度だけ、サークル内で仲間割れに近いようなことがありまして、その友人がブチ切れて一触即発の状態となったことがありました。しかし、その日の夜に飲み会が開かれて、翌日以降は何事もなかったかのようにメンバー間の確執は消え、その友人がブチ切れたこともきれいさっぱり消し去られていました。当時、私は、サークル存続にかかわる緊張があとくされなく平穏な状態に戻ったことが信じられませんでした。

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▼とどのつまり、人柄と人望の問題であるというのが私の結論です。おそらく、その友人はなにごとにも誠実であるということなのでしょう。それが、意図的ではなく、自然にそうなっているという点も見逃せません。

▼30代の頃に、先輩から「殴られる教員と殴られない教員がいる」という話を聞いたことがあります。私は殴られたことはありませんが、お礼参りをされたことがありますので「殴られる教員」なのでしょう。殴られるか殴られないかは、誠実であるかどうかということでして、それは普段の行動や言動ににじみ出ていて、隠すことができないのだと思います。

▼できるだけ誠実であるように努力しようと思う今日この頃です😊😊😊

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