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映画を創る人の話を聴くこと

先日、「目の見えない白鳥さんとアートを観に行くという」本を読み、映画を見て、監督の話をお聞きする会に参加しました。

私は毎年4月からの前期はマイノリティ・スタディーズという講義を担当しているので、その本質や構造を説明したり学生と一緒に考えたりする機会がよくあります。自分が大事だと思い、興味もあるし、講義の最近の事例としても取り入れたいのでマイノリティに関するTOPICに気づいたら、できるだけ現場に足を運ぶようにしています。

この本は前から気になっていました。そしたらG.W.に大好きな元町映画館で映画があるというじゃないか!諸事情により遠出ができなかったので基本的には家+αで過ごしていたけれど、これは行くしかない!

映画はひょうひょうとした率直な語りの白鳥さんとその白鳥さんの友人たちの日常のつきあいと、彼らがアートに触れて対話をする自然なやり取りが描かれており、とても共感しました。ああ、日々の生活ってこんなかんじなんだよな、私の日常もこんなことあるけどあえて描かずに流れている。こういう「ふつう」を残すって大事だよなと思いながら見ました。

白鳥さんはおもしろい柄や言葉が書かれたTシャツを着て、おいしそうにお酒を飲んだり、写真を撮ったりして暮らしていた。全盲の白鳥さんが美術館に行って「何が見えるのですか?」と周りの人に具体的に問うことによって、一緒に見る人が「え、私には何が見えているのだろう?」と自問自答する様子がとてもリアルだった。本当に見えているのだろうか?果たして目が見えるからって言って同じものが見えているのだろうか?と思う。ディスリンピックの絵を見るところがすごかった。

音楽も良かったし、すごく好きなスタンスだな〜と思っていたら、京都で共同監督のお二人のトーク会があるというではないか!突き動かされるように参加しました、それほどになんか、リアルを描けているかっこよさについて知りたかった。

監督のお話をお聞きする会では、映画を創るすごさ=そのプロセスを聴いて感動でした。当事者、そしてその近くにいる人たちが、その経験を撮り、編集して、世に広く知ってもらおうとするプロセスがすごかった。最初は短編のみ取るつもりが100時間の映像を撮ってしまったこと。そこから10か月かけて死闘(っていってた)を繰り広げ、過酷な現場で最後まであきらめずに「なんか違う」といいながら編集をしたんだって。

人生ってよくわからない人と出会い、話しながら生きている、そして、人のことなんてわからない。そして「僕らは他の誰にもなれない」という言葉。人の立場に立って物事を見ると考えるとかいうけど、本当には誰にだって他の人にはなれない。なれると思うなんて傲慢なんだろう。それを前提に互いを尊重して生きていくことが大事ということなのだろう。

そういう風に考えて、頼んで、形にしたのか・・なぜそのOPENINGにしたのか、どうしても入れたかったエピソードを削った話、伝えたかったことは何かというお話を聴くことができました。まだまだこの映画についてはあるけど、今日は日中楽しいけど大変な仕事をやり遂げたので眠い・・今日は書けるとこ、ここまで。

それから、できるだけいけるだけ映画の監督の舞台あいさつに行こう!と思い、今月はもう1ついきました。それもものすごくてぼろぼろ泣いた自分に驚き・・それはまた明日以降に!


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