武捨和貴

しゃむしゃむのリベルテ通信[出張版](武捨和貴)④

「しゃむしゃむのリベルテ通信[出張版]その4」


こんにちは。
信州上田市の小さなNPO法人リベルテの武捨和貴がそこでの日々を書くコラム。今回の記事で(飽きやすいぼくが、まさかの継続)第4回目です。
※第3回の記事はこちら https://note.mu/carebros2017/n/n005e31041527
と、言いつつ1ヶ月原稿を落としてしまい、その反省に伴う気持ちのリバウンドで暑苦し感じの文章になっているので、そういう「アツいヤツ」が苦手な人は、ブラウザ画面を閉じて下さい。

えーっと、ポッチっとな…って、ちょっと待てーい!
強制的に、お付き合い下さい。

さてぼくは最近、頭から離れないことが2つあります。
生産性って何なんだろう、優生って何だろうってこと、です。
生産性と優生思想。
近いんじゃないか。
そういうことが頭から離れず、どうもモヤモヤします。

ぼくが、頭デッカチだからでしょうか?
確かにぼくは、身体はデカイし、それに比例して顔もデカイです。
だから頭もデカイ。
小学生の頃から、「恵まれた身体だね」と人から言われてきました。
正直、嬉しい気持ちの反面、ちょっとめんどくさかった。
なぜなら、ぼくはぼくの意思でこうなったわけではなく、たまたま大きいだけだから。
髪の毛が薄いのも、たまたまなのです(真顔)。

子育てして急激に身体が思い出すのは、以前の職場で支援していた重度の知的障害のある人たちとの時間。
ぼくは「ともにいた」と思っているけど、みんなはどう思っていたんだろう。
だから控えめ言って支援していた、と思ってるけど。
もし、ぼくが知的障害のある人の支援という仕事をしてこなかったら、今感じている子どもとコミュニケーション取れているという「自信」は生まれなかったでしょう。
今の自分には、もう「子どもがいない」感覚はないから、過去に「思わなかった」ことと、今「思ったこと」は比較できません。
だけど、言葉ではないコミュニケーションは「重度」と呼ばれ、知的に障害がある、しかし一緒に過ごしたあの時間の中があったからこそ、ぼくは自分の子供との時間の中で「ある」と、そう思います。

自分の子どもだからかもしれないけど、息子と十分に話していたかのような空気がぼくの中に流れ込んでくる瞬間があります。
ぎゃんぎゃんと泣いて初めて、あー赤ちゃんいる…と。
それまで「たしかに」息子とぼくは会話していた、はずなのに。

自分が親だから、ということを差し引いても重度の知的障害のある人たちと過ごした時間が、言語的なコミュニケーションのない赤ちゃんとすごしている日々の中で自分の中でどんどん蘇ってきます。
当時も今も、本当に理解しているかって言われたら怪しいけれど、だけどロジックの飛躍したところで、「少しだけ、ね」という感覚ではありますが。

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