![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132475712/rectangle_large_type_2_d4145d2a05603ed4fb92600d9b3d5bdd.jpeg?width=1200)
3ヶ月経った今も、「一汁一菜」生活は続いているのか?
※2024/3/15 見返すと過去の自分を殴りたくなる内容だったので大幅に修正、加筆しました。
前の【一汁一菜】のルールに関する記事が、おかげさまでかなりの反響がありました。読んでくださった方、ありがとうございます。
あれから3ヶ月ぐらい経ちます。その間、一汁一菜に関する発信は特にしてきませんでした。
こういうのって裏でやめちゃってるパターンがよくあると思うんですが、私の一汁一菜はまだ続いています。
![](https://assets.st-note.com/img/1709209899230-bUgQ0SI254.png?width=1200)
あまりに日常すぎて発信することがなかっただけです。
私はX(旧Twitter)をやってないので、投稿する場所がありません(noteのつぶやきがあるか?)。
まぁ、写真撮るために味噌汁食べてるわけじゃないってのもあるので、これでいいと思っています。
そんな感じで一汁一菜を続けていると、ちょっとずつ意識が変わってきているのを感じることがあり、おかずが1品でもあると「今日は豪華な日だな」と、ささやかな喜びを噛み締められるようになりました。
「そんな小さなことで?」とか「これで豪華!?」って思われるかもしれませんけど、私はとにかくスモールな男でありたいわけでして、小さなことにいちいち気づいて感動したいタチの人間。
散々擦り倒されてる話ですけど、小さなことで感動できるほうが、人生での感動の回数が増えるって話です。
で、今日の献立は特に豪華だったからか、4年に一度しかない2月29日だからか、何か書きたくなってきたので久しぶりに一汁一菜について話します。
ある日(2024/2/29)の献立
![](https://assets.st-note.com/img/1709210371714-rZ7RlKJYLP.jpg?width=1200)
・ご飯
・味噌汁(ほうれん草・にんじん・油揚げ/薬味:白ネギ/ダシ:煮干し)
・豚肉と小松菜と卵のオイスターソース炒め
・たくあん3枚
これはなんとリッチな夕食。豪華絢爛。私超感動。謝謝豚肉。
普段なら〈豚肉と小松菜と卵のオイスターソース炒め〉抜きで「夕食」としているけど、今日ばっかりはおかずを作りました。
というのも、昨日使うはずだった豚肉が、急な予定変更で献立変わり、宙ぶらりん。一度凍らせていたものなので、再冷凍は避けたいところ。
明日までは持ち越せないと、冷蔵庫に1株だけちょこんと余っていた小松菜と急遽炒め合わせました。
「豪華」といっても名もなき料理。中華屋ではここにキクラゲが入った炒め物の札が壁に掛けられてたりするかもしれませんが。
やっぱり、自炊のコツは名もなき料理で回すことですね。
名のある料理を作っても「端材」が出るわけですから、その帳尻を合わせるには名もなき料理に仕立てるか味噌汁の具にするのが一番。
最近、自炊のコストについて話題ですが、これはざっくり分けて自炊を「点」で捉えるか、「線」で捉えるか……これによってまるで変わりますね。
この「点」と「線」の自炊、それぞれ自炊の前提がバラバラのまんま皆が言いたいことを言うから、SNS上は紛糾しているのだと思います。
「点」の自炊
「点」の自炊は、作る料理(目標)をガッチリ決めて、材料もそのためだけに集めるような自炊。かつ、習慣というよりは「気が向いたら」行う散発的な自炊。
今こういう言い方をすると不適切なのを承知していえば、「週末男の料理」的なやつです。
例えば休みの日にビーフシチューを作るとして、牛の塊肉や玉ねぎ、人参、こだわるならセロリやブーケガルニなんかも買ってきたりする。
前から冷蔵庫にある食材や、この自炊で余った食材の使い道のことは一旦置いて、「ビーフシチュー」一点にコストを集中するから当然高いです。
「線」の自炊
一方、名もなき料理は「線」の中にある自炊です。
ビーフシチューのような名のある料理を作ったとして、全ての食材をきっかり使い切るというのはそうそうありません(レシピを無視して強引に使い切るという剛腕解決もできますが……)。
玉ねぎ余った、人参余った、さてどうする?
次に作る別の料理に回していけばいいわけです。刻んでミートソースにするもよし、オムレツにするのもいいでしょう。キャベツと豚肉でも足して肉野菜炒めにする道もあれば、コンソメキューブをぶち込んでスープに仕立てるのもいいでしょう。
そうやって、余った食材を次に作る別の料理に、また余った食材を次の別の料理に……と次々バトンを渡していくように使うと、コストがどんどん下がっていきます。
ただ、自炊習慣が長くなると、名のある料理でバトンを繋ぐことに疲れます。どうしても「なんか余る端っこ」が出ます。そこで出てくるのが名もなき料理。
「なんか余った野菜ぶち込んだスープ」とか、「なんか適当に玉子でくるめばどうにかなった炒め物」とかを作っていくと、冷蔵庫で熟成されたカッピカピ、シワッシワの特級呪物に出くわすことがなくなる。
そこに「味噌汁の具材として使う」という手札を加えることで万全の態勢となります。
ただ、この「線」の自炊でコストを下げていくには継続が必要になってきます。忙しい現代人にはとても無理!
しかも、やっぱり半額弁当の安さには勝てませんよ。お手上げ。白旗。降伏宣言。
だから、自炊を選ぶなら、単純な金銭コスト以外のところでいかに価値を見出すかという問題になってきます。
自炊の何に価値を見出すか
単純な金銭コスト以外の価値。私が感じているのは以下の通り。
自分の好きなように食材を選べること
食材を食べられる状態に加工するスキルを身に着けられること
自分の体調をコントロールしている感覚を持つこと
ほかにもありますが、長くなるので割愛。
要するに、私は自炊に対し「構想」と「実行」——「何を作るか」から考えて、実際に手を動かしてそれを形作ること――を自分の手で完結できることに価値を見出しているということです。
これぞまさに今の社会システムが人々から奪ったものにほかなりません。
取られてしまったものを回復する。自分の手の届くところに置いておく。そのために私は自炊を続けています。
実際、新卒で入った会社に勤めていたころ、拘束時間の長さで自炊が不可能になり、それが原因の一つとなって精神を病みました。
私のメンタル安定には、自分の手で「構想」から「実行」まで完結できるもの、つまり自炊のコントロール感を常に持っておくことが必要だった、ということでしょう。
自炊習慣を続けるマイルール
自炊を習慣にする、といっても私の場合、学生時代から病気の母に代わって料理をしていたら勝手に習慣になっていたので、「これが自炊の極意だ!」とか、「今から始めるにはこういうマインドで!」とかは何も言えません。
なので、今私が自炊をするにあたって、どんなことを考えているかだけ書いておくと、もうそれは「一汁一菜で気楽に行きましょう」ということです。
私も自炊始めたては気合い十分、意気軒昂で、あれもこれも作ってみたい食べてみたいと色々試していましたが、それから10年経ちました。
10年も経てば、その辺はいい感じに枯れてきました。
昼はある程度ボリュームがあったり、名のある料理を作ったりすることもありますが、夜はもう一汁一菜だけ。
ご飯と味噌汁、漬物か佃煮。どうしても食べきらないといけない食材があったり、ちょっといいモノが手に入ったときだけおかずをつける。
自炊に対して枯れてきた私にとっては、もうこれが丁度よいライフスタイルなのです。
![](https://assets.st-note.com/img/1710466726920-GbM65eyfdg.png?width=1200)
あれこれ作るほうが私にとってしんどいので、これくらいシンプル、ミニマルに寄せるのが気楽で心地よいです。
何といっても味噌汁の味が舌にも身体にも心地よい。
まぁ、家族はこれについてきてくれなくて別のものを食べていたり、友人に話しても「オレは、ようやらん」と言われたりと、一汁一菜が極端に映るかも知れませんし、実際私もそれは感じています。
でも、自分の食のコントロール感を得るには、一汁一菜が本当に丁度良いスケール感なんですね。
なので、これからもずっと続いていくことと思います。
皆さんもぜひやってみてはどうでしょう。まずは一週間に一食だけでも。
話には聞いても、自分事にしないと分からないものです。さあさあ、どうぞこちらへ。
いいなと思ったら応援しよう!
![ハセガワタクミ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/123130327/profile_e5e065dfa92edb0ac000764c6524fbde.png?width=600&crop=1:1,smart)