宮崎駿「もののけ姫」(1997年)

せっかくなので見に行ってきた。公開当時映画館で見たかどうかすら忘れてしまったし見たのが何年ぶりかすら覚えていなかったが、久しぶりに見たらものすごくちゃんとしたアニメで始終感心してしまった。やっぱ宮崎駿はすごいんだな。

まずすごいのが主人公のアシタカが「エミシ」の末裔という設定である。エミシがどのような人々であったのか、アイヌとの関係はどうなのかも未だ不明らしいのだが、とりあえずヤマト朝廷に従わずに敗れた、日本列島にいた民族のひとつ、ということだ。そもそもそんな人々がいたことすら、今の日本では「ニッポンハタンイツミンゾクー!」的クソ幻想で認められなさそうである。
エミシは縄文系という説がかなり強いようだが、必ずしも純粋な縄文の系譜というわけでもないだろう。弥生人だってヤマト単一ではないし、最近の研究では縄文人と弥生人はかなり広範に交流していたという考古学的証拠も出ているらしいので、単純に縄文vs弥生の構図に持ち込まなくてもいいと思う。そういえばアシタカの村の入り口に鳥居のようなものがあった。上には鳥の形の飾りがついていたが、昔照葉樹林文化論の本かなんかで、雲南省の少数民族のどこかの村の似たような写真を見た記憶がある。大陸と共通する鳥居文化を持っているということは、アシタカの村もまた(ヤマトとは違う)弥生人の一派か、弥生の文化を取り入れた縄文人の末裔とかそういう感じなのかもしれない。
ともかく彼らはヤマトとは違う勢力で、まだヤマトには取り込まれていない人々である。ヤマトに敗れた後東北地方の山奥に潜んで500年余り、という。征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷を平定し阿弖利爲・母禮を都に連れ帰ったのが802年である。ネットで色々みると500年前の敗北とは前九年・後三年の役(1051年~1087年)とみる向きが強いようだが、東北のヤマト化は継続的な動きであるので、明確に「この戦い」と示さなくてもよさそうである。とにかくアシタカの村の一族はヤマトに敗れはしたが、まだ確実にヤマトとは違う風俗を保っており、謎の文様のついた盾とか村人の髪型とか村の竪穴式住居などが明らかにそれを示す。昔、歴博(いや民族学博物館だったかしら…?)で復元された隼人の盾を見た時の衝撃を思い出した。彼らは自分達を「滅びゆく」ものと認識している。実際このまま東北地方のヤマト化は進むばかりであり、あの村の行く末のことを考えると切なくなってしまった。

一方タタラ場である。アシタカがタタリ神の足跡を追って西へ西へと進みたどり着いた場所である。出雲と見る向きが強いようだが、出雲のような盛んな地域であれば既により古来から開発が進んでいそうな気もする。タタラ場はエボシの開いた新しい製鉄所で、そんな新参者が製鉄所が作れるというのも今まさに人の手で開発されようとしている、開発のフロンティアだとすると、必ずしも出雲と限定しなくてもよさそうである。今ちょっとウィキペディアを見たら、岩手の南部鉄器は11世紀に藤原清衡が近江から職人を招いて始めたのが元祖とされているらしく、実際に12世紀には奥州藤原氏の平泉で鋳型が発見されているらしい。製鉄は当然出雲以外でも行われていたので、思ったより西には行っていない可能性もあると思う。西日本には入っていないのではないか。なんとなく、出雲だと西日本の奥深くに入りすぎているというか…
また、タタラ場のあるサンの住むシシ神の森は照葉樹林だとされているらしい。これは昔流行った照葉樹林文化論に宮崎駿が影響を受けているためと思われる。そう思うと、舞台は日本列島の照葉樹林の北限あたりと見てもおもしろいんではないか。この東北大学植物園のHPによれば、思ったより東まで照葉樹林は広がっていた。西からやってきたヤマトが分厚い異文化である東日本とぶつかるところ、文明が自然とぶつかる場所、というフロンティアの出来事と見ても面白いと思う。

もうひとつ「おっ」と思ったのが、石火矢を使うにあたりエボシが「明国」の武器と言っていたことである。ここで明確に時代がわかる。少なくとも大陸で明が成立して以降の世界なのである。明の成立は1368年である。
さらにエボシの設定として、倭寇の頭目の妻であったが殺して日本に帰ってきた、というのがあるらしい。ここで今度は倭寇である。倭寇については村井先生の『中世倭人伝』を読んでくださいしか言えんが、要するに密貿易などに携わる海賊である。ここでは前期倭寇か後期倭寇かという問題になる。前期は大体14世紀、後期は16世紀である。私は多分前期倭寇のほうだろうと思う。それは前期倭寇は日本人主体だが後期倭寇は中国人が多い(この辺非常にナイーブな話のようだが)とかいう違いもあるが、まず後期倭寇だとちょっともう文明が近づきすぎているというか、16世紀だと西洋人もガンガン世界に進出しているし鉄砲だって普及し始めるし、完全なイメージだがちょっともう近世近すぎないか?と思うのである。原始の森とか、既にもう無さそうというか…
なので、総合して私はこれは14世紀末~15世紀初頭あたりが舞台かなあと思った。完全な私の好みの問題ですが、まだここなら古代の息吹もギリギリ残っていそうと思うんですよ。
それにしても「明」が出てくると、いきなり背後の世界がものすごくくっきり立ち上がってきて、その時点で改めてサンの戦い絶対負けるという気持ちになった。だってもう明だもんな。中国史で明て言われたらなんかもうすっかり「最近」って感じがしてしまうじゃないですか。なんかもう原始の森なんて絶対無理じゃん感がすごい。日本と中国の歴史の差にも思いを馳せたくなる。


ところで、もののけ姫を見に行くにあたり、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』を再読した。
網野善彦は言わずもがなの日本史研究の巨人である。網野善彦の業績などを私が言うのも気が引けるが、今回読んでからもののけ姫を見てみて、本当にものすごく映画に直結していてびっくりした。映画に出てくる石火矢衆の服装など、この本で紹介されている『一遍聖絵』に出てくる犬神人と呼ばれている被差別民にそっくりである。また、でかい傘を持った人物もおり、こちらも被差別民らしいのだがまさにジコ坊なのでびっくりした。エボシが匿って鉄砲を作らせているのは当時からひどい差別にあっていたハンセン病患者の人々だ。牛飼や遊女、さらに芸能民や職人といった人たちも当時は被差別集団のひとつであったらしい。

となると、このもののけ姫には被差別集団しか出てこないのか、と思ってさらにびっくりした。アサノという侍勢力は武士だが、それ以外は全部なんらかの被差別集団である。タタラ場にいる人々はおそらく、食い詰めたりなんだりしてこの辺境、開発のフロンティアに流れ着いた人々なのではないかと思う。
昔中国史の論文で、山地の開発フロンティアには他地域で食い詰めた人々がやってきてなんとかかんとか開発して住み着くが、まだ環境も整っておらず不安定な地域なので山崩れなどの災害が起きやすく、生活基盤は常に不安定な状況にさらされていた、という内容のを読んだのを思い出した。(細かい題名とかは忘れてしまった…)
そんな周縁甚だしいタタラ場に、さらに東夷と呼ばれる滅びゆく異民族であるアシタカがやってきて、人間に捨てられた人間、もののけとしてのアイデンティティを持つことになったサンが出会うのだからこりゃーすごいと思った。まずこの舞台設定を作り切れんだろう。

前述の網野の本によれば、14世紀南北朝動乱を契機として、日本の社会の在り方はがらっと大きく変わっているらしい。13世紀以前には、天皇、神に直属の、「神の奴隷」であった人々が、14世紀以降社会の中で賤視される「ケガレ」た存在とされていく。これは、ケガレに対する畏怖の感情が薄れたことで、ケガレを清める特別な力を持つとされた人々が、単純にケガレに近しい、ケガレた存在であると見なされるようになった、ということだそうだ。
また、女性の地位もどんどん低くなっていく。鎌倉時代には存在した女性の御家人や地頭などが史料から見えなくなっていく。これは女性が独立して不動産を所有できなくなっていくということである。
もののけ姫の物語は、社会のなかでどんどん周縁に、ケガレのほうに追いやられていった人々が、しかしまだ流動性も開発余地も残されているフロンティアにおいて「生き生きと」生きている世界でもあるなあと思った。なによりタタラ場の主人であるエボシは女性なのである。女性が社会の表舞台から除かれていくただなかの時代において、ここにはまだ女性が主体的に動ける余地が残されている。彼女は売られた女を引き取ったり、ハンセン病患者を働かせたり、「外」では既に不可能になった周縁的な人々が主体的に過ごせる場としてタタラ場を作り上げている。
そこへやってくるジコ坊が率いる集団もまた周縁的な人々で、恰好からしても被差別集団だと思われるが、こちらは特異な技術を身に着けた集団である。「天朝」つまり天皇、朝廷ともつながりがあるわけだから、その技術でもって朝廷に使われている人々なのであろう。もとは神に仕える集団であったものが、この物語では神殺しをするのである。

網野によれば、鎌倉新仏教は女性や被差別集団の救済を重要視したらしい。神の力が失われた世界では、もはや「ケガレ」た人々を救うことは神にはできない。神は既に殺せるほどに弱くなっている。代わりに彼らを救うのは、遠くインドからやってきた仏教である。

しかし、本当によくできた映画だった。そして、網野善彦はもちろんのこと、照葉樹林文化論とか、文明の生態史観の梅棹 忠夫とか、日文研をつくった梅原猛とか、騎馬民族征服論とか、なんかこうその辺のやたら話がでかくてやりすぎ感も満載にしつつめっぽうおもしろい仮設がめちゃくちゃ元気だった時代の残した何かが、凝結した作品であったように感じた。「日本」とは一体何なのか、文明とは何か、文化とは、民族とは一体何なのか、というのを真剣に追い求めた時代、戦後の時代が凝縮して97年のもののけ姫になって現れたのかなあ、と思う。
そしてそれはまた日本独自の動きでもない。歴史学においてアナール学派というのがあるが、旧来の国家や歴史的大人物ばかりをとりあげる歴史学を批判し、無名の民衆や巨視的な構造に目を向け、学際的な手法でこれまで取り上げられなかった社会の在り方自体を解明しようという革新的な働きをした。網野善彦が目を向けた、もののけ姫に登場する周縁的な人々も、この系譜にあたるだろう。
「豚に歴史がありますか」とはまた非常に有名なエピソードである。戦前東京帝大の教授でありその激烈皇国史観によって一部政府にも影響力があったという、平泉澄が発した言葉である。学生が「百姓の歴史をやりたい」と言ったとき、平泉は「百姓に歴史がありますか」と言った、という。「百姓に歴史がありますか、豚に歴史がありますか」。つまり、百姓も豚も歴史学の対象にはなり得ない、歴史学の対象となるのはそういう存在ではない、ということである。超おもしろい話なので以下などご参照ください。
https://bokukoui.exblog.jp/19767190/

そういう時代は確かにあったのだろう。歴史とは、歴史の「表舞台」に立つ大人物や国家の歴史であった時代があった。そこから、無名の農民、農民からさらにその周縁に存在する人々へと関心は移っていき、膨大な研究がなされた。そういう業績のうえに、ついにアニメの金字塔ともいえる作品ができたのかと思うと非常に感慨深くなる。

そして今、と思うとなんとも小粒になったなあ、と思った。いくら最新の技術で美しい画面を作っても、エヴァンゲリオンにはそういう奥深さは無い。どこまでいっても少年の心の問題一本しかない。さらに新海誠まで来ると、「天気の子」なんて雑&雑&お気持ちって感じのめっちゃふんわりとした神社とか雨降る能力とか、およそ「もののけ姫」レベルの考証はできそうにない舞台設定である。
しかしそれは時代のもたらしたもので、宮崎駿がもののけ姫を作れたのは、先に挙げたやたら壮大な世界観を提示してくる革新的な学者などがいて、網野善彦が流行する土壌があったからである。それらが無い世界で物語をつくれば、物語も同じようにただただ薄くなるのみである。もうあんなアニメは作られることが無いのかもしれない。

蛇足ですが、私は卒論・修論でベトナム阮朝の「別納戸」と呼ばれた「一般農民でない人々」について調べたことがある。手工業者だったり漁民だったり香木とか燕の巣とかを取ってくる人々だったりしてその全体像は全然よくわからなかったのですが、それも考えてみるともののけ姫に出てくるような人々と似た生業だったのかしら…??などととりとめのないことを考えた。時代も場所もずれすぎであるが。しかし特別被差別民という話は聞いたことはない。とはいえ私はベトナム現地に詳しいわけでもなくただ史料を読んだに過ぎないのでわからない。
ともかく、古代において特定の集団がその技能や生産において王に仕えるという在り方は東南アジアや東アジアでは一般的だったようにも思えるので、日本との比較史がなされればおもしろいなと思う。もうどっかにありそうだが…あったら教えてほしい。

照葉樹林文化論つながりで考えると、雲南省レベルの山奥だとかつて中央に破れた民族もそこで独自の言語や風俗を保っているが、日本ではすっかりヤマトに覆われてしまったのだなと思う。琉球とアイヌを除いては、日本にいた様々な人々は同化され言葉は方言にかすかに残存するのみである。
乙事主は鎮西から来たという。物語のなかでは、九州の山はそのとき既に開発され尽くしてしまっていたようだ。
私の地元あたりには、イノシシを祀る風習がある。高千穂の猪掛祭りなどが有名だ。確かに私の地元は山深いが、既に照葉樹林は無い。山は、シシ神が死んで久しい山だ。江戸時代には既に日本中の山がほぼはげ山だったと聞く。人の開発の歴史の古さにも驚く。環境保護が叫ばれる現在だが、どこまで遡れば人類は自然と共生できていたのだろうか。あるいは、人間と自然の共生などあり得ないのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?