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12月28日(土) コミュ二ティと仕事

 六芒星のペンダントなんかしてるとよく勝手に誤解されたりするんだけど、あれはクロウリーじゃなくてスライ・ストーンなんですよ。

 余裕がある時に少しずつやっとけば大晦日に大掃除やなんかでバタバタしなくて済む、とはよく聞く話だし自分もそう思うけど実際にはなかなかできない。

 隙あらば仕事サボって他のことやろうとするのが普段のペースなんだが、今は掃除のことなど考えるのも嫌なので、仕事のことを考えている。段取りもそうなんだけど「仕事とは?」みたいな、普段あまり考えないことを。

 狭義の「仕事」=職務とゆーか日々行う業務全般を指したり、職業または職種名だったり、税法上の区分だったり、考えてみると結構アバウトに使われているワードだ。「将来何になりたいですか?」と聞かれた場合、「ユーチューバー」とか含め、多くの子どもたちは職業名を答えることが多い。彼らにとっての「仕事」は、何となく「大人になったらやらなければならないことの一つ」としてイメージされるものらしい。

 職業としての仕事や職業人に求められるスキルは、恒常的なものではなく、他の流行現象と同じく時代とともに変わる。「キーパンチャーとして就職したい」「ボイラーマン目指します」「コピーライターになります」てな人が減っていくのも、まあ自然な成り行きなんだろう。

 「AIに取って代わられることのない仕事」について一瞬考えかけたが、つまらないので止めた。AIにできること/できないことの境界が微妙な上、今後どうなるか見えないところがあるし、そもそも「職業」ぐらいの意味合いで言う「仕事」は、AI以外を含む全ての要素によって左右されるのだから考えるだけ無駄とゆーもので。新たに生まれる職業があれば消えていく職業もあるし、既存の職業だってカタチを変えていくんだろうし、職業名も、その名によって指されるものも、同じではあり得ない。

 ちなみに、「シニフィアン/シニフィエ」の訳語またはそれを説明する日本語はいろいろあるが、自分は、丸山圭三郎(敬称略)の「指すもの/指されるもの」がいちばんわかりやすいと思う。

 持続可能な(生き残る)仕事ではなく、持続を可能にする(生き残る為の)仕事とは何だろうか。連想は、年末らしく地縁血縁含む各種コミュニティと、個々の構成員が担う役割へと飛ぶ。

 地域コミュニティ。町内会での自分の役割は、まず回覧板を回すこと。あかん、イメージ拡がらん。

 アマゾンへ飛ぼう。プリミティブな部族のコミュニティ。ヨシダナギさんの写真。レヴィ=ストロース『悲しき南回帰線』。ブラジルつながりでサンバ。サンバチームからの連想で阿波踊りの連。よさこい、についてはよく知らないけど、伝統を保持しつつまたは保持する為にも、確実に新たなコミュニティを形成しているように思う。パルクールは、どうなるんだろうね。

 コミュニティの中で、分担すなわち一人ひとりの構成員が受け持つ「仕事」=「職業」ではない。たいがいは食い扶持を稼ぐ職業とは別の「仕事」だが、「いつでもどこでも必ず全く別」という訳でもない。そこは、ああでもないし/こうでもないとゆーneither/neitherな世界であり、ソシュール的二項対立とその応用では整理しようのない世界だ。

 効率とかも数多、とゆーより無限にある指標の一つに過ぎず。たとえば、服を脱いだり顔にペイントすることは、効率良く写真を撮ることと矛盾するように思う。部族内で受け継がれている儀式にしてもそうだ。それに参加することは、何を意味するのか。

 では、コミュニティにおいて最上位に設定される動機は? とゆーことになると、それはシンプルに自身の存続だ、とは言えまいか。人類の振る舞いは、決してそれ以外のオブジェクト指向のプログラムによって制御されている訳ではない。

 任意のコミュニティを、対象として観察する/分析する/消費する。そういうの実は、どれも対象としているコミュニティの存続とは関係ないんだとゆーことに、「みんな」薄々またはハッキリ気づいとんちゃうかな。






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