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12月21日(土) 因果と銀河

「年末進行で」という言い回しを聞く機会が多かったけど、ここ1週間ほとんど聞いてない。本当に年末になったら(メディア経由で伝えられるものを除いて)誰も年末とか言わなくなる。この現象、年末に限らず普遍的なものなんだろうか。

 さて、何で自分はコピーライターになったか。宣伝会議コピーライター養成講座(通信コース)を受講し始めたのは3回生のときだったが、そんな感じでいろいろ備えるなど、そっち方面へ進もうと意志するに至った具体的かつ劇的な「きっかけ」は? そんなもの都合良く見つかる訳がない。と、探し始めた途端気づいた。

 歴史の捏造は、まあ、普通によくあることだけど、例えば、外交問題の根っこに歴史認識の違いがあったりすることからもわかるように、なかなかに難儀な問題だ。個人史の捏造の場合、外交問題に発展することは考えにくいが、人間関係に支障をきたすなど困った事態はいろいろ考えられる。んやけど、話を無駄にややこしくしないよう、ここでは詐欺目的の経歴詐称など自覚をもって意識的につく嘘は除外して考えることにする。

 除外すると最早そこにあるのは嘘ではなく、嘘をついているかのように見える人物と自分とでは、はっきりと現実の見え方が違っているという客観的事実だ。「みんなで」共有している筈の現実を分断しているのは、たぶんそれを見ている個々人の「認知の歪み」に違いない。

 とゆーことで、まあ、だいたいは合っていると思う。合っているとは思うけど、雑踏を歩くと誰もが自分の悪口を囁き合っているので傷つく、といった現実が苦しいので医師の治療を受けています。といった人を除いて、多くの人は自らの「認知の歪み」を意識しないか、「自分の認知は歪んでなどいない」と何の根拠もなく信じているみたいで。困ったことだ。

 なぜ自分の恋愛はうまくいかないのだろう、一緒に話しているととても楽しく盛り上がるのに……。そんな愚痴を聞かされたことがある(聞く気はなかったんやけど、別件で2人で食事しているところ何の脈絡もなく唐突に始められたので逃げようがなかったんよ)。だいたい次のような話。

 意中の女性を映画に誘ったら、まったくつまらない内容だったので、劇場を出た後も2人でお茶しながら監督の悪口が止まらなかった。以来、彼女は仕事が多忙となりここしばらくは会えてすらいない。

 はあ。どうも話が変なので念の為、映画のチョイスがマズかったことは謝ったのかと尋ねてみたところ、相手は一瞬キョトンとした表情を見せた後、何も答えないまま勝手に繰り言を再開。ンそれで、謝ったん? 今度は、隣りのテーブル席のカップルがこちらを見て苦笑するほどに上ずった声で「悪いのはあんなクソ映画を撮った監督なのに、なぜ自分が謝らなければならないのか」とゆー意味の呪詛の台詞を漏らした。チョット待てよ誘たんは誰よ?……貴公の仰る「クソ映画」は観てないからどれほど酷かったか知らんけど、少なくともお前の恋愛応援する為に作られたもんじゃないよな。

 そんな感じで手短に指摘してやったんだけど、相手は無言で目をぱちぱち瞬くばかりで。これなんかも、同じ現実の風景が見る人によってまったく違っている証左と云えよう。認知の歪みて、その程度には怖ろしいもんで。ある映画の出来栄えまたは作風が、ある男の恋愛の行方を左右する、というのは実際にあるんですね。いつの日か、彼のところにも「風が吹けば桶屋が儲かる」式に恋愛成就の時がくること……は、あるんだろうか。

 とまあ、不思議な人もいるもんですが、自分だって他人から見れば相応に不思議だったりする筈で。そもそも「歪んでない認知」なんてものがあり得るのか? みたいな虚無的な考え方すら芽生えてきそうだ。

 それほどまでに頼りない身体機能を駆使しながら、現在の自分につながる決定的な出来事を探すことに、いったいどれほどの意味があるのか。自分は「振り返り」たらの方針を見直すことにした。実際のところ自分は、物事が起こった「経緯」や「ルーツ」に関心を持つ一方、「意味から逃れる」ことばかり考えていたりもする訳で。


 何か、禁酒や禁煙に失敗した人が「できない理由」や「するべきでない理由」をエンエン並べて言い訳してるみたいな感じになってきたけど、早速「振り返り2.0」へ。



 


 


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