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元航海士の僕が帆船で太平洋を横断した話~30日間5,133マイルの航海~

僕は4年程前、航海士の資格をとるために帆船で太平洋を横断しました。

帆船とは、エンジンを使用せずに風力のみで進む船です。

漫画「ONE PIECE」で言うとガレオン船と呼ばれる船で、15~16世紀の大航海時代で使われていた船の種類です。

現在、商業用の船は全てエンジンを搭載した動力船となっており、世界中に数万隻以上あります。一方、国際航海可能な帆船は世界でも数十隻程です。商業利用はされておらず、訓練用、観光用などの文化継承のために残しているといった感じです。

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僕はそんな珍しい船で、東京〜サンフランシスコまでの8,260km 5,133マイル)を30日間をほぼ風のみの動力で航海しました。地球一周の距離が約40,000kmなので、5分の1を30日間で移動したという感じです。

一日あたりに進む距離は、単純計算で約275km(東京-名古屋の直線距離)、時速11km(ママチャリ程度)という感じです。

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もはや使用されていない帆船で訓練する意味とは?

この船に乗っていた人は、僕と同じように船乗りの養成過程にある大学生(東京海洋大、神戸大など)約100人+指導員約30人ほどでした。

船乗りを目指す人にとっては帆船での太平洋横断は、「一生に一度は経験したいこと」の1つと言っても過言ではないと思います。

実際に、この船で太平洋横断をすることが夢で、その実現のために商船系大学に入ったという人もいるほど、様々な意味で船乗りを目指す人に影響を与える訓練だったと思います。

現在の船乗りの仕事は動力船で貨物や旅客を運ぶことです。しかし、この訓練で乗る船は帆船なので、実務では乗船することのない船で訓練をすることになります。

実務で乗船する動力船で訓練した方が、効率的だと考えるのが一般的だと思います。

帆船で訓練をする理由は、航海の基礎となる自然の力を理解する為に、帆船が最高の教材だからです。

動力船、帆船を問わず航海の基礎を3つ上げると、

①気象や海象に応じた航海(エンジンではなく、自然の力を動力にする)

②船位の測定(GPSではなく、星と太陽から現在地の特定)

③共同生活

ではないかと個人的には思います。

帆船で航海する目的は、特に①の気象や海象に応じた航海の全てが学べる点にあると思います。

よって、あえて実務では乗船しない帆船でのこの太平洋横断訓練があったと僕は思います。

順風満帆の語源とは?

帆船が進むには、風の力が最も重要です。

順風満帆」という言葉の語源は、順風(後ろからの風)の時に満帆(全ての帆を張った状態)にすると風を最大限に受けて全速力で進むことからきています。

後世に言葉で残すほど、風と船は重要な関係にあります。

ただ、現在では自然の力のみで航海することはありません。

エンジンを使用して、計画的かつ効率的に航海できるようになったからです。

船がエンジンを使わずに航海することの難しさを現代軸で例えると、現在の飛行機がエンジンを取り外して、ペダルを漕いで風に乗って飛行するような感じです。

自然の力のみで船を進めるのは、それくらいリスクと労力がかかる大変なことです。

そして、船が進むかどうかは風次第ということになります。

(そんな風任せでどうやって計画通りに目的地に辿り着けるのかについては、別noteで書きたいと思います。)

僕が乗っていた船には、合計36枚の帆がありました。

それら全ては、風によってどの帆を張るか、どの向きで張るか、張り具合まで決まっています。

少しの風も無駄にしないように、24時間、1グループ20人程の3グループで、常時調整し続けます。

雨の日も風の日も、この作業を繰り返してただひたすらに進みます。

毎日、「明日死ぬかもしれない」と思っていた

「順風満帆」の時は、時速30kmほど出ます。そういう風がある日は1日に500kmほど進みますが、風がなく、全く進まない日もありました。

一方で、風が強すぎる嵐の日もあります。

嵐の時に帆を張っていると、帆が風を受けすぎて破れてしまいます。状況によりますが、約風速12m/s(傘が壊れるくらい)を超えると、帆を畳みます。

風が強く、船が揺れる中、命綱なしでマストに登り(画像①)、ヤードを横移動(画像②)して、帆を畳んでいきます。

▽僕が実際に撮影した画像です

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画像を見ても分かるように、1本のロープの上で作業をします。

上から下を見ると、こんな感じです。

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嵐の中だと、風が強く、雨が顔に当たって前が見づらく、手元、足元のロープは滑りやすく、船はひっくり返されるんじゃないかというくらい揺れます。

この作業中、恐怖で毎回手足が震えます

今でも、その時必死にしがみついていたロープの感触を覚えています。

実際、僕は本気で遺書を書いていました。遺書の内容はここでは詳しく言えませんが、「お父さん、お母さん今までありがとう...」のような、戦時中の兵士が書くような内容でした。

いつの時代も、親への感謝はやはり最期に思うものなんだなと知りました。

僕だけでなく、遺書を書く人は日に日に増えてました。

実際、僕が乗っていた2年後に転落して死亡事故が起きてしまい、今ではこの作業は中止になっています。

この作業を無事終えると、「死ななくて良かった」と、心の底から思います。死を本気で意識すると、生きている今に、とても喜びを感じます。

僕が尊敬するスティーブジョブズも、ガンを宣告されてから死を意識し、毎朝鏡の前の自分に「今日が人生最後の日なら、今日することは、本当にしたいことか」を問いかけていたそうです。

僕もその1ヶ月間で死を意識してから、限りある人生、より自分の心の声を大事にするようになりました。

辛い共同生活ほど濃い人間関係が生まれる

帆船の生活はというと、2段ベッドが4つある8人部屋で生活していきます。

ベッド幅は70cm程しかなく、寝返りは打てず、上半身を起こすと頭が天井に当たります。パーソナルスペースは、ベッドについているカーテンを締めた内側しかありません。

▽僕が住んでいたベッド

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▽2段ベッドが4つの8人部屋

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男8人で生活するにはかなり狭く、こういう部屋が15部屋程あります。

部屋は水面レベルで、窓からはこんな景色が常時見えてました。

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その他の施設としては、食堂兼教室、大浴場、厨房、共同トイレなどがあります。

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船の中で、特に狭い部屋で共同生活していると、仲間との絆はかなり深まります。お互いに命を預け合っている責任を自覚し、心から信頼できる関係になります。

そんな仲間とは、今でもよく飲みにいきます。船乗りになっても、そうでない進路に進んだとしても、そういう関係は時が経っても消えないものですね。

ゴールデンゲートブリッジに歓喜する

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この航海の目的地であるサンフランシスコといえば、Zoomのバーチャル背景にもある、この赤い橋「ゴールデンゲートブリッジ」が有名です。

陸から見るこの景色が一般的ですが、僕が乗っていた船はこの橋の下をくぐってサンフランシスコ湾へと入って行きました。

▽船から見るゴールデンゲートブリッジ

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普通に旅行などで見にいく感覚とは違い、約1ヶ月陸を見ていない中、ようやく見れたゴールデンゲートブリッジが見えてきた時は皆んなで喜び合いました。

そして、ゴールデンゲートブリッジの下をくぐり、サンフランシスコの街が見える頃には、日が暮れてきました。

▽サンフランシスコの街と夕陽

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この夕陽に照らされるサンフランシスコの街を見た時の感動は、それまでの僕の人生史上一番の感動体験でした。

1ヶ月間の苦しい思いからようやく開放された安堵と感動がこみ上げてきました。

果てしない海原での航海を終えて久しぶりに陸を見る時の気持ちは、遠距離恋愛している大好きな恋人に会えた時のように、愛しい感情がいっきに溢れてくる感覚に似ているところがあります。

船に乗ると陸で過ごす当たり前の日常が、どれほど幸せかを痛いほどに感じます。

今僕は船を降りて、陸上で仕事をしていますが、陸で送る生活に今も喜びを感じています。

もちろん日常に幸せを感じている人はたくさんいると思いますが、陸にいることが出来ない苦しさを知っている分、より強くそれを感じることが出来ます。

そんな気持ちを知ることが出来た貴重な体験が、サンフランシスコへの1ヶ月の帆船での航海でした。

終わりに

かなり長くなってしまいましたが、最後までお読み頂きありがとうございました。

ちなみに、サンフランシスコに到着したあとは、2週間かけてハワイへ。そして3週間かけて東京へと戻ってきました。

次回は、日常生活の当たり前に僕がどんな風に喜びを感じているかを書いてみたいと思います。

次回もお楽しみに〜!(^^)!


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