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自分で決めた人生の方が楽しいって話し

こんにちは!ヒラパーです!

今日は、自分自身で意思決定していった方が人生楽しくなるんじゃね?って話し

現在、KYOTOTANGOQUEENSの運営をしていますが、
僕は、サッカーと関わっている期間は短く、
地元の高校サッカー部からサッカーをスタートして大学に進学、体育会のサッカー部に入部したのですが、
2022年日韓共催W杯終了と共に、1回生の終わりにサッカーを引退しました。(いや、引退って何様w)

大学時代はバイトに明け暮れ(バイトなのに本気で店を愛してる仲間が多かった。今でも繋がってる仲間)
映画俳優に興味を持ち映画鑑賞にハマった時期(浅いw)、バイクで日本中を巡ったり自由気ままに過ごしていました。(父さん母さんすいません。。)

就職活動の時期には、
同級生達が右にならえで、嫌々ながら就活をしている姿を馬鹿馬鹿しく思い、就活を全くせずフリーターになりました。(父さん母さんすいません。。)

何者にもなりたくなかった

当時の自分の感情です。

社会や誰かに推し量る事が出来るような存在になる事がとても恐怖でした。
僕の人生は僕が決める。

忘れもしない27歳の5月。
フリーターだったバイト先のトイレで
「ワシ、サッカークラブで働きたい!
サッカーというワクワクの非日常を届けたい!
みんなと一緒に何かを達成したい!」
が降ってきました。
(トイレで何かが降りてくる事が多い)

そこから、全てのJリーグクラブチームに直電(DM)をし、
丁稚奉公で給料いらないから働かせてください!とお願いしました。
「そういう子は1日に3人ぐらい連絡あるんです」
当時、フロンターレにいた天野さん(後で知ったけど、界隈では有名な方)から直接電話で伝えられました。

当時、JFLだったFC琉球の面接にこじつけるも、
「フリーターじゃあね、せめて営業経験ぐらいないと」と言われ、
じゃあ、営業を勉強してJクラブのフロントに入ろう!と営業会社に就職を決めました。

当時、フリーターの様な僕を採用していただいた営業会社さん、本当に感謝しています。
当時、固定給10万円+出来高(大体10万円から18万円を行ったり来たりだった)で家賃7.6万円、電車の定期代(自腹)2万円で暮らしていました。
10万円しか貰えない月は悲惨でした。笑
毎日、巨大なおにぎりを握り、ポーチに入れて、東横線のギュウギュウ詰め電車でお煎餅のようにぺっちゃんこになったおにぎりを食べてました。

それでも楽しかった。楽しめる事を探した。
楽しもうとしないとやれなかったかもしれません。

営業会社に勤めて一年後(せっかちだよね。笑)、
フロンターレの天野さんに再度連絡をしました。
「ここは年収1000万円以上の人材が年収300万円になってもやりたい業界だから、圧倒的なスキルがいる」
と断られた時、
もう自分でサッカークラブを経営しよう!と考えました。

その1年後、営業代行の会社を創業しサッカークラブを経営する為の経営ノウハウを学びました。

当時、名古屋に住まいを移し、社員2名と2DK4万円の家に住んでいました。
不動産屋に行った時に「生活保護の方ですか?」と言われ、
バランス釜(知らない人多いよね。笑)のお風呂に浸かり、
エアコンのない部屋で灼熱の日々を過ごし(キッチンに寝ていた子は暑すぎて夏は公園で寝ていました。)ていました。

バランス釜のお風呂
クルクルまわして火を着けます

常に楽しかった思い出です。
そして、何かあっても動じないメンタルを培えたと思います。笑

創業1年目に社員さんがクレームを貰い、
クライアントから5000万円の損害賠償を請求された時も、
「何年で返済しようかな〜」と意外に冷静な自分がいました。
(結果、損害賠償請求は少額金額で折り合いをつけて和解)

現在、KYOTOTANGOQUEENSを運営する事が出来るのは、

やりたくない事はやりたくない
やりたい事に繋がるやりたくない事はやる
行動の先にしかあるべき姿は見えない

いつの間にか、こんな考えが染み付いていました。

色々と悩まないで
それは自分自身が作り出した幻想だから
好奇心が赴くままに
何も不安がなかった子供の頃のように
今を生き
広い世界を見て欲しいなと思います。
僕もずっと。

日日是好日

ヒラパー

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