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200 さすが百万石の城!見どころ満点の金沢城

前回、尾張町から主計町(かずえまち)界隈を散策しましたが、その足で百万石通りを歩いて金沢城に向かいました。

金沢にはもう5、6回来ているのですが兼六園の方ばかり行っていて金沢城を訪ねるのは初めて。前回の出張のときに少し足を踏み入れたのですがあまり時間がなく、次に来た時には必ず行こうと決めていたのです。

まずは金沢城の東の端にある遊歩道、白鳥路(はくちょうろ)へ。大手堀前の白鳥の像が目印となっておりそこから石川門方面にいたる遊歩道は彫刻が多く並びさながら屋外美術館の様相です。

こちらは金沢ゆかりの三文豪(泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星)の像。文学に疎いわたしは名前ぐらいしか聞いたことがありません、残念。

雪の重さで木が折れないように縛る雪つりは金沢の冬の風物詩。遊歩道のあちこちで見かけました。年末に降った雪はもうすっかり溶けてなくなっていましたが、冬はまだ長いので、またこの雪つりが役立つ時が来るのでしょう。

裸婦像ていつも独特のポーズ取ってるよね。


そんな裸婦像に見惚れていると、出口の石川門下で前田利家公に出会います。尾張出身である利家が秀吉からこの城を与えられて以降、300年に亘り金沢城は前田家の居城となりました。実は利家は京都や大阪にいてほぼ金沢にはいなかったようですが…。

兼六園との間を結ぶ橋のようになっている通りを歩き、1788年に建てられ重要文化財にもなっている石川門をくぐります。

石川門をくぐると目の前にまた門。こちらは河北門といって大手門につながる門。石川門は裏口であり、河北門がいわば正門としての役割を果たしていました。ずいぶんと重厚な門です。

2つの門とも潜った先には三の丸がありましたが今は広場になっています。

その広場の向こうに建つ長い建物が金沢城を代表する建物である菱櫓と五十間長屋。

長屋の右端に建つ菱櫓は大手や搦手を見張る物見櫓。名前の通り菱形をしていて柱もすべて菱形になっているという変わった建物です。城ではあまり使われない海鼠壁も特徴的ですね。金沢城は石垣の宝庫と呼ばれますが、ここの石垣は赤や青などの戸室石を使ったカラフルなものになっています。

戸室石とは金沢郊外の戸室山で切り出される安山岩のことで、固く耐火性があるので石垣に用いられてきました。

菱櫓から左手に延びるのが五十間長屋。多聞櫓とも呼ばれていて武器庫などに利用されてきた建物ですが、この長さはインパクトがありますね。二の丸を防御する役割も果たしていました。

五十間長屋の左端、堀を渡る橋の向こうにあるのが橋爪門。さきほどの石川門、河北門とともに金沢城の三大門と呼ばれ、二の丸に続く正門です。極めて重要な門であり番所が置かれています。

その番所のあった続櫓。桝形が実に見事ですね。それに石垣の積み方がさきほどの五十間長屋とは異なり、まるでパッチワークのようでとても滑らかです。

ここを潜ると二の丸広場に入ります。二の丸は現在復旧に向けて工事の最中。

周囲530mあった広い広い二の丸のほんの一部の復旧ですがそれもまだ緒に就いたばかり。完成にはまだ時間がかかると思われますが、藩の重臣たちが暮らしとはいかがなものだったのかを知ることができる二の丸の誕生が今から待ち遠しいです。

二の丸からさらに西に行けば玉泉院丸庭園があります。前田利長の正室玉泉院が屋敷を構えたこがその名の由来で、次代藩主の利常が庭を造り始めたとされています。

金沢の冬の庭園には雪つりは欠かせないですね。冬の庭園は芝も枯れてやや寂しげですが雪化粧すればこの時期しか見られない幻想的な光景が見えるのかもしれません。

10月、まだ芝生が青いころの庭園の記事はこちらに書いております。

白鳥路にいたころは温かく天気もまずまずだったんですが急に寒くなり、復元された「いもり堀」を出るころにはみぞれまじりの雨になっていました。天気が良ければここは格好のお散歩コースだそうで、残念。

このほかにも現在修復中の三十軒長屋や鶴丸倉庫などまだまだ見どころたくさんの金沢城。全国の城跡をたくさん巡りましたが天守がないのにこれだけ見どころがあるところはほかにはありません。城内にあった金沢大学が郊外に移り、復元が進められる金沢城。これからますます加賀百万石を象徴する城の姿が露わになっていくことでしょう。

それがいまから楽しみです。

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