71 サッカーと共存する神鹿の社・鹿島神宮へ
ゴールデンウィーク、成田に行った私はそのまま成田線を東へ向かいました。
香取神宮で有名な香取から鹿島線に乗って水郷地帯を抜けて茨城県へ。
鹿島神宮駅にやってきました。その名の通りこの駅は常陸国の一宮、鹿島神宮の最寄駅。
サッカーJリーグの強豪、鹿島アントラーズのホームタウンとしても有名です。アントラーズとは鹿の枝角の意味を持ち、鹿島神宮の神鹿に肖ったネーミング。神鹿のお力なのか、1993年のJリーグ発足以来J2以下の降格経験がないのは横浜Fマリノスとこの鹿島アントラーズだけです。
神宮に向かう道を歩いていてもアントラーズのエンブレムを掲げたサッカーボールの石像?が。それだけ街を挙げてアントラーズを応援していることがわかります。
10分ほどあるくと鹿島神宮に到着しました。この日は5月4日。ゴールデンウィークの最中とあってか参道の前はかなり渋滞しています。
鹿島神宮の起源は古く奈良時代の常陸国風土記ではすでに鎮座が確認されています。海や多くの河川に挟まれながらも台地に建立された神社は古くから東国随一の神社として崇め奉られてきました。
江戸初期に建立された楼門をくぐり境内へ。日本三代楼門と謳われ重要文化財に指定されています。
拝殿をくぐるとさっそく人が並んでいます。右手が本殿、拝殿。ゴールデンウィークでもこんなに参詣客っていっぱいいるんですね。こんなに並ぶの初詣の時ぐらいかと思ってました。
さて、普通本殿は鳥居をくぐると真正面に位置しているものですが、鹿島神宮では横、それも北を向いて建っています。これはなかなか平定できなかった東北地方に睨みを効かせる意味があったと言われています。
本殿は2代将軍徳川秀忠が寄進したもの。その前にも家康が本宮を寄進していますが、こちらは奥宮として移設した上でこちらを奉納しています。徳川が挙って社殿を建てるほどこの神宮は重要視されてきたのです。
さて、その奥宮はこの奥参道を行った先にあります。奥宮に向かって300m。森の中を歩きます。境内は広く森に包まれており、東京ドーム15個分の敷地があるそうです。
途中さざれ石に参拝。
神の使いとされる鹿たちは今も鹿園で飼われています。鹿島神宮はもとは香島と書かれていましたが、8世紀ごろに鹿島とされたのはこれら神の鹿に由来するとされています。ただしこの頃は感じ記載にはブレがあるのが通例なので諸説ありです。春日大社の鹿の発祥もここ、鹿島神宮といわれています。
こちらは奥宮の参拝に並ぶ列。
本殿だけでなく奥宮までもこの混雑。さすが家康です。
こちらが家康が本殿として奉納し、秀忠が奥に移したとされる奥宮。国の重要文化財です。
奥宮をさらに奥に進むとこんな森が。ここを抜けてきたに抜けることも可能です。かつては北からの参詣道とされました。
鹿島神宮の一の鳥居は太平洋側にも北浦側にも、遥か彼方の北にも存在します。南の一の鳥居は息栖神社のものを代用。四方から参拝者を受け入れられる作りになっていました。
特に西の鳥居からは船で鹿島神宮まで来ることができました。今でこそ駅から歩いて神宮に来られますが、かつてはそのかなり西の方から船でこの御手洗池(みたらしいけ)まで進んで身を浄めて参拝したそうです。
この池は湧水が流れ込んでいて透明度がかなり高いです。湧水の出る場所には多くの人が。その手前の鳥居の上には木の太い幹が横から突き出ています。この幹の突き出方も鹿の雄々しい角のようにみえます。
行列に並んで湧水で手を洗いました。とても冷たく凛とした気持ちにさせてくれますね。この水で身を清めればさぞ気を引き締めて参拝に臨むことができたのではないかと思います。
近くに家族連れがいて、会話が聞こえました。
母「この池みたらし池っていうらしいで」
子「えっ みたらし団子の汁でてくるん?」
母「べったべたになるわ、べったべたに」
鹿島神宮は先ほど電車を乗り換えた香取駅に近い香取神宮と対になっています。この地域にある沼はかつてもっと広く、両神宮は対岸に位置して蝦夷地に向かう人々を受け入れてきたとされています。
今回は香取神宮には行けませんでしたが、次回は是非ここにも訪れて「ちばらぎ」と呼ばれる両地域の結びつきが古来から強かったということを学んできたいと思っています。
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