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【パリ五輪】パリはスポーツを愛と表現した

昨夜、開会式が終わりまして、無事何ごともなく家まで帰り着きました。今のうちに開会式で表現されていたと感じた内容をメモしておきます。

そもそも、なぜこういう動きを自分がしているのかということについては、一昨年取材してもらったこちらの記事が一番わかりやすくまとまっているのでぜひどうぞ。

スポーツは「愛」を表す文化であり「分かち合う」ことでその価値が解放される

個人的に「パリはスポーツをアートとしてどのように捉えるか?」をここ数年考えて来たわけですが、そのひとつのパリの解答がすごくシンプルに出たのでスッキリしております。

パリは「スポーツは愛を表現するモチーフになると感じているよ」と、人々に問いかけたということでした。

愛の具体的な行動として「シェア」であり、だから我々はセーヌ川で開会式をやって、何十万人という人々にこの素晴らしいスポーツ文化の体験を「シェア」する試みをしたのだと。

開会式の開始。最も安いセーヌ川の上流側の立見席からの画。
雨の中、多くの人が各国の選手がセーヌ川を下る姿に声援をあげた。
立見席は公園になっているので、木の陰に入って見る人や鉄塔に登って鑑賞する人もいた。
難民選手団の入場の様子。写真上部に写っている対岸は無料ゾーンのはず。有料入場者に限らず多くの人がこのショーを鑑賞した。
日本選手団の入場の様子
たしかこれはアメリカだったと思う。写真奥にあるような建物からも多くの人がセレモニーを鑑賞していた。
選手団が一通り通り過ぎると、残っている観客はモニターを見る形になる。数十万人が異なる回か市域の体験をしていることがカオスを生む都市型フェスの魅力であり、現地にいた様々な人が今後の創造性につながる体験をしたはず。
川沿いの建物は特等席
モニターは様々なところに設置されているので、いま何が起きているかがわからなくなるということはない。
各自帰路に。右側の警察官、というか兵士を見るとわかるように見た目にもわかりやすくライフルを構えている。こういう警備兵がいたるところにいる。
場所を表すB1/B2といった巨大標識。これは集合場所としてわかりやすかった。
帰り道に見たエッフェル塔

詳しくはまた別の機会にしようと思いますが、「スポーツは愛を表現するモチーフになると感じているよ」と世界に向けて表明したことは歴史的なことだなと感じています。

今後アートとしてスポーツを扱う時の幅がむちゃくちゃ広がる内容だったと感じました。

スポーツにとってもチャレンジングな話だし、アーティストにとって想像力を掻き立てられる話だし、スポーツを通じたまちづくりなどなどでもそう。

そもそもスポーツとはどういう価値を持っている文化なのか?を問うときに「愛をつくっていくモチーフとして捉えられるのですよ、例えば」というクリエイティブが自然と作れるようになるはずなのです。

この「愛のモチーフとしてのスポーツ」という表現は、パリなどなどでの伝統的なアートの世界にもともと存在したスポーツに対する捉え方とはだいぶ違うので、物議は醸すと思うんですが、「スポーツは空間特化型かつ自分だけではなく相手がいないと成り立たないタイプのアート」と捉えられるので自分はだいぶありな表現だと思うんですよね。

これが後付けじゃないなら誰が考えたのか、どういう議論過程があったのかを知りたい。

3年前にアートフェアの出展の手伝いでパリに来たときに、ひたすらスポーツをモチーフにしたアートを探したんですが、あんまりなかったのですよね。

あっても、大概は「情熱」とか「力強さ」とか、もしくは「権力の象徴」的な使われ方をしてしまってバリエーションが薄いなと。

↓のハンドボールをモチーフにした抽象画はその時見つけたほぼ唯一のスポーツをモチーフとしたアート。Stade Pierre de Coubertinにありました。

2021年10月、Stade Pierre de Coubertinでバドミントンの国際大会をやっていたので寄ってみたら見つけた抽象画

以上、ざっとメモ。

この先は、今回示された「愛」の解釈、西洋のアートにおける「愛」とは何かを考えていきたいわけですが、宗教的な話になるので慎重にいきたいと思います。

少なくとも八百万の神は想定してないと思うのですよね。

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