無難な自己紹介

「はじめての記事では自己紹介をしよう」と思っていたら、自己紹介についてモヤモヤと考え出してしまったので文章としてみたもの。まあ当たり前っちゃあ当たり前の話。


自己紹介。それは誰かと関わる際、手始めに自分について知ってもらい、かつ相手について知るという行為である。初対面で互いを探りあうような会話をするまでもなく、相手を知ることができるため便利な手段だ。名前を言うだけの単純なものから、出身地や趣味を言う情報が多いものもあり多種多様だ。

つい最近、新学期など新しい場で自己紹介をしたという人は少ないないと思う。私もたいした年数を生きていないが、学校やアルバイトで何度も自己紹介をしている。いざ壇上に立つと自分の名前を忘れるくらい緊張してしまう私だが、実はそんなに嫌いでは無いのだ。自己紹介という行為が。
それというのも、"自分を知って欲しい"という気持ちと、"あからさまに自己を押し出すのは恥ずかしい"という気持ちが混在しているからだ。なんともワガママだし矛盾している。自己紹介はそんな私のワガママな矛盾を満たす大義名分的な行為だ。

かと言って得手不得手となると話は別で、私は自己紹介が下手だ。前述したとおり、名前も言おうとした事も忘れるくらい緊張するし声も震えてしまう。情けない。
私は第一印象が"大人しい"らしいため、変にウケを狙おうとすると大して反応がもらえないという、まさに"事故紹介"になってしまう。ただ単に本当につまらないだけかも知れないが。
一番困るのが特技を言わなくてはならない時だ。特技なんてものは、自分がそう思っていれば特技と認定して良いのは理解しているが、それが中々できない。「本当に言うほど上手か?」と己の中の否定的な卑屈虫がいちいち文句をつけてしまうからだ。だから苦手だ。
趣味も難しいところだ。私はかなりのオタク気質で趣味もあまり良くないため、それを出さないように爽やかに伝えることができるかを探ると、無難な「映画鑑賞」とかになる。この場合は別に真っ赤な嘘という訳ではなく、「ホラー映画が好き」という悪趣味を「映画鑑賞」という言葉で隠しているだけだが。

こうやって考えていて思ったのが、"無難"であることを求めすぎるあまり、"自己"を偽る自己紹介という不思議なこともあるかもしれない、という事だ。
隠したい部分は隠していくに越したことはないが、自分に得のない部分で周りの目を伺いすぎて無難を選ぶとなると少し生きづらいかもしれない。

こんな事を考えてはいるが私自身、人との対立がめんどうで無難を選ぶこともあるため非常にお世話にはなっている。無難バンザイだ。
普段の私の自己紹介が無難かどうかは分からないが、つまらないに違いない。つまらないなりに表現する自己でも誰かのツボにはまってもらえる日がくるだろうか。

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