私が思う椎名林檎

丸の内サディスティックは椎名林檎であると思う。

それは代表曲という意味で言っているのではない。いつも変化し続ける椎名林檎と一緒で、この曲もまた変化し続けているからだ。

私は椎名林檎を誤解していたのだ。誤解というのは身勝手なものだ。私がどうしようもなく惹かれる"若さ故の危うさを抱えた林檎ちゃん"は変わってしまって、今の椎名林檎は"歳を重ね落ち着いた林檎さん"だと考えていた。でもそれは違っていたと思い知らされる。

Youtubeで6月4日に配信されていた『「東京事変の花金ナイト アジトなう。』。そこでの亀田師匠とのやり取りを私は「これは"林檎ちゃん"だ」と感じた。やはりご本人の仰っていたとおり、付き合いの長さ故なのだろうか。そこで私は自分は椎名林檎を誤解しているんじゃなかろうか、本当は彼女は何も変わっちゃいないんじゃないか、と思い始めた。
それからあまり経たないうちに『NHK MUSIC SPECIAL 東京事変~人類と快楽~』が放送された。そこで私の思っていた事は確信へと変わった。多くの視聴者も同じように感じただろう。番組では彼女の代表曲のひとつである『丸の内サディスティック』が披露されたのだが、それはもう凄かった。彼女は、そして丸の内サディスティックは何ら変わってなどいなかった。
丸の内サディスティックがアルバムにある原曲どおりに演奏されることは近年なかった。それこそ十何年と演奏されていなかっただろう。もちろんどのアレンジも素敵で魅了された。だがオリジナルのバージョンでもう一度聴きたいと密かに願うファンだっている。私もその1人だ。だからこそ感動、衝撃だったのだ。生きていれば良いことがあるとはこの事かと、本当に思った。

話は戻るが、彼女は変わっていない。何が変わっていないのか説明しろと言われると難しい。もちろん人間なのだから、変わった部分だってたくさんあるだろう。でも椎名林檎も丸の内サディスティックも芯の部分では変わっていないと感じることができた。それは私にとって大きな喜びであり、変わらないものがあるという安心を与えてくれる事でもあった。

余談だが新しい椎名林檎を発見できて嬉しかった事もある。それは2019年にリリースされた『三毒史』に収録されている、BUCK-TICK櫻井敦司とのデュエット曲『駆け落ち者』を聴いたときのことだ。過去形で話しているが、これはつい最近の事だ。聴くきっかけはBUCK-TICKにハマった事だったのだが、聴いたらやはり椎名林檎はすごいと思わされた。櫻井さんの歌声を最大限に引き出す曲を作っている事ももちろんだが、林檎さんの歌声を聴いて「こんな歌い方もするんだ」と思える新鮮さにも圧倒された。曲自体が麻薬のように身に染み入り、癖になってしまう良さがあった。そこにのせられる私の知らない林檎さんの歌声にワクワクできて楽しかった。変わることは寂しいだけではないと、教えてもらえて良かった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?