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キトラ古墳壁画見学記

 

 令和2年11月2日、雨の奈良市を訪れていました。

 高校生の頃、奈良時代を舞台にした漫画(長岡良子先生の藤原不比等シリーズ)やジュナイブル小説(『宇宙皇子』)が流行っていたせいもあり、もともと京都より奈良が好きだったのですが、5年前から身内が奈良に住み始めたため、たびたび訪れる様になりました。まあ、たびたびといっても、仕事もあり自宅からは車で3時間はかかるので年5回くらいですが。

 奈良の寺院や神社では秘仏や国宝の特別公開がされることがままあるのですが、私の訪れるのは、たいてい似たような時期でなおかつ身内に用事がある時のため、同じ秘仏を何度も拝見していたり、そうかと思うと全くご縁のない国宝があったりするんですよね。

 今回もちょうど、私の大好きな夢殿救世観音様の特別公開の時期だったのですが、もう3回ほど、お会いできているので、さて法隆寺に行こうかどうしようか迷っておりました。

「がんご(鬼)」の寺で偶然知った壁画公開

 たびたび、奈良を訪れていてもまだ行っていない神社、寺院も意外とあり、とりあえず行ったことのない場所に行ってみようと思いまして訪れたのは元興寺。こちらは映画化もされた澤村伊智先生の『ぽぎわんが、来る』に登場する「がんご」の語源のもとになったお寺で、さぞかし「がんご(鬼)」が溢れているかと思いきや、そうでもなく、ちょっとさみしいなと思っていたら「振りかえってみあげてみましょう」という看板があり何気なく見上げてみると

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鬼がいました。

 そして、その元興寺に貼られていたポスターに「第17回国宝 キトラ古墳壁画 令和2年10.17(土)-11.17(日)」の文字が。

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 今日やっているじゃないか。

 その時、時間は午前10時半。

 キトラ古墳は奈良といっても、奈良市から1時間ほどかかる明日香村にあり、13時から14時までと、18時半からは身内の用事がある。14時に近鉄奈良駅を出発すれば、ぎりぎり間に合うかも……。

 事前予約の時期は終わっているので、問い合わせ先であるキトラ古墳壁画保存管理施設に電話をしてみると

「20分ごとのご案内で、空きがあれば当日でもご案内できます。今日は各時間に空きがございますので、ご案内できるかと思います。」

と、優しい関西弁で、いたって丁寧な説明をしていただきました。

 私が奈良時代を好きになる少し前に発見されたキトラ古墳。名前の不思議さ、壁面に描かれた四神の姿は少女時代の私の想像を掻き立てたものでした。被葬者は誰なのか、四神に守られた墓を暴いたら、祟りがあるかもとか。

これは、行くしかない……。

近鉄で壺坂山駅へ

 身内の用事が済んだあと、近鉄奈良駅から2回乗り換えをして、壺坂山駅へ。歌舞伎の「壺坂霊験記」の舞台になったところですね。明日香駅よりもキトラ古墳はこちらの方が近いんです。

 そして、その名も「壺坂タクシー」さんに、事前に駅まで迎えをお願いしておいたのですが、会社は駅の目の前だったのでわざわざ頼まなくてもよかったかもしれません……。

 キトラ古墳壁画体験館 四神の館には4年前の春に車で訪れたことがあり、その時、期間は長くないけれど実際の壁画が公開されることを知り、いつか来たいと思っていました。でも、公開の時期はすっかり忘れていたんですけどね。

 ともあれ、無事にキトラ古墳壁画体験館 四神の館に到着しました。

キトラ壁画とご対面

 当日受付に行くと、16時からの回に入れるとのこと。30分程待って指定された階段の下に行くと2階に案内されました。

 案内されるまで、

「古墳の中に入れる!わくわく!」

と思っていたのですが、そんな訳はなく壁画は剥がされた状態で保管されていました。

 保管室に入る前、コロナ感染拡大防止のため一人ずつ離れて並び警備の人が離れてみること、大声では話さないこと、撮影禁止の注意を促した後、保管室に顔を差し入れて

「ねぇ、もう入れちゃっていい?」と砕けた感じでなかの警備員さんに聞いていて、ほっこりしました。

 保管室に入れるのは、20人ほど。小学生くらいのお子さんづれから考古学マニア風の一人で見えている男性など、様々でした。

 今回、公開されたのは天井に描かれていた「天文図・日月像」と石室西壁に描かれていた「白虎(びゃっこ)」。

 「天文図・日月像」には星・日・月と四つの朱線が描かれていて、これは「内規、赤道、外規、黄道」が表されているそうです。赤道や太陽の通り道である黄道をわかっていたということは、かなり高度な天文知識が既にあったということでしょう。

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 「白虎」はかなり状態がよく筆遣いまではっきり見ることができました。これを描いた人は壁に描かれているので一息に描いていったのでしょう。ここに画く前にずっと練習してから描いたのかもしれません。

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 このキトラ古墳が作られたのは、7世紀から8世紀ごろといわれています。

 壁画を描いた人は、千年後の未来まで残ると思って描いたのか、ただ古墳の被葬者の鎮魂を願って描いたのか。

 意外と今の私達と一緒で、目の前の仕事をただ一生懸命にしただけかもしれませんね。だとするならば私達が今している仕事も何かの形で千年後にの誰かに見られることがあるかもしれません。 


 

 

 

 

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