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Silent

斜陽のさす聖堂に2つの影。
女は祈っている。男は本を開いている。

男)落としましたよ。
女)ありがとうございます。
男)あの。
女)はい。
男)どうして、こちらに。
女)……どうしても来たくって、いてもたってもいられなくて。あなたは。
男)似たようなものです。
女)……苦しい、ですか。
男)苦しい、ですね。
女)……苦しいって、苦いって書きますよね。昔、にがりを飲んだことがあって。こんなに苦いとは思わなかったってくらい苦かったです。吐きそうなくらい。
男)……いつだったか、友人にチョコレートをもらったことがあるんです。甘いのと苦いの。甘いのは、落としちゃいました。両方とも食べましたけど。ビターチョコレートって、からだにいいんですよね。俺は、嫌いです。
女)苦いの、嫌いなんですね。
男)ええ。
女)わたしは、嫌いじゃないです。好きでもありませんけど。ただ、紅茶の苦みは愛してます。
男)愛、ですか……。
女)わたし、たまきっていいます。
男)俺は、セイヤです。
女)セイヤさん?
男)聖なる夜。そのまんまなんです。お恥ずかしい。
女)わたしも珍しい名前で、よく確認されます。恥ずかしいです。
男)いえ、美しいお名前ですね。
女)ありがとうございます。でも、美しいっていうなら、セイヤさんだって。
男)恐縮です。
女)ここにはよくいらっしゃるんですか?
男)久しぶりに来ました。
女)わたし、最近になって来るようになったんです。ひとりになりたくて。
男)すみません。邪魔しちゃって。
女)あ、そうじゃないんです。落ち着いて祈れるのってここくらいだからって意味で、そんな、今日のお勤めはちゃんと終わったので、いいんです。すみません。
男)いえ、大丈夫です。
女)昔はよくいらっしゃってたんですか。
男)親に連れられて。
女)それでお名前が。
男)そうなんです。
女)どうして、久しぶりに?
男)……苦しくて。
女)そうですか。
男)苦しいときの神頼みってヤツですよ。不信心なんです。
女)わたしも不信心ですよ。
男)またまた。
女)わたし、ここで結婚式挙げたんです。主人がクリスチャンで。
男)それは素敵ですね。おめでとうございます。
女)ありがとうございます。……不思議ですね、ここへ来ると、心が落ち着くんです。
男)ええ。
女)何を……(男の手元を見て)ああ。
男)久しぶりに。
女)いい言葉はみつかりましたか。
男)ここには、すべてが書かれていると思いました。聖歌集も開いてみたんですけど、たくさんの悲しみや苦しみ、祈りに満ちていました。教会は、形骸化した、ただの伽藍堂だと思っていたんです。でも伽藍堂だったのは、俺の心だったんですね。何を頑張ってきたんだろうって思いました。俺が積んできたのは、徳なんかじゃ全然なくて、罪だった。罪を積んで、崩れた。バベルの塔のような出来事がありました。自分がしたことは必ず返ってくるんです。役割が反転して、同じことを繰り返して、そうして気付くんです。自分は被害者なんかじゃなくて、加害者だったってことに。主の祈りに、『わたしたちの罪をお赦しください。わたしたちも人を赦します』っていう部分があるじゃないですか。自分が赦さなければ、神様からも赦してもらえないんですね。みんな罪人なんです。原罪って、自分も罪人だから、他の人の罪を赦せるってことなんです。でも、謝っても、赦しても、人生は返ってこない。
女)謝っても、赦しても。
男)ええ。
女)失うことは、得ることではなく、やはり失うことなんでしょうか。
男)そうなのかもしれません。
女)なぜ、キリストは全人類の罪を背負ってお亡くなりになったんでしょうか。失うことが失うことでしかないとしたら、復活が物語にあるのは。
男)……。
女)ある無名兵士の詩というのがあるんです。

『大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに
 謙虚を学ぶようにと弱さを授かった

 偉大なことができるように健康を求めたのに
 より良きことをするようにと病気をたまわった

 幸せになろうと富を求めたのに
 賢明であるようにと貧困を授かった

 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに
 得意にならないようにと失敗を授かった

 人生を楽しもうとしてあらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと命を授かった

 求められたものはひとつとして与えられなかったが願いはすべて聞き届けられた
 神の意にそわぬものであるにもかかわらず心の中に言い表せない祈りはすべて叶えられた

 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ』

男)……美しい、詩ですね。
女)ほんとうにそう思います。
男)……先日、父が亡くなったんです。
女)お悔やみ申し上げます。
男)ありがとうございます。折り合いが悪くって。でも、最期に謝られたんですよ。ごめんなって。……ずっと、見捨てられたつもりでいました。でも、俺は……赦されて、いたんですね。愛ってなんでしょうね。
女)なんでしょうね。愛してるって、何回言っても空っぽなんですよね。いつになったら実感できるんだろうって、思ってました。愛してるはずなのに、愛されてるはずなのに、なんだか嘘みたいだなぁって、ずっと思っていました。
男)過去形、ですか?
女)実感したのは……、主人が亡くなってからです。
男)御愁傷様でした。大変でしたね。
女)お葬式もこちらだったんですよ。たくさんのお花に囲まれて。綺麗でした。結婚式とお葬式が同じ場所だなんて、なんだか不思議ですよね。
男)そうですね。
女)残ったのは、骨と、指輪と、苗字と、手紙。そして思い出。……ずるいですよね、先にいなくなっちゃうなんて。
男)だからこちらに来るようになったんですね。
女)ええ。
男)ごめんなさい、この話、大丈夫ですか。
女)そうですね、少し、変えましょうか。……教会って境界ですよね。
男)はい?
女)チャーチの教会は、生と死の境目、つまり境界ですよね、ってことです。わたし、神父様に言われたんですよ。『結婚とは独身の自分が死ぬことだ』って。
男)結婚式もお葬式も、『式』ですよね。『式』ってそういうことなんでしょうね。入学式も卒業式も成人式も、境目、つまり境界ですよね。
女)そうですね。
男)神様と人間が出会う場所、だからキョウカイって音なのかもしれませんね。
女)ええ。……『少女』っていうのも境界なんですよね。大人と子どもの間にあるもの。『少女』じゃなくなるのって、いつだと思います?
男)18歳になったら、でしょうか。
女)『女性』と呼ばれても違和感がなくなったら、ですよ。
男)なるほど。
女)『人は女に生まれるのではない、女になるのだ』って言葉がありますよね。
男)ありますね。
女)わたしもそう思うんです。小学生なんて、男の子にまじって遊んでいたのに。からだが変化し始めて、それに心が追い付かなくなって、変化を受け入れるのには時間がかかって。……女の子で、一人称がぼくの人っているじゃないですか。ああいうのも、女性性に対する拒絶反応ですよね。
男)そうなんですね。受容にもプロセスがあるらしいですけど、やはり拒絶はつきものなのかもしれませんね。
女)そうですね。……BL、ボーイズラブっていうジャンル、ありますけど、ああいうのも女性性への拒絶がどこかにあるんでしょうね。強かな人は女性性を早くに受け入れて『女性』になれるんでしょうけど、『少女』って、そういう、『女性になり切れないイキモノ』だと思うんですよ。勝手な主観ですけどね。『少女』はみんながみんなウエディングドレスに憧れてるわけじゃない、ってことですよ。
男)そういうものなんですね。
女)わたし、母みたいになりたくなかったんです。結婚したくなかった。自由でいたかった。でも、結婚してみたら、意外と自由だったんです。幸せ、でした。……今でも、あったかいんです。ひとりじゃないって。
男)いいですね。
女)いいですよ。あったかい記憶、ありますか?
男)……思い出せないな……。
女)わたし、神様を見つけたんです。
男)どこに。
女)(胸に手を当てる)
男)(女の仕草を真似する)
女)……いつも、本当は、いらっしゃるんです。

静かに、心を、傾ける。

男)……昔、お祈りは神様とおしゃべりする時間なんだよ、って、母が言ってました。言葉を暗唱することが、祈りではないんですね。
女)ええ。
男)ああ、まだ俺は、父を赦しきっていなかったんですね……俺は、悲しかったんですね……辛くて、苦しくて、どうしようもなくて、それは父も……父は、人生を……俺に……あああ、重い……おもい……あああっ、

男も女も涙している。
少しずつ、日が暮れていく。夜になる。

男)……ありがとうございます。
女)いえ。
男)すみません。みっともない姿見せちゃって。
女)大丈夫ですよ。
男)大丈夫ですか、時間。
女)大丈夫です。独り身ですから。
男)お強い、ですね。
女)もしそうだとしたら、弱いからですよ。わたし、めちゃめちゃ泣き虫なんです。もー、たっくさん泣きましたから。でも、止まない雨はないって言いますし。
男)雨降って地固まるとも言いますしね。
女)固まりました?
男)ぐちゃぐちゃの泥だらけです。

笑うふたり。

女)行きましょうか。
男)主の平和のうちに!

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