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経験人数と「幸せなセッ●●」の関係

とある友人がFacebook投稿で、
 
「経験人数3桁男子が語る「幸せなセッ、、とは〜大事なのは自分のニーズを知ること〜」聴きたい人いますか?」
 
という問いかけをしていたのですが・・・・
 
 
そこのコメント欄に、
 
「経験人数3桁の人に幸せを語ってほしくない」とか、
「経験人数3桁は愛を知らない証拠」とか、
「経験人数3桁はもう依存症」とか、
 
その問い掛けからは外れた、「経験人数3桁」をディスる個人の意見が散見されました。
 
 
 
ちょっとこのことについて、気になるところがあったので、僕は僕の意見を述べておきます。
 
感情的な話じゃなくて、本当によくよく考えたら分かる、論理的な話です。
 
 
 
 
 
 
 
僕の結論から言うと、
 
「経験人数が多い人ほど、『幸せなセッ●●』の本質を語ることができる」
 
ということ。
 
そして、上記のような、「経験人数の多さは逆に幸せから遠ざかっている」と考える発想は、論理的におかしい、感情論だということ。
 
 
 
あ、ただ、誤解しないでいただきたいのは・・・・
 
「論点がずれてるよ」っていうだけで、上記のようなことを言う人の気持ちは、分からないわけではないですよ。
 
そして、まったくの的外れでは、ないとも思います。
 
 
要は、
 
経験人数3桁の人が語る「幸せ」と、
それをディスる人が思う「幸せ」とは、
 
同じ言葉でも、指している意味が違う、というような話なのですよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
順を追って説明しますと・・・・
 
経験人数の多い人をディスる人を、ここでは便宜的に「一途派」と呼びます。
そして、経験人数が多いことで幸せに近づくと考える人を「経験派」と、分かりやすく呼び分けます。
 
 
 
「一途派」の人の主張って、要するに、
 
「一人の人と深く愛し合う方が幸せである」
 
ということなんですよね。
 
 
  
 
Aさんは、Bさんと深く付き合い、幸せなセッ●●ができるようになったとします。
 
一途派の人は、これこそが正しい形であると言いたいのでしょうが・・・・
 
 
 
ですが、考えてみてください。
 
 
正確に言えばAさんは、「幸せなセッ●●ができるようになった」わけじゃないんですよ。
 
正しくは、「Bさんとは幸せなセッ●●ができるようになった」ってことなんです!
 
 
 
 
複数人とセッ●●をしたことがある人なら少なからずご理解いただけると思うんですが、セッ●●って、かなり相性が大切なんですよね。
 
生理的なカラダの相性は勿論ですけど、2人のテンポであったり、性格であったり、色んなものによって、歓びも満足度も変わるものです。
 
「あの人とは幸せだったのに、この人とは、好きなはずなのになかなかうまくできない」
みたいなことや、またはその逆のことを経験したことがある人は、結構多いんじゃないでしょうか。
 
 
1度成功したやり方と、同じ方法を別の相手と試してみても、上手くいかないことがあるのが、セッ●●です。
 
(同じ人とでも、バイオリズムや雰囲気や体調その他の色んな理由で、毎回同じように幸せなセッ●●ができるとは限りませんし)
 
 
 
 
 
 
ですから・・・・
 
Aさんは、Bさんと幸せなセッ●●ができるようになったからといって・・・・
もしも、Bさんと別れてCさんと付き合った時、そのCさんとも同じように幸せなセッ●●ができるとは、限らないわけですよ。
 
Cさんとは、また別の組み合わせ、違う相性です。
同じやり方で、Cさんにも通用するかどうかは、分かりません。
 
 
 
 
Aさんが1人の人とどれだけ深く愛し合い、幸せなセッ●●ができるようになったとしても、だからといってAさんが、「幸せなセッ●●とは何か」を語れる理由にはなりません。
 
もしも、1人の人しか知らないのに幸せなセッ●●を語っていたら、それはただの思い込みが激しいだけです。
 
ですし、他の人たちが聞いて参考にできるような・・・・一般化された、再現性のある幸せなセッ●●になるとは限りません。
 
AさんとBさんの間で成り立ったことが、DさんとEさん、FさんとGさん、そういう他のカップルの間でも同じ方法で幸せなセッ●●ができるわけじゃないのです。
 
 
 
ここのところが、「一途派」の人の見落としているロジックの間違いです。
 
 
もしかしたら、「一途派」の人は、
 
「相手が変わろうとも、『思いやりを持って接すること』が大切なんだ!」
 
みたいなことを考えているのかもしれません。
 
 
けれども・・・・
 
じゃあ、「思いやり」ってなんですか?
 
それも、人によって変わるものです。
 
 
 
例えばですが・・・・
 
ある人と付き合った時は、思いやりから、相手のカバンを持ってあげようとして、喜ばれました。
 
しかし、別のある人からは、同じく思いやりからカバンを持ってあげようとしたら、
「弱い人間扱いされているようで気分が悪い」
と言われてしまいました。
 
 
人によって、どんな行動・行為を「思いやり」と感じるかは、その人によりけり。
 
AさんとBさんの間にある「思いやり」は、具体的な行動に移した時、その2人の間でしか成り立たないものかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一方で、「経験派」は・・・・
 
上記の話を分かってもらえれば、みなまで話さずとも察しはつくかもしれませんが。
 
 
 
aさんが、b・c・d・e・f・gさんの6人とセッ●●をしたとします。
 
そのうち、b・c・dさんの3人とは、幸せなセッ●●ができました。
 
でも、e・f・gさんの3人とは、なかなか幸せを感じられませんでした。
 
 
 
ここでaさんは、幸せなセッ●●ができた時と、できなかった時の、両方の経験をしたわけです。
 
そこから、
「幸せなセッ●●ができた時は何が良かったんだろう?」
「できなかった時は何が悪かったんだろう?」
と考えることができます。
 
「幸せな時とそうじゃない時とで、違いはどこにあるんだろう?」
 
と、比べて確かめることができるのです。
 
 
 
 
 
勿論、「一途派」のAさんだって、Bさんとのセッ●●の中で、幸せな時とそうじゃない時っていうのはあったでしょうから、そこで比べることはできるでしょう。
 
が、しかし、繰り返しになりますが「一途派」のAさんの場合は、Bさんしか経験していないわけですから、他の人にも同じパターンが当てはまるのか、検証のしようが無いわけです。
 
 
でも、「経験派」のaさんは、少なくとも、b・c・dさんの3人に対して当てはまることが話せるわけです。
 
 
 
 
 
 
 
 
もし、自分が、「幸せなセッ●●とは何か」の話を聞く側だったとしたら・・・・
 
どっちの人の話を聞きたいですか??
 
まぁ、聞きたい動機の在り処にもよるかもしれませんが・・・・
 
 
 
大体、セミナーとかトークライブとかそれ系に参加する時の動機っていうのは、「学び」を得たいからです。
 
すなわち、講師の人が話してくれるノウハウや体験談を、「自分にも当てはめられること」を期待していくわけですよね。
 
 
 
「一途派のAさん」の話は、とても美しく、素敵なものかもしれません。
 
けれどもそれは、AさんとBさんにだけ通じる話であって・・・・要するに、「ただのノロケ」の域を出ない可能性があります。
 
それを楽しみたくて聴きに行くならいいですが・・・・
 
 
もし、自分も幸せなセッ●●をしたいと思い、そのための参考にしたくて話を聞くなら、「一途派」の人の話を聞いても仕方ないですよ。
 
あなたはAさんではないし、あなたの相手もまたBさんではないのですから。
 
 
 
多くのケーススタディを持っている人の、
「こういうのは良かった」
「こういうのは悪かった」
っていう体験談、そしてそこから導き出される話を聞いて、自分はどうしたらいいか考えたいわけですよね。
 
 
 
 
 
 

 
 
なんでも、そうでしょう。
 
今まで1つの仕事しか経験したことが無い人の語る「やりがいのある仕事の見つけ方」と、
いくつもの仕事を沢山やってきた経験のある人が語るソレとでは、
どちらの方が、より自分にとって参考になる話でしょうか?
 
 
 
 
僕の本業であるお店の立地コンサルだって、そうなんですよ。
 
ずっと1箇所のラーメン店でやってきた人が、そこが上手くいったからって、他の人がコンビニを出したいって時にアドバイスに乗れるかっていうと、そうじゃないわけです。
 
「ラーメン店に一途」だった人は、他の業態のことを知りません。
「1つの場所で長くやってきた」人は、他に売れる場所を見つけられません。
 
僕が、お店の立地コンサルタントとしてやっていけるのは、
 
「数百業種の、数千店舗を見てきた経験があるから」
 
に他ならないわけです。
 
 
ちなみに面白い話をすると・・・・
 
某ファストフードで敏腕な分析者だった人が、そこを退職後、全然違う業態の企業に転職して、同じように立地分析を任されたらしいですが・・・・
そのファストフードでの経験が全然当てはまらず、売上予測を当てられなくて、結局は干されてしまった、という話があります。
 
本当に、そんなの、当たり前のことなんですけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、最後に大切なことを、ひとつ。
 
 
 
あのですね、「幸せ」の基準、価値観なんて、人によりけり、でしょうよ!!
 
 
「1人の人と深く愛し合う方が幸せ」
っていうのは、そう感じる「一途派」のあなたの価値観です。
 
そうじゃない人も、います。
 
「大勢の人と沢山経験する方が幸せ」(っていうとちょっと語弊があるけど)
っていう人のことを、あなたが否定する権利など、無い。
 
「経験人数3桁の人に幸せを語ってほしくない」とか、
「経験人数3桁は愛を知らない証拠」とか、
「経験人数3桁はもう依存症」とか、
 
マジ全部、余計なお世話。
 
他人の幸せの感じ方にケチつけてんじゃねーよ、って思いますわ。
 
 
 
 
 
勿論、「一途派」の人の言いたいことも分かります。
「一途派」の人にとっての幸せなセッ●●っていうのは、沢山の人と経験することではありませんよね。
 
 
だから、「経験派」の人に幸せなセッ●●を語られると、自分の方が否定されている気分になっちゃったりするんですよね。
 
それこそこれは、比較的経験の少ない、「一途派」の弱みでもあります。
 
経験が少ないがゆえに、自分の感じ方、幸せの価値観に自信が持てない・・・・だから、他人の幸せにケチをつけてしまうのです。
 
それは、あんまり好ましいことではないですけど、別に悪いことじゃ無いとは思います。
 
 
 
 
ただ、忘れないでほしい。
論点を間違えないでほしい。
 
 
ここでは別に、「一途派と経験派のどっちが正しいか」の論議なんて、していないわけです。
 
というか、することがあったとしてもそんなの、「人によりけりでしょ」の一言で話が終わる不毛なものですよ。
 
 
大切なのは・・・・
 
「幸せなセッ●●について講師をするなら、参加者の多くにも当てはまる一般論的なところに落とし込めている必要がある」
 
ということ。
 
そして、それができるのは、沢山の人とセッ●●をしてみて、幸せなこともそうでないことも沢山味わい、その両方の違いを分析できている「経験派」の人じゃなければいけない。
 
というわけです。
 
 
 
 
 
 
 
ただ、それだけの話です。
 
 
 
 
 
僕は、せいぜい14~5人くらいしか経験していません。
 
しかしそれでも、その1人1人と、1回1回、未熟ながら真剣に向き合ってきたつもりです。
 
その上で、だからこそ感じます。
 
経験が多くなればなるほど、幸せなセッ●●ができるようになっていきましたもの。
 
初めて付き合った人とは、真剣に向き合っていたつもりだったけれども、いわゆる幸せなセッ●●に至るのは難しかったです。
(ちなみに僕は当時の周りの友人たちの影響で、幸せなセッ●●を意識して頑張っていたので、余計にそう感じます)
 
 
1人、また1人と、別の人と体を重ねるたび、
「同じ女性でもこんなに違うんだ」
っていうことを感じることができました。
 
そしてその中で、その経験を踏まえて、少しずつ、幸せなセッ●●に近づけるようになっていったのです。
 
 
なお、ちなみに僕は、どちらかといえば「一途」ですよ。
こんだけ「経験派」を推してきておきながら笑
 
でもそれも、浮気だとかワンナイトだとか、そういうのも経験してみて、「あーやっぱこれじゃダメだなー」が分かったおかげっていうのがあります。
 
そういう「経験」が僕に気付かせてくれたわけなのです。
 
 
 
ですから、自分の心としては「一途」でありながらも、「幸せなセッ●●についての話を聞くなら経験豊富な人の方が良い」と断言できます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
着地点を見失ってきてしまったので、ここらへんで終わりにしようと思います。
 
 
 
論理的に考えたら、「幸せなセッ●●について語る講師」をするなら、経験多数の方が圧倒的に価値ある話ができること。
 
でも、「幸せなセッ●●」それ自体は個人の価値観だから、「一途派」はそれはそれで素晴らしいこと。
 
そして、幸せの感じ方なんて人それぞれなんだから、自分と違う他人を安易に否定しないでほしいなということ。
 
 
 
僕の言いたいことは、この3つです。
 
 
 
 
以上。

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