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またかけるね

韓国に仲のいい友達がいる。
彼女は大学の同級生だった。正確に言うと初めは同級生ではなかった。彼女はわたしよりひとつ年上で、一年先に大学へ入っていたのだが、途中で病気療養のため休学していて韓国に戻っていた。
そうして同じ学年になり、仲良くなった。在学中も何度か家に遊びに行ったり、出掛けたりしていたが、それは卒業する間際だったと思う。なぜだか卒業間際から仲良くなった。
彼女はいつも明るくて、身長がすごく高い。
きゃな〜とわたしのことを呼んでくれる。
優秀でだれよりもがんばりやさん、とことんがんばるし、器用で、センスや美意識がとても高い。あんまり学校にいるタイプではなくて、学校が終わるとすぐどこかへ飛んでいく。友達が多いのだ。
わたしはほとんど学校で居残りしているタイプだったので、放課後にあまり一緒にいることは少なかったかもしれない。

大学を卒業してから、数ヶ月、彼女は東京にいたが、韓国に一度戻り、イギリスへ留学などもして、いまはまた韓国にいる。
卒業後も仲良しは続き、いったん戻った韓国からも、イギリスからも、そしてまた韓国からも、家にお土産を送って届けてくれた。韓国のお菓子だったり、イギリスの古い洋服の型紙だったり、動物の形のボールペンだったり、瓶に入った手紙だったり。行く先々でわたしのこと思い出してくれているのだろうか、そのことがいつもとても嬉しかった。わたしは何も返していないのに、それは関係なしにいつも送ってくれる。彼女はとても優しい。

そして突然に電話をくれる。だいたい彼女が暇な時に電話をかけてきて
「いま何してるの?」
と言う。わたしはたいてい家にいて、ミシンを踏んだり、パソコン作業などしているのだが、彼女はいろんな場所にいる。
イギリスのホームステイ先の風景を見せてくれたり(あの日は突然雨が降ってきた)、韓国のバスの中、スタバ、アトリエ、オーストラリアの宿泊先からもかかってきたことがあった。そのときはテニスを見に行ってきた、と言っていた。お互いに近況報告をして、あれも大変、これも大変だ、と言う話にだいたいなる。かならず電話を切るときに、がんばろう、って言い合う。バスがどこかの場所へ着いて、
「もう降りなきゃ、またかけるね!」
と彼女は言う。一応わたしは待ってみるのだけど、そう言われて一度もすぐかかってきたことはない。もしかしたら、さようならという事で、そう言ってくれているのかもしれない、と後から気づく。

一昨年の夏は、東京に少しだけ戻ってきた。同級生ふたりの誕生日会を開くという催しをきっかけに韓国から駆けつけてくれたのだった。彼女の1週間ほどの短い滞在ののうちに3、4回は会っていた。4人の友人が集まって、中目黒でご飯を食べたときは、そろそろ帰ろうかと駅まで皆んなで歩いていたときに、
「はい、これ、わたしの愛が詰まっているから、開けてみて」
と言って渋谷のロッカーの鍵をくれた。

唐突すぎて笑ってしまった。どきどきしながら、帰りに渋谷に立ち寄り、帰りの方向がおなじだった友人とロッカーを探す。キオスクの隣で、小さい改札のあるところで、、と色々ヒントはもらっていて、鍵にもたしか「西」と書いてあった。ミステリーを解くように、わたしたちはロッカー「西」を探す。意外とすぐ見つかってしまった。
荷物を入れてから時間が経過していたようで、たしかわたしが2日分のロッカー代を支払ったから、それかなこちゃんが払うの?と友人が少し怒っていた。
中から出てきたのは「情」と大きく書かれた赤い箱で、チョコパイがぎっしりと詰まっていた。たしかに大きな愛だった。友人と、これかい!と笑いながら、半分ずつにチョコパイを分けて帰った。

韓国の空港で買ってくれたのだろうか。ただでさえ多い荷物に、さらに大きな箱のお土産を買って、空港を歩く彼女が思い浮かんだ。あとさき考えずに、人を喜ばせたり、動くことはなかなかできないものだから、わたしは彼女のそういうところを尊敬している。

そうしてわたしは彼女のことが好きである。おおきな情をくれる彼女。
ご飯を食べて、酔っ払って2人でプリクラを撮ったことがあった。そしたら彼女は、もうがんばらなくていいから、とプリクラに書いてくれていて笑った。

一度だけかかってきた電話で泣いていたことがあった。いつも明るい彼女は、いつも明るいところだけをまわりに見せている。病気やけがをしていても、あまり人に言わない。「元気?」ときくと、たいてい「あんまり元気じゃない…」という時の方が実は多い彼女。

唐突にかかってくる電話に、わたしはかならず出る。不思議と彼女は、かならず出ることができるときに、わたしに電話をくれる。


(20190823)

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