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身体の好きなところは

写真家の友人にポートレイトを撮ってもらうことになり、電車で向かう。
駅に着いて、差し入れを何も持ってこなかったことに気付いて、ニューデイズでお菓子を買う。コアラのマーチと、清見のオレンジの砂糖菓子。改札を出て、右側の公園にいてください、とのメッセージが届き、ニューデイズの冷気をまとって、外へ出る。
自転車を引きながら、大きな麦藁帽子をかぶっている彼女。

彼女とはじめて出会ったのはもう4年ほど前になる。
吉祥寺で展示会をしたときにふらっと立ち寄ってくれたのだ。
準備が終わらずに遅れてオープンした会場で、彼女が1番乗りのお客さんだった。ワンピースをオーダーしてくれ、きくと写真を撮っているカメラマンとのこと。前に衣装を作ったパフォーマンスの繋がりで、わたしのブランドのことを知ってくれたそう。

目が大きくてボーイッシュ、さばさばとしているけれど、芯の強さを感じた。

そうして何年かたち、彼女が新宿で写真の展示会をやるというのでみにいった。昔の恋人を撮ったものだった。
今はもう別れた彼が病気になり、その闘病の様子や日常を記録したものだった。
儚くもせつない、もう戻らない時間をうつした写真展だった。その日すごく晴れていて、ビルの上のその会場から、新宿の街がよく見渡せた。


その日ぶりにわたしたちは、また会うことになった。

コアラのマーチをつまんだり、オレンジを齧ったり、お茶を飲みながら、ざっくばらんな話をして、ようやく汗も引いたところで、彼女は撮り始めようかな、と言った。

彼女はわたしの手元を写してくれた。わたしの手や腕は骨ばっていて、青い血管がかなり浮き出て、人体模型のように気味がわるいので、それで画になるのか不安になる。
彼女は「色が白くて細くて綺麗ですよ」
と言ってくれた。「点滴するときに針が刺しやすそう」

それから自分自身の身体の話になる。
彼女は、首が長いのが嫌だとか、目が片方は二重で、片方は奥二重だからバランスが悪いんだ、とか話す。
自分の身体のことになると、どこかもっとこうだったらいいのに、良くないから、と欠点が気になる。

わたし自身は、子どもの頃から、親にあんたは腿が太い、
と言われ続けて育ち、そうか、わたしは人より腿が太いから、隠さなくては…と思っていたけれど、それは無意識のうちに刷り込まれて、染み付いてしまっているものなのかもしれない。
今思うと、太いことには太いけれど、そんなに言うほどかな?とも思う。

カメラマンの彼女は話しながら
「なんだか悪いところばかりが思い浮かんでしまう」というので、
「逆に好きなところは?」
とたずねると
「腕かな、人より長いところ」
と話す。
「睫毛が長くて、とってもきれいで羨ましいですよ」
とわたしが言うと
「睫毛も眉毛もしっかりしてるほうかもしれません、改めて言われるとなんだか照れます」
と言っていた。
「かなこさんは?」
と聞かれて、自分のこととなると、しばらく考える。
「二の腕の内側かな。ぽよぽよで気持がいいから。」
そう話すと彼女は笑っている。自分の目線が肘の内側に移る。
そういえば、わたしの腕にほくろが数え切れないほどある。

思い出したのは、子供の頃に風呂に母と入っているときのことである。
母がわたしの腕のほくろがを指差して
「わたしとほくろの位置がまったく一緒だね!」
と言ってきたことがある。たしかに、左肩のひとつと、肘の内側のひとつが全く同じ位置にあった。
「間違いなくわたしの子供だね」
そう言われて、どこか嬉しかった。

その話をすると、彼女は、ふふふと笑っていた。
「ほくろの説明をしているときが何かよかったよ」
と言ってカメラを取り出してわたしの腕を撮ってくれた。

催事が増えて、洋服を売っているとたくさんのお客さんと接する機会があり、自然と体型の話になる。みなそれぞれ身体の悩みを抱えているようだ。 背が高い、低い、首が長い、短い、太い、細い、なで肩、怒り肩、胸が小さい、大きい、腕が長い、短い、ウエストの太さ、細さ、、
などなど。

「わたしは撫で肩だから、このシャツは似合うかしら?」
そう言われて、シャツを試着してもらい、お客さんと一緒に鏡を覗き見ると、その撫で肩がどこか愛おしかったことがあった。

足りないところ、欠けているところ、癖も愛おしい。

腕のぽよぽよもほくろも、すきっ歯、おでこの皺、、どうしてよと思う部分もあるけれど。
もうすこし愛をもって話したい、と心の奥では思っている。
自分のたったひとつの身体のことを、である。


(20190930)

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