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間に、合わせる - 良く生きるための昨今の要求が高くて良く生きられないと思えるときに

今日は、ゼミの日でした。朝のうちにゆとりさんが作っていたビーフシチューと、しょうぶ学園ぽんぴ堂のパンでブランチとしました。

発表者のラボメンが調子が悪くてお休みだったので、お茶をしながらラボの日程共有システムを変えるかどうか(例えばTimeTreeを導入するとか)、大掃除の日程をどうするか、各々の実験の相談、かんのの新しいデバイスのセッティング状況などを話しました。

2年生が次年度からの所属ゼミを選ぶため、ゼミ見学期間となっています。今日は1人、見学にこられました。

その後、会議が1つ。平和に終わりました。会議の内容を各学科やコースで報告するお仕事を、年上の同僚にシレッと任せることにしてしまいました(てへぺろー)。

今日は、夜から録音機材を持って医学部で実験なので、それまでにいろいろ済ませNightいけません。いくつかのメール連絡などをして、お腹が空かないようにセブンでハッシュドポテトと肉まんを買って食べました。

そう言えば、ラボメンの主将から解析プログラムの動かし方がわからなくなったとDMが来ていたのでした。どうせ僕も実験室で荷造りするので、まぁ、良いか。実験室に向かうと、ラボメン達でプログラムは動かせるようになっていました。

録音機材をカメラケースに入れて、医学部へ。共同研究者の教授と落ち合って、実験室へ。基礎研究棟が補修工事中で、プレハブに引越しされていました。プレハブと言っても、かなり立派なタイプです。

少し打ち合わせをして、まずは機材のセッティング(接続して良い塩梅に置く、という意味)。実験を開始しました。後数年で定年を迎える教授ですが、僕とずっと一緒に観察しました。純粋に、研究がお好きなのだな、と感じます。こういうシニアの方と接すると、自然と良い気持ちになります。では悪い気持ちになる時はどういうときかというと(以下略

長時間録音もしてみたいということで、開発者の超音波おじさんに電話して、耐久性に問題ないことを確認し、録音を始め、今夜は終了しました。明日も実験なさるというので、明後日機材の回収にうかがいます。

自分のキャンパスに戻って、少し各所に連絡のメールをして帰りました。

だましだまし、間に合わせの人生

実験の途中、お夜食も頂いたのですが、家でもご飯を食べました。ゆとりさんと話した後、お風呂で寝てしまい、遅くなってしまった(そして眠気が飛んでしまった)。僕が作ったポテサラと今朝ゆとりさんが作ってくれたビーフシチューで間に合わせました。間に合わせにしては、十分。

ところで、料理家の土井善晴さんのこちらのインタビューが素晴らしかったです。

和食の「型」は一汁一菜です。一汁一菜は、「家族の健全性」と「和食という文化」を守る持続可能な食事のスタイルです。そこには、民族の歴史、生き残るすべがあり、意味があります。

自由はその次。それを土台にすることで、本当に自由になれるのです。型がなければ、崩すこともできません。なんでもありの世界には、自由は生まれません。型が身について初めて型を破れる。型あっての自由自在です。

                               4ページより

食の安全などの基礎となる型について触れた後、このように述べておられます。亡くなった中村勘三郎さんも「型があるから、型破り」と言っていたと記憶しています。「型が無ければ、形無しだ」とも。

正解は一つではありません。一つの答えでは間に合わないのです。多様な答えが必要です。自由に考えてください。ゆえに自由とは思考です。

                               4ページより

このように、述べることで、徐々に自由になれないこと、その原因を、思考の欠如として論を展開していきます。型に縛られる(思考の欠如)という不自由が生じ得るわけです。

わざわざ「時短」とか言わなくても、簡単な料理はやまほどあるわけです。時短を意識するか、しないかではなく、その「間」に合わせて、「間に合う」料理をすればいいのです。

                               5ページより
人はどうやって料理をするかというと、これまでの経験と、季節と、家族の好み、予算、そして「今」という時間ですよ。急いでいるのか、いないのか。どれだけの時間がとれるのか。そうしたことを総合して、作るのが料理なんです。

                               6ページより

朝ごはんに赤福とお味噌汁の投稿をしたときの反応、ミートソーススパゲッティのくだりは、是非読んでいただきたいです。

「間に合わせ」ということに対して、すごくポジティブな気持ちになれます。もちろん「間に合わせ(それで十分おいしい)」ということなわけで、おいしさを担保するのは型なんだとは思います。例えば伝統の中に型があったりします。昔の人も、良い感じで間に合わせたのでしょう。状況に応じて間に合わせるということは、日常をよく生きるための方法であり、サステナビリティであり、これまでの伝統が作られてきたように、これからも私たちが作って良いものなわけです。

大学のお仕事も、これからは「片付ける」という姿勢だけではく、「間に合わせる」気持ちで、「お粗末様でした」と、振る舞っていこうかなって... 思いましたん。

大切にしたいことは

一方で、自分が大切にしたいこと、ちゃんと作り上げたいことを為すために必要なのは、間合いなのかなと思いました。

ものごとと、十分に間合いをとる。ちゃんと時間を作ったり、中長期的にこつこつやったり。いろんなこととの間合いをちゃんととって、間に合わせで済ますこと、時間をかけることを整理することが重要そうです(また整理してしまった)。

ところで、歯医者さんから要求される歯磨きが、要求レベル高くて、辛いです。



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