【音楽は哲学とどう向き合うか】

私は読んだ本や観た映画や出会った様々な美しいものにひどく影響を受ける性質である。
映画に出てくるヒロイン、Yutubeに上げられた動画の中の魅力的な歌い手、果ては、街ですれ違っただけの女性にでも、たちまち恋に落ちるほど思い込みが激しい。ときには全てを投げうってもいいとさえ思う。(投げうてるだけのものは持ってないんだけどOrz)
ただし、その思いが長く続くこともないので、単に気が多いという性格なのは確かだが。

最近のマイブームはマルクス・ガブリエルで、まだ彼の主張の多くは理解していないにもかかわらず、なにか人生の師に出会ったような興奮を覚えている。

閑話休題。

私は音楽家である。いちおう音楽家であろう。いや、音楽家でありたいと思っているだけかもしれない。
なので哲学書を読むときでも、それが自分の音楽とどのように関わり合うのかを考えてしまう。
音楽と哲学。
哲学は音楽にどのような影響を与えているのか。
音楽は哲学に対して何かコミットすることはあるのか。

パウル・ヒンデミットの「作曲家の世界」やイーゴリ・ストラビンスキーの「音楽の詩学」などでは、作曲家は少なくとも一つの哲学を持つべきであると諭されている。商業音楽が盛んなアメリカにおいても何人かの作曲家や編曲家がその理論書の冒頭で、音楽家は豊かな趣味を持つことによって哲学的な素養を培うべきであると説いていることが多い。

<ワーグナーとドビュッシー>

哲学と音楽が深く結びついた例として挙げられるのはワーグナーとドビュッシーだろうか。
ワーグナーは19世紀後半に多くの哲学的論文を次々に執筆している。しかし最終的にはゲルマン民族の人種的優位性と反ユダヤ主義に陥り、そのため後のヒトラーにも利用されることになってしまう。そのためワーグナーの音楽は多くの批判を受けることになるが、だからといって彼がなしえた音楽的な偉業が全否定されるものではないと思う。楽劇などにみられる壮大な構想、トリスタン和音などの斬新な音楽理論に支えられたオーケストレーションは、ただ聴くだけにおいて美しく感動的ですらある。
私はワーグナーの人格や思想には共鳴できないが、音楽は好きだ。

ドビュッシーは一時期ワーグナーに傾倒しており、歌劇「ペレアスとメリザンド」などはその影響を受けているとされる。しかし彼のインスピレーションの多くは後の印象派の芸術家たちとの交流によって啓発されたと考えられる。
ドビュッシーの代表作「牧神の午後への前奏曲」のモチーフとなった象徴派を代表する難解詩「半獣神の午後」を書いたステファヌ・マラルメが自宅で開いていたサロン的会合「火曜会」には多くの印象派の芸術家が集っていたとされる。モネ、ルノワール、ドガ、ゴーギャンらの画家、詩人のヴェルレーヌ、ヴァレリー、作家のオスカー・ワイルド、アンドレ・ジッド ・・・錚々たるメンバーだったという。
ドビュッシーの音楽は印象派と分類されるが、本人はその概念に対しては否定的であり、むしろ象徴派 として自らの音楽を捉えていたようである。ただ、象徴派的な主張にこだわるあまり後半生の作品の多くが形式主義的になってしまったという批判には頷けるところがある。初期のピアノ作品や交響楽は○○派という括りを超越した自由で飛躍に満ちた珠玉の作品が私たちの心を満たしてくれる。
私の音楽的な原点もそこにある。
その原点をちゃんと反映した作品が書けているかは別の話だが。

19世紀後半から20世紀前半はニーチェやキルケゴールらの実存主義哲学の先駆(少し下ってベルクソンの生の哲学)、ドイツ観念論哲学(ヘーゲル)、科学的唯物論(ビューヒナー)、マルクス主義(マルクス)、精神分析学(フロイト)、功利主義、プラグマティズムなど多くの哲学的な論考が錯綜した時代であり、科学の発展と産業の隆盛が様々な価値観を生み出していた時代でもある。
ワーグナーがニーチェらの実存主義的な考え方を音楽的な発想の根底に持ち、ドビュッシーが印象派の形而上学的な表現手法に霊感を得ていたと考えても不思議はない。
(この考え方には確たる論拠があるわけではない。あくまでも私見である。)

<エリック・サティ>

名曲「三つのジムノペディ」の作曲者として知られるサティは、その優れた音楽性にもかかわらず生き方が上手でなかったという。同時代のドビュッシーやラベルが高い評価を受けていた一方でサティは評価されることがなく、場末のキャバレーで歌う歌手のために作曲したり、ピアノ伴奏したりして糊口を凌いでいたらしい。ドビュッシーはサティによく目をかけていたと言われているが、実際に音楽的影響を強く受けたのはドビュッシー自身であり、同時代の偉大な作曲家ラベルであったという。教会旋法や並行和音を自作品に取り込んだのは彼の業績のひとつであり、調性からも自由であり、晩年には楽譜における拍子記号・調性記号・小節線すらない作品も書いたという。
サティはダダイズムの芸術家たちと交流が深く、詩人ジャン・コクトーとも知己であったらしい。

こういう話が私は大好きである。
一介の場末の楽士が実は金の卵だったみたいな。
実存主義哲学者サルトルの小説「嘔吐」の後半で、主人公アントワーヌ・ロカンタンがある時カフェで一つの歌を聴いて、その作曲者に思いを馳せる場面がある。
・・・この作曲者はきっと売れてない作曲者だろう。この歌は安いお金で歌手から作曲を依頼され、おんぼろアパートの一室でやっとこさ書き上げた作品なのだろう。食べるために仕方なく。
いつどこでのことだろう。だが、その歌が時間や距離を超えて今一人の男に感動の涙を流させていることを知ったら、どう思うだろうか・・・
ひょっとしたらこれはサティのことだったのかな、と想像が膨らむ。

いつか私もそんな音楽を書いてみたい。

<童謡>

葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」がドビュッシーに霊感をもたらし交響詩「海」(1903-1905年)という作品に結実したという話はつとに知られているが、その同じ20世紀前半、日本では童謡(運動)が興っている。
提唱者とされるのは鈴木三重吉である。鈴木は1918年(大正7年)7月、児童雑誌『赤い鳥』の創刊を契機に「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな歌と曲」を子供たちに与えたいとして、そうした純麗な子供の歌を「童謡」と名付けた。 この提言は多くの同調者を集め、童謡普及運動あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となった。(Wikipedia「童謡」から)
後に日本の三大詩人と称される北原白秋・野口雨情・西條八十、作曲家では山田耕筰・本居 長世 らが、現代でも愛唱される名作を次々と世に送り出した。
これは大正デモクラシーと称される幅広い政治的・文化的・芸術的ムーブメントの一翼を担った。
この潮流は、日本における民主主義思想の提唱、ロシア革命(1917年:大正6年)により周知されたマルクス主義思想など、様々な新しい価値観を求める動きが日本に幅広く興ってきたことと無縁ではないと思える。
童謡の詩的音楽的要素はフランスを中心とした印象主義からはさほど強い影響を受けていなかったように見える。当時の日本は民主主義のお手本をイギリスに見ていたはずで、表現における影響はむしろ象徴主義だったのかもしれないが、その影響も明示的に表れることはなかった。
むしろ運動の理念が先にあり、それを日本人の独特の感性で新しい芸術分野を形成したと考える。
余談になるが、童謡はただ美しいだけではない。
例えば「月の砂漠」の作詞者、叙情的な挿絵画家として人気を博した加藤まさをについて、作詞当時、道ならぬ恋に悩んでいたとする指摘もある。真偽のほどは定かではないが、描写される美しい情景の奥に潜む、不吉な予感を感じるのは私だけだろうか。
月の砂漠(歌詞4番)加藤まさを詩
「広い砂漠を ひとすじに  二人はどこへ 行くのでしょう  おぼろにけぶる 月の夜を  対のらくだは とぼとぼと  砂丘をこえて ゆきました  だまってこえて ゆきました」


<ボサノバ>

ボサノバ(Bossa Nova)は同時代のヌーベルバーグ(Nouvelle Vague )運動と密接に連携している。言葉の意味は同じである。
新しい波。
1950年代後半から1960年代にかけての欧州を中心とした文化的哲学的潮流であるとされる。
音楽としてのボサノバを確立したのはジョアン・ジルベルトであることに異論はないが、文化運動としてその中心にいたのは詩人・劇作家のヴィニシウス・ジ・モライスであろう。
すでに1956年に後に映画「黒いオルフェ」の原作とされる「オルフェウ・ダ・コンセイサゥン」を執筆している。
一方、ヌーベルバーグという言葉がフランスで初めて公になったのは1957年にフランソワ・ジルーが雑誌に「新しい波来る!」と書いたのがキャッチコピーとして広まったと言われている。
フランスとブラジルは文化的にも音楽的にも親和性が高く、私たちが想像するよりはるかに広く頻繁に交流が行われていたのではないだろうか。大西洋を挟んだ二つの別の国で同時期に同じ運動が起こっている。ここで言い出しっぺはどちらだとかいう不毛な議論をするつもりはない。しかしブラジル音楽に関わったものとして判官びいきでブラジルが発信源だと思いたい。それほどブラジルの音楽や文化は奥が深いと思う。
1969年のクロード・ルルーシュの名作「男と女」の劇中歌として挿入されている「サンバ・サラヴァ」はモライスとバーデン・パウエルが作ったものであり、一説にはこの歌が映画のモチーフになったともいわれている。
そして強調しておきたいことは、ボサノバもヌーベルバーグも(あるいは童謡も)ある日突然生まれてきたものではなく、19世紀末から20世紀前半に起こった文化運動や哲学的試行の系譜の中で語るべき事柄であるということ。
ワーグナーやサティの音楽はドビュッシーやラベルに新しいインスピレーションをもたらし、それは勃興したばかりの日本のクラシック音楽にも影響を与えた。新しい音楽的な挑戦は20世紀前半の作曲家たち、ストラビンスキー、メシアン、ケージなどに大きな影響を与えているし、さらにはジャズやボサノバにも影響している。
その影響の仕方は単に音楽的な技法にとどまらない。その時代時代に提唱された哲学的な思考、形而上学であり、実存主義であり、精神分析学であり、その他の様々な哲学的思考と不可分に連携し、精神的根底となっていると考える。
(この部分に関してはより綿密な検証が必要であると思っている。)

<昏迷の時代の音楽と哲学>

音楽以外の芸術、美術や文学や演劇・映画などは直截的に哲学的思考を反映させやすい。
実際にはかなり多くの作品が、哲学的な命題を暗喩として作品に込めていると言われる。
しかし音楽における哲学思想の反映はどのようになされるのか。

21世紀前半の現代において、明確に社会をリードするような文化的なムーブメントは見られない。
新自由主義は分断・差別・格差・環境破壊をもたらしている。全体主義への傾斜は民族紛争・宗教対立・テロの温床となっている。理性ではなく感情が支配する世界での価値観が異なる者への憎悪。自由という共同幻想のなかで、民主主義そのものが崩壊の危機に晒されている。
マルクス・ガブリエルは理性によって実証される正しいモラルはあるはずだ、と説く。
しかし彼自身が、それを見出すことはこれからの課題だとも言う。
昏迷の時代。
あるいは欲望の時代?
芸術に政治的メッセージを入れ込むことと、芸術本来のあり方はどのような距離感であるべきか。

もちろん音楽をしている人の中には「音楽に余計な思想など持ち込むな!」と考える人がいるだろう。音楽は全ての芸術の最上位に位置づけられる芸術(ヒンデミット)であり、純粋に音の美を追求するのが音楽本来のあり方である、と。

その意見は否定しない。

しかし、音楽家であっても現代を生きる一個の社会的存在に過ぎない。時代の奔流の中で揉まれながら、考え悩み喜び悲しみ怒り愛し・・・意識するかしないかに関わらず世界と自己の存在について思考しているはずである。それを哲学として捉えることにより、自らの進むべき道を探るのは自然なことではないだろうか。

芸術と哲学が、より広くは自然科学も含めた知識分野でお互いが緊密に連携し合えるような動きが必要なのだろうと思う。
芸術のなかでも諸分野がお互いに交流し合う仕組みも必要だろう。
そのネットワークの中で見えてくるものがきっとあるはずだ。

一介の楽士に過ぎない私が出来ることと言えば、詩人と連携して小さな歌を作ることくらいだろうか。
新しいムーブメントが起こったときに、中心にいられなくても、外縁で少しだけ何らかの役割を果たせたら幸せである。

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